Praha でコーギーと♪ 

Praha でコーギーと♪ 

古都プラハ犬コーギー犬との家族の日常を綴ったブログです。プラハの話、犬との生活、勤務先の学校の話、チェコ語、日本語、料理、クラシックのコンサートなどなど、自分の記録です。長々と放置していましたが、また2022年7月から復活しました

ヴェレフラッドへの小旅行から戻ってきた後、ワイナリーでもう一度ワークショップをしました。

今度はお寿司ではなくて、餃子です。

とは言っても、タネを準備してと言うのはなかなか大変だし、みんな早くワインも飲みたいでしょうし、タネは数日前にプラハで準備して冷凍したものを持っていきました。餃子の皮もプラハで購入したものです。

前日のお寿司のワークショップのときに明日もワークショップやるのよと話したら、みんな何を作るのかと聞かれGyoza と言ったら、みんな餃子知ってるんですね。わーあ、餃子、おいしいよね、いいよね。皮はどこで買うのとスロバキアの小さな村のみなさん、とっても詳しいので驚きました。

昨日の続きで抹茶シフォンケーキとパウンドケーキを皆さんに振舞ったらとっても喜んで食べてくださいました。









お友達が作ってくれたあんこも口に合ったようで、たくさん食べてくれました。

まずは、餃子の歴史やミニ知識をパヴェルに読んでもらって、それから、みんなで餃子を包みます。たくさんたくさん参加してくれたので150個ぐらいの餃子、あっという間に包みあがりました。それから、プラハから持ってきた、ホットプレートでドーンと2回焼きました。たれはお醤油とお酢を混ぜただけのものですが、みんな箸とかを準備する前に手でパクパクと食べてくれて、すごく喜んでもらえました。

餃子はやっぱり人気ですね。ワインとも合うし。こんなモラヴィアのミロティツェのワイナリー群の中での小さな活動。

私たちもとても楽しめました。秋に行く予定だけど、さーて次はどんなワークショップがいいでしょうね。

 

モラヴィアの2日目、ヴェレフラッドまでの小旅行です。

ヴェレフラド(Velehrad)」という静かな村がはキリスト教の聖人キリロスとメトディオスにゆかりがあり、チェコの人々にとっては信仰のルーツ、まさに「心の聖地」と呼べる特別な場所です。

本当に小さな村なのですが、大きな大聖堂が立ち、修道院やカトリックの高校などがあり、村と言ってもなんだか小さなバチカンのような不思議な神聖な空間です。









しかし、今から70年ほど前の1950年の春、この神聖な場所は国家権力による「暴力の舞台」へと変えられてしまいました。

当時、チェコスロバキアを支配していた共産主義政権(裏で糸を引いていたのは秘密警察「StB」)が、キリスト教の力を根絶やしにするために実行した恐ろしい弾圧がありました。

1950年4月13日真夜中のことでした。 聖地ヴェレフラドにあるイエズス会の修道院に、銃を持った秘密警察(StB)や武装した民兵たち、およそ25名がバスを連ねて押し寄せたのです。当時、ここには25人の修道司祭(神父)と修道士、実務を担う修道兄、そして未来の聖職者を目指す46人の若い修道候補生たちが暮らしていました。

中にはまだ18歳ほどの少年のような若者も多く含まれていました。

眠っていた彼らは叩き起こされ、食堂に集められ、何の説明もないまま、パニックと恐怖の中、神父や若者たちは一人ずつ武装した男に監視されながら、荷物をまとめさせられました。行き先も知らされぬまま、待機していたバスへと押し込まれていったのです。

なぜ、武器も持たない信仰に生きる人々が、連れ去られなければならなかったのでしょうか。

当時の共産主義政権にとって、神を信じ、独自のコミュニティや教育活動を行う教会は、「自分たちの思想(洗脳)に従わない最大の敵」だったからです。

当時の共産党独裁は「神父たちは裏で武器を隠し持っている」「国家転覆を企むスパイだ」という嘘の噂を流し、彼らを悪者に仕立て上げました。 しかし実際には、彼らの武器は銃ではなく「信仰」と「知識」、そして人々からの「信頼」でした。それこそが、独裁政権が最も恐れたものだったのです。

ヴェレフラドから連れ去られた神父や若者たちは、ボジ・ダールやボホスドフそして、ジェリフといった、別の場所に作られた「中央集中化修道院」と呼ばれる事実上の強制収容所へと送られました。

そこでの暮らしは、およそ信仰生活とはかけ離れたもので、祈りや集会は厳しく禁止され、ダム建設や鉱山、工場などでの過酷な強制労働、徹底的な共産主義の思想教育(洗脳)でした。

当時18歳だったある候補生は、後にこう振り返っています。「私たちはただ怯えていました。当時、有名な神父たちが次々と見せしめ裁判にかけられていたのを知っていたからです。私たちはダムの建設現場に送られ、肉体労働を強いられました」さらに、彼らが去った後の美しいヴェレフラド修道院は、 StBの男たちによって荒らされ、貴重な歴史的蔵書や美術品、家具が略奪されました。その後、建物は教会としての機能を奪われ、国の社会福祉施設へと変えられてしまったのです。

この1950年の「アクションK」と呼ばれる出来事によって、チェコスロバキア全土で2,000人以上の修道士が拘束され、200以上の修道院が閉鎖されました。政権は「これで宗教は死んだ」と思ったことでしょう。収容所から解放された後も、多くの神父たちは数年後に再び理不尽な罪を着せられ、何年もの禁錮刑を言い渡されました。

しかし、彼らは 監視の目を盗んで秘密裏に祈りを捧げ、地下活動として次の世代へ信仰を伝え続けた人々もいました。

1989年、ついに共産政権が崩壊(ビロード革命)すると、ヴェレフラドの修道院は再び教会の手に戻りました。1990年には、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世もこの聖地を訪れ、苦難を生き抜いた人々を讃えました。

現在、ヴェレフラド修道院の壁には、あの運命の夜を忘れないための記念碑が掲げられています。それは、権力の暴力がどれほど激しくとも、人間の信仰と自由への意志は決して踏みにじれなかったという、歴史の証人としてそこに佇んでいると思いました。


ここを訪れた翌日は日曜日だったので、ミロティツェの友人たちとミサに行きました。

そして、とても印象的だったことがありました。ミサの終盤、神父様が「祈りましょう。」といくつかの事柄についておっしゃって、みんなで祈るのですが、病で苦しんでいる人々、戦地の人々のことなどはもちろんおっしゃいます。そして、「どうか、メディアで仕事をされているジャーナリストの人々に祝福をお与えください。」とおっしゃったのです。そして、「どうか彼らが公平で正しい報道をしてくれますように。」と祈られました。教会のミサの中です。

世界報道自由度ランキングでチェコは世界ランキング10位です。そして日本はなんと64位、もちろんG7では最下位なのです。先日もメディアは政権に渡さないという大きなデモが学生主導で行われていました。人の心が動かされてしまうメディア報道が大切なものであるのをチェコの方はよくわかっているのだと思いました。あの教会での祈りの言葉、日本に届きますようにと祈らずにはいられない思いでした。

 

今回もミロティツェの滞在は2泊、朝のワイナリー群の散歩もゆっくりと楽しんだ3日間でした。











ユリンカもあちこち引っ張りまわしましたが、元気に楽しんでくれました。お疲れ様。

金曜日から約半年ぶりにモラヴィアのミロティツェに行ってきました。

今年のワインがおいしく出来上がっているとのこと、それに伴って、友人一家の次女のヤナからお寿司のワークショップをしてほしいと頼まれました。

昨年も1回やったので、今回は2回目です。今回は私たちの他に日本人の友人のNさんもご一緒してお手伝いしてくださりました。感謝です。プラハを朝の11時ごろ出発、途中いつも寄るレストランでいつものおいしいスープを頂き、



それから、ブルノ当たりの高速が混むかなと心配したのですが、スムーズに通過し、キヨフで注文していたスモークミートを受け取り、モラヴィアの絶景の平原を見て、




16時半ごろミロティツェのヤナのうちに到着。パヴェルとユリンカはセラーのほうに先に行ってもらいました。

ヤナは英語の先生をしていて、彼女の生徒さんたちがメインでこの日は英語だけによるお寿司のワークショップです。参加者はは私たちの他に7人、3人はなんと国境を越えてスロバキアから来てくれました。ミロティツェはスロバキアの国境まで20キロもなくて近いのですが、やっぱり、国境を越えてワークショップに来てくれるって、島国で育った私にとってはなんだかとっても不思議な感覚なのです。みんな、若いママたちで、キラキラしています。



今日は中ぐらいの大きさの巻き寿司を教えることにして、中身は1.沢庵とニンジン2.チキンナゲット、レタス、オーロラソース、3.サーモンのフレーク 4.ツナマヨ 5.カニカマときゅうり とみんなこちらで入る材料ばかりで、5種類作りました。









お寿司はチェコでもスロバキアでも大人気で、みんな大好きです。 持って行った、抹茶のシフォンケーキとあんこもみんなおいしく食べてくれました。ワインやシャンパンを飲みながらみんなでおしゃべりをしながら楽しく作りました。まずはやって見せて、それぞれ作ってもらいます。大きさはバラバラだったけど、とてもおいしくできました。

モラヴィアの小さな村、ミロティツェでこんな会が催されるなんて、本当に時代が変わったなあと思うのです。

私たちも一緒に楽しんだ素敵な時間でした。19時半ごろお暇して、私たちはいつものヤナとフランタのセラーに急ぎます。いつもの温かい顔ぶれ、持って行ったみんな喜んで食べてくれました。

地下でテイスティングして、セラーに座って、話が始まり、歌を歌い、今回は深夜2時までセラーにいました。

久しぶりのとても楽しい夜でした。





ユリンカもお疲れ様。