こんばんはー野良難病のあーさんです。
12月の初旬からひいている風邪が治らんーー
でもいつも鼻水と痰で、湿ってるからインフルエンザにはかからないのか?
そんな利点の可能性を考える今日この頃です。
記録です。
--------------------------
検査入院後から1日5mgのコートリルが処方されました。
わたしが受けていた治療は低量ホルモン補充療法です。
視床下部性の副腎皮質機能低下症で
病因がはっきりしている人。
基礎値がボーダーな人。
そんな人に勧められるのが、「低量ホルモン補充療法」です。
落ち切ったコルチゾールは少量のコートリルで補充しながら、抑制のかかったHRA系を正常に戻していく方法です。
少しずつ断薬していく方法です。
わたしの主治医に言わせると、低量ホルモン補充療法を経た人で、一年以内に正常に戻る人が多いとのこと。
2年を超えて戻る人は診たことがないとのことでした。
副腎皮質機能低下症は、医原性の人が一番多いそうです。
喘息やアレルギー、膠原病などステロイドとの付き合いが長い人…ですね。
多いはずの副腎皮質機能低下症の人、あまりネットで見かけません。
下垂体機能低下症に移行する人以外、どこに行っちゃったんだろう、と思ってました。
つまり、治っている…?
そういう風に思ってます。
そんな低量ホルモン補充療法の話です。
低量ホルモン補充療法では、最低限のコートリル以外は手渡されません。
少なくとも私が通った二つの大学では、そのようなやり方でした。
副腎グリーゼを起こすリスクは下垂体性の副腎皮質機能低下症と同じです。
内分泌の医師がこの治療法を選んだ時、依存を断ち切るためにも強固な意志を持って断薬するので、シックデイ用のコートリルは頼んでももらえませんでした。
麻薬の断薬みたいなノリ?
あったら飲んじゃうでしょ、ぐらいな。
--------------------------
2016(平成28年)/8/21
退院後、一日5mgのコートリルを処方される。
目まぐるしく変化した生活や体調を友人たちに伝える余裕もなかったです。
電話を受けてもPHSが重くて長く話すことができなかった。
生活は、婚約者に金銭的な援助を受けていました。
療養が一年に渡ると予想され、無駄な出費を防ごうと、当時の婚約者と家族で一緒に住み始めました。
起床後、6時間ぐらいは起きていられる程度でした。
コートリル5mgをできるだけ飲まずにがんばり、その後飲むと車で買い物に行けました。
スーパーのカートを杖代わりに掴まりながら歩く感じ。
牛乳程度のものが全て関節痛と筋力低下で持ち上がりませんでした。
わたしは食事と洗濯担当。
ネットスーパーで重いものを頼み、生物は買いに行きました。
買い物と言うよりは外界との唯一の繋がり?
ネットさえ長く出来なかった頃なので
「生きている」と実感できる唯一の時間でした。
こんな状態で生意気にもポケモンGOをやっていて。
もしかしたら夏休みが終われば小学生に勝てるのでは??と胸を躍らせて
車でポケステーションの下で待機していたのが懐かしい
コートリル5mgを飲んで動けるのは3時間ほどで、料理と洗濯をして疲れて寝る…を繰り返している期間です。
長く起きれていたとしても立ち上がるのに介助が必要だったので、とにかく自分のベッドに一日中いた…そればかりの記憶です。
トイレはかろうじて一人で行けました。
12月初旬まで変わらない生活をしていました。
--------------------------
2016(平成28年)/9/7
T医大
再診
7:00
朝食を摂り、コートリル5mgを服用しての採血
受診にはT医大まで往復タクシー使用。
ユースケ・サンタマリアにうり似のふわチャラした主治医でした。
ACTH 19.7 正常
コルチゾール 5.3
一か月後に再診日が決まる。
教授会の結果が出るまでこれといって変わった話は出ませんでした。
--------------------------
2016(平成28年)/10/11
T医大
再診
7:00
朝食を摂り、コートリル5mgを服用しての採血
受診にはT医大まで往復タクシー使用。
ACTH 29.2 正常
コルチゾール 6.1
ACTHがどんどん上がってくるのが嬉しかったけれど、コートリルを服用してのコルチゾール6.1は、体感的に変わりがありませんでした。
--------------------------
2016(平成28年)/11月
教授会でカルテ開示にOKが出る。
主治医に事務請求用紙を渡してあるので受け取ってください、とのこと。
送ってくださいと言っても送ってもらえなかった。
また不思議なことだな…。
この時、怠くてしばらくしていなかったPCで検索してみた。
T医大の内分泌内科の医師は、教授と助教以外すべてN県のN大学出身の医師で構成されていた。
外来の筆頭は、初診時の主治医。
外来に出ているすべての医師は、あの初診の医師の後輩だった。
うーん嫌な予感しかしない。
--------------------------
療養期間の間に取りたい資格があって。
その資格の期間(このぐらいこの仕事に従事したよ)を稼がなくてはならなくなり、友人が経営している訪問介護事業所で雇ってもらう。
一週間に1回30分。訪問介護で仕事をした。
30分働くことで、その前二日間は寝て補充。
そのあと二日間はヘタレて寝ている。
30分働くために一週間に四日寝ている…
なんてこったい
訪問介護のお客様は、どの事業者もお手上げになった世界一気難しいひとだった。
「15cmのトイレットペーパーで排便を拭き取りなさい」
みたいな、自分がシンデレラになったか?ぐらいの難問ばかりだった。
どんなに勉強しても、どんなに経験しても、この世界には終わりがない…
それでも、11月から翌年の5月までの半年間。
週に1回30分、その方に会いに行った。
絶対ムリ、と思ったお客様だった
その方は体がとても痛くて。どなたが来ても誰かに当たりちらかしたかった。
その人に楽になってもらったり、少しでも気持ち良いと思ってもらう努力はすべて水の泡となった。
その方は「ほっといてもらいたい」という気持ちを全身で表していただけだった。
病気の辛さゆえに、「冷たくされたい」と願うそんな気持ちもあるのだ、と勉強させてもらった。
一言もしゃべらず、黙々と働いているうちに、最後の方は、トイレットペーパーはいくらでも使わせてくれた。
わたしが血だらけになってむいたリンゴを(コルチゾールが足りなくて手が震えちゃって)
「おまえ殺す気か」と大笑いして捨ててくれた。
その方は、今でも名前の付かない神経難病。
amazonを駆使して、一人で楽しむ孤高の人。
痛みも辛さも計り知れない、そして何十年にもわたって電動アシスト車椅子を乗りこなしていた。
同じ難病というくくりでも私とはなんという違い…
絶対にこの経験を無駄にしないと誓った。
--------------------------
2016(平成28年)/12/7
T医大
再診
7:00
朝食を摂り、コートリル5mgを服用しての採血
受診には車に載っていけるようになる。
ACTH 57.7 正常
コルチゾール 12.8
数値は立派に出ていました。
自分で車に乗れるようになったりしていましたが、関節痛や身体が怠いことには変わりがありませんでした。
この時から、血中のコルチゾール測定値とその時の体調には開きがあると確信めいたものがありました。
それが下降している途中なのか、上昇している途中なのか、それともそんなに安定していないものなのかはわかりません。
健常な人の血中コルチゾール値は、必要な時10倍も出る。
そして必要ない時にはシュッと元の正常値に戻してしまうのだから。
少なくてもコルチゾールを自家発電できる人は、そんなに安定しているものなのだろうか…
ここまでは出せる(副腎不全時)、そういう程度であって、安定供給されるものではないな…と体感していました。
診断前には、コートリルを服用もせず、低いコルチゾール値でも電車に乗ったり動いたりすることができた。
今はコートリルを服用していてさえ、半日元気な時があっても、そのあと一週間は寝て過ごすしかないような体調でした。
この頃、疲れや起きていられる時間が少なく、突っ込んだことを調べきる体力がありませんでした。自分のことが熱心に調べられない。
調べようとも思えないぐらい怠い毎日でした。
「無理し過ぎたらいけない、でも少しずつほんの少しずつ頑張って疲れすぎない程度に少しずつ、少しずつ動いていくのがコツ」
主治医に言われましたが、具体的に全然理解できませんでした。
だって頑張ると翌日寝込んじゃうのに?
主治医に、カルテ開示の事務請求の用紙をもらいたいと話すと
「カルテ開示はしない方がいいよぉ~」
「僕はしなくていいと思うよ」
「紹介状もこんな中途半端な状態じゃあ書けないよ」
「でも通うのが大変です…車で来ていて駐車場代がすごくて…」
「そうね…ここ駐車料金が高いからね…」
「じゃあさ、あんまり通わなくてよくしてあげるから」
「あと3回、3回通ったらもうコートリル飲まなくていいから、3回だけ通ってきて」
どんなに紹介状を書いてもらいたくてもいなされ、カルテ開示もダメ…
一番よくない結果になりそう…最悪だ。
わたしが病気になったのは最初はストレスや疲労から、副腎疲労のような気もするし、それに輪をかけてステロイドを服用したからかなあ…と思っていた。
長い経過をじっくり診てくれる病院に行きたかったのだ。
なんでもなくても、途中調子悪くなれば血液検査をしたり相談したりできる病院が良かった。
あと3回通って終わりと決めつけているのが不思議で仕方ない。
治るんならそれでいいけど。
こういう病気がそんなにスパっと治るもんかな?
という疑いが自分の中で晴れなかった。
T医大の医師は、視床下部性であることを、「気のせい」とまではいかなくとも「病気ではないんだから」というニュアンスで話す医師ばかりだった。
一過性であっても同じリスクなのにな。
いつしか、自尊心をも失っていった。
帰りに、元気なく清算を済ませ一階ロビーを横切ると…
「カルテ開示の事務請求はこちら」
という新コーナーが出来ているのを見つけた。
え~普通に、普通ルートあるんじゃん…
なんでわざわざ主治医に用紙を渡したんだろう。
N医大グループのことが浮かんだ。
正規ルートで取ったら普通にもらえたりしてw
もらえたらウケる。
用紙をもらい、記入して必要なものを揃えて事務請求を終わらせた。
これからT医大の診察には音声を録音するしかないな、と録音装置を買って帰った。
--------------------------
カルテの開示をして、一か月かからずにすべてそろった。
CDに焼けるものは一番お手軽で
CD 1枚 1500円
アナフィラキシーを起こしている最中のMRI検査もコマ送りですべてもらった。
検査記録もすべてCD1枚で済んだ。
2016/8/8~2016/9/7の
〇カルテの開示
〇看護記録の開示(これは興味があったから)
紙ものはそこそこの値段で
CD1枚と紙べースの記録のコピーと合わせて15000円ぐらい。
送料込みで18000円程度だった。
笑うしかない。簡単に取り寄せられました。
主治医が、主治医のグループが?
カルテ開示をしたくなかっただけ。
理由はわからないけど、カルテが手に入ったので半分は達成。
再診は二カ月後の2017/2月となる。
--------------------------
T医大と並行して、以前血液検査した膠原病のクリニックには月イチで通っていた。
T医大では関節痛に対して痛み止めが処方されなかったからだ。
膠原病のクリニックでも、コルチゾールを測ってみようとのことでT医大で受診がない時は、膠原病のクリニックでコルチゾールを測っていた。
膠原病のクリニック
計測時間は
11:00
食事を摂って
コートリル5mgを服用して
ACTHは、正常ラインを行ったり来たり
コルチゾールは 2.0~3.0の間だった。
コートリル5mgを服用しても昼前には正常値を割ることがわかった。
生活では、買い物に行った時
「もう疲れたダメだ」
と思った後に、エレベーターを使って帰るところを、階段を歩いて降りて帰る…
そのぐらい地味に「無理」を積み重ねていた。
関節痛は相変わらずだったが、痛いことを我慢すれば、この積み重ねが一か月経つと
「もうダメだ」
となってから30分出歩けるようになっていた。
主治医はチャラく見えたが、そのアドバイスは内分泌内科の医師らしいな…正解、と思っていた。
--------------------------
2017/1月に介護福祉士の試験があったので、一日置きに2時間ずつ勉強した。
勉強はコルチゾールを喰う。
翌日はまるで使い物にならなくなった。
一週間に3回整体に行かないと体調が保てなかった。
療養中は病気をした当初の目標通り、資格を取りまくる作戦だった。
試験当日は、こっそりコートリルを10mg飲んだ。
車で移動する
試験会場で緊張する
気持ち悪い…
午前と午後のテストで気力が続かない…
こんなことがあり、10mg飲んでも急にはよくならなかった。
とにかく試験中は飴を10個口に入れて挑んだ。
昼休みは車の中で死んだように寝る。
案の定、問題はすべて解くことはできなかった。
自信なかったが、現状できることの精一杯はがんばった。
翌月、資格証が届いた。
やっぱり人間ていいことと悪いことは半々。
嬉しかったが、試験後は半月寝込んだ。
--------------------------
2017(平成29年)/2/8
T医大
再診
7:00
朝食を摂り、コートリル5mgを服用しての採血
ACTH 24.5 正常
コルチゾール 9.3
コートリル5mgが1日おきとなる
再診は一か月後
この時には、アドバイス通り、少しずつの無理をして「治るんじゃない?」と思えていた。
電車に乗れるようになっていた。
地下通路で体調を崩してうずくまって休んだりしたが搬送されるほどではなかった。
この時から、電車に乗る時はダイソーで売ってる300円の折り畳み踏み台をリュックに入れて持ち歩いた。
二代目の踏み台
都会の連絡通路なんて、踏み台に座った人なんて見ていないのだ。
だって、具合悪くて壁にもたれて寝てしまった時でさえ、誰にも声はかけられなかった。
なんか反対に便利。恥知らずでよかった。
こういうのなんとも思わないわ。
よしゃ、これで具合が悪いからと「イス」を探して彷徨ったり倒れたりしない。
ましてや、その度に必要なお茶代の高いこと…
いちいち1000円札が飛んでいく。
すっかり折り畳み踏み台が便利で好きになっていった。
訪問介護は変わらずやっていたので、働くその日にコートリルを服用する日を当てるようにシフトした。
--------------------------
3月に入り、事件が勃発する。
生活を援助してくれている婚約者の様子がおかしい。
とにかく寝てばかりいる。うつ?
これから結婚するであろう人が難病だったりするとうつになるのか?
もう春には結婚しようか、となっていた。マリッジブルー?
心配だったので、いろいろ聞いてみた。それでも何がどうしてか自分でもわからないぐらい疲れているようだった。
神経内科行ってみる?いろいろ言ったが休めばなんとかなると言う。
結婚することも楽しみにしているという。
もう金銭の管理をして欲しい、と通帳を渡してきた。
彼は介護度5のレビー小体型認知症の母親を家で介護して看取った男。
わたしは親を大切にしている人が好きだった。
介護が災いしたのか、出会ったときから彼はE●だった。
その前にしたという離婚も響いていたのかもしれない。
わたしもその頃から調子が悪かったので、出会った頃にはもう男女の仲とかどうでも良かった。ちょっと変わっているかもしれないけど、男女の関係がない彼と彼女だった。
彼は母親が亡くなった時、うつになったが、ほどなく完治した。
以前のそれとは違う…腑に落ちない…なんか腑に落ちないが多いわたし…
母親が亡くなった時、介護中に溜めていた税金などがあり、駅前の一等地のマンションを売る手続きを代行したのはわたしだ。
介護で大変だったとはいえずいぶん税金溜めてたなあ…マンション売らなかったらヤバかったでしょ…というぐらいだった。
そのあとわたしは看護学校に進学したり病気の進行が酷くて、彼どころではないという2年を過ごしていた。
そして通帳を確認すると…
人の通帳を詮索するのもなんだけど、2200万以上で売れたマンションだったから
あれから車買ったりなんだりしててそれでも1500万ぐらいはあるだろうぐらいにおもっていたのだが。
500万しかなかった。
どうしたの?と聞くと、黙っているので通帳を順を追ってみてみた。
ひと月15~20万ぐらいなにかにつかっているようだ。
その時、彼はのれん分けしてもらいたい職人仕事をしていて。
手取りが11万ぐらいしかなかったのだけど。
手取りより多い金額を、マンションが売れてからすぐに使い始めている。
彼は以前からわたしと結婚したがったが、職人仕事をのれん分けされるまで無理だよ、と断っていた。
的サービスの女性に使ったそうだ。
あれ?E●じゃなかった??
だんだん使う額もでかくなっていって。
初めて一緒に住み始めて最初に迎えたクリスマスあたりに40万ぐらいつかっている…
どんだけやってるねんて…覚えたてか
よく話し合って
「お金が入ったから人が変わってしまった」ということになるけど
そこでもまだ腑に落ちなかった。
わたしは家族を支えるお金を捻出してきた
お金を稼ぎ出すことに時間を費やしてきた。
自分の給与以上にお金を使える感覚を持った人と結婚できるとは思わないし、彼はまだ何かを隠している。
でもコルチゾールが足りなかった。
深く考えることもできない…
そんな時、彼を雇う職人の社長からわたしに連絡がきた
「どうも…会社の車で事故を起こしたようだ。こどもみたいな嘘をついてバレてを繰り返している」
一体なにが起きてんだい…
--------------------------
誰もがわかるようなうそを簡単について
怒られると泣く
あれ?この人こんな人だっけ??
何十年も水道関連の職人をしてきた人だから
どんなに辛い仕事かわかるので
根性あるな、とか体力あるな、とか思ってきた。
何十年も働いてきたことは間違いはない
給与も手取り50万ぐらいとれる仕事だ
しかも10人会えば会った人が口をそろえていい人だというひと。
私とは全然違う。嫌われない人なのだ。
いまなぜこどものようになっている??
買いたいだけ女を買う衝動性。
いつから??
今まで引っかかっていたことを総合して、彼が大人の発達障害、ADHDではないか。
ということになった。
わたしは、あなたの責任を取れると思わない。
自分がこんな状態なのに。
でも現実、この人は野垂れ死にコースだと手に取るようにわかった。
なぜか覇気も生活力もすべてを失っている。
わたしはとりあえず別れる。
とても一生涯を過ごせる人とは思えない。
すごくショックを受けちゃったし、わたしが病気なのによくそんなことできたなーって気持ちがあるから、あなたの貯金は半分慰謝料としてもらいます。
そこは療養生活中だったので遠慮なくいただいた。
それで、仕事を紹介するから。
次の職につくまでの間治療して。
いまの社長とは話し合うから。
いまの仕事はいまのあなたにはできないよ。難しいから。
一年、教育をするよ。あなたが一人で生きていく教育をする。
そしたら一人で生きて行ってください。
ということになりました。
神経内科ではADHDだということをにわかに信じなかったが。
適正テストを受けてADHDで満点を取ってきたのだ。
19才までに処方されなければ滅多に処方されない麻薬扱いのストラテラが処方される
やっぱりな。
ストラテラが処方された。
ストラテラの効き目はすごい。
一か月で見る間に元気を取り戻した。
わたしは介護をしている彼しか見たことなかった。
彼は元々ADHDだったのだと思う。隠れた自分でもわからないほどの。
長い結婚生活を過ごしていた妻がいたらしいが、母親の自宅介護でうつになり離婚していったらしい。
話を聞いていても、彼をみても。
なぜ子供を作らなかったのか、それがわからなかった。
別れた妻は、彼がこのような男ということを知っていたのだ。
リーマンショックで仕事を失った水道職人。
彼は好きな母親のためにする介護は何も苦ではなかったのだ。
夢中になっていただけ。きっと仕事は今のように見つけてこれなかっただろう。
手に取るようにわかった。
亡くなってお金が入ってきたら、税金もマンションを売ってきれいに片づけたら
ストレスもなくなって衝動性が一気に噴き出したんだと思う。
引っ越しをしてもらい、食事作りを教え、必ずお金が貯まる方法と物理的なやり方を授けた。猿でもできる方法。
2018/6月まで教育しました。
2017/7に、わたしの友人が主任をしている病院へブッ込みました。
そこは救急指定の病院で規模もそれなりにあり、バカでは務まらないところだけど
ストラテラは、難しいはずの急性期の看護助手をも務められるようになる。
今ではとても頼りにされていて、病院のスタッフとバンド組んだりしてるらしい。
本人も人生中、一番うまく行ってるらしく、楽しくてしょうがないと言っていた。
その病院は、本人が病気になって受診してもお金は0円のところ。
キツい仕事だけど、定年以降も契約社員制度も充実していて。
身体が丈夫な人は75を超えても働いていた。
ボーナスも他の病院とは比べ物にならないぐらい出る。
本人がやる気になればだけど、十二分にやり直せる職場だった。
あとはちゃんと貯金できているか…
それを最後に確認していた時。
このブログの一番最初に書いた「水着3着」事件が起こるw
彼の上司でもあり、わたしの友人でもあるM主任に「水着3着」事件を相談。
「もう、さ。いいと思うよ」
その一言で、わたしはフーーーーーッと肩の力が抜ける。
もう自分のことだけ考えて生きていけばいいんだ…
わたし……また人を好きになったりしていいんだなあ…
すげー解放感。
でもまあよくがんばった(わたしが)
もう卒業ということにしよう。
もう十分。それから、彼とは茶のみ友達。
よくご飯をおごってくれるのでホイホイついてってしまうが、もともとわたしと彼とは男女の仲はないのだw
なにを差し引きしても失ったものなどない
男友達が増えたなあ、て感じでいまは過ごしている。
#副腎疲労
#副腎疲労症候群
#視床下部性
#副腎皮質機能低下症
#低量ホルモン補充療法
#カルテ開示
#離婚
#介護職
#コートリル
#コルチゾール
#ストラテラ
#ADHD