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このブログは、2015年に難病の原発性胆汁性胆管炎と診断されてからを振り返って書いています。
私の、病気の話はこちらを読んでみてください↓
父の病気の話はこちらを読んでください↓
父の容態が急変し、病院に駆けつけましたが、頑張ってくれているうちにと母を残して、一旦家に戻りました。
危ない状況になったということで、内緒にしていた
父の弟さんにだけでも、連絡をするようにと促しました
母はまだ、この様な状況でも誰にも父のことを知られたくない様でした
肉親に黙っていることは、駄目なことなんだよ、と言って、私から弟さんへと父の状態を連絡。
電話は、留守電になっており、伝言として父の状態を伝えていつでも連絡してくださいと切りました。
数日経ち、看護師さんから姉に電話がかかってきます
お母さんが家に帰りたいと言っているので、迎えに来てほしいと連絡が入ります
姉に電話で直接言うと怒られると思って、母が看護師さんにお願いしていました。
父のそばにいるのが、耐えきれなくなったようです。
母をしばらく家で休ませることにして、姉と交代で、父のところに行きました。いつ亡くなってもおかしくない状態でした。
そして、父は母が来るのを待ちきれず、
2020年10月6日、この世を去りました。
最善だと思って頑張っても、努力しても、失敗はするし、後悔することもある。
父のそばから離れた母は、最期に間に合うことができず号泣しました。
お父さん、間に合わなくてごめんなさいと…。
それでも、それが、母が選んだ道だから、受け入れないといけないんだよ。
私は病室で、父の変わり果てた姿を見ても、なぜか涙が出てこなかった。悲しいのに、胸が苦しいのに、なんでかな。
やることが沢山あってバタバタと動き回りました。
身内のみで、父をお見送りすることに。
結局、向こうから連絡してこないからと、弟さんには亡くなったことを伝えなかった母。
その日は、天気が悪く雨が降っていました。
父の周りに花を並べるときに、やっと涙がこぼれてきます。思い出が沢山、よみがえってくる。
釣りをするのと、映画鑑賞が好きだった父。
成人してから、夜に一緒に、ぷよぷよ対決をして遊んだっけ。
笑うのが苦手だった、父の顔を思い出した。
本当に、よく頑張ったね。お父さん。
今まで、ありがとう。
何度も何度も、父に伝えました。