モラヴィアの2日目、ヴェレフラッドまでの小旅行です。
ヴェレフラド(Velehrad)」という静かな村がはキリスト教の聖人キリロスとメトディオスにゆかりがあり、チェコの人々にとっては信仰のルーツ、まさに「心の聖地」と呼べる特別な場所です。
本当に小さな村なのですが、大きな大聖堂が立ち、修道院やカトリックの高校などがあり、村と言ってもなんだか小さなバチカンのような不思議な神聖な空間です。

しかし、今から70年ほど前の1950年の春、この神聖な場所は国家権力による「暴力の舞台」へと変えられてしまいました。
当時、チェコスロバキアを支配していた共産主義政権(裏で糸を引いていたのは秘密警察「StB」)が、キリスト教の力を根絶やしにするために実行した恐ろしい弾圧がありました。
1950年4月13日真夜中のことでした。 聖地ヴェレフラドにあるイエズス会の修道院に、銃を持った秘密警察(StB)や武装した民兵たち、およそ25名がバスを連ねて押し寄せたのです。当時、ここには25人の修道司祭(神父)と修道士、実務を担う修道兄、そして未来の聖職者を目指す46人の若い修道候補生たちが暮らしていました。
中にはまだ18歳ほどの少年のような若者も多く含まれていました。
眠っていた彼らは叩き起こされ、食堂に集められ、何の説明もないまま、パニックと恐怖の中、神父や若者たちは一人ずつ武装した男に監視されながら、荷物をまとめさせられました。行き先も知らされぬまま、待機していたバスへと押し込まれていったのです。
なぜ、武器も持たない信仰に生きる人々が、連れ去られなければならなかったのでしょうか。
当時の共産主義政権にとって、神を信じ、独自のコミュニティや教育活動を行う教会は、「自分たちの思想(洗脳)に従わない最大の敵」だったからです。
当時の共産党独裁は「神父たちは裏で武器を隠し持っている」「国家転覆を企むスパイだ」という嘘の噂を流し、彼らを悪者に仕立て上げました。 しかし実際には、彼らの武器は銃ではなく「信仰」と「知識」、そして人々からの「信頼」でした。それこそが、独裁政権が最も恐れたものだったのです。
ヴェレフラドから連れ去られた神父や若者たちは、ボジ・ダールやボホスドフそして、ジェリフといった、別の場所に作られた「中央集中化修道院」と呼ばれる事実上の強制収容所へと送られました。
そこでの暮らしは、およそ信仰生活とはかけ離れたもので、祈りや集会は厳しく禁止され、ダム建設や鉱山、工場などでの過酷な強制労働、徹底的な共産主義の思想教育(洗脳)でした。
当時18歳だったある候補生は、後にこう振り返っています。「私たちはただ怯えていました。当時、有名な神父たちが次々と見せしめ裁判にかけられていたのを知っていたからです。私たちはダムの建設現場に送られ、肉体労働を強いられました」さらに、彼らが去った後の美しいヴェレフラド修道院は、 StBの男たちによって荒らされ、貴重な歴史的蔵書や美術品、家具が略奪されました。その後、建物は教会としての機能を奪われ、国の社会福祉施設へと変えられてしまったのです。
この1950年の「アクションK」と呼ばれる出来事によって、チェコスロバキア全土で2,000人以上の修道士が拘束され、200以上の修道院が閉鎖されました。政権は「これで宗教は死んだ」と思ったことでしょう。収容所から解放された後も、多くの神父たちは数年後に再び理不尽な罪を着せられ、何年もの禁錮刑を言い渡されました。
しかし、彼らは 監視の目を盗んで秘密裏に祈りを捧げ、地下活動として次の世代へ信仰を伝え続けた人々もいました。
1989年、ついに共産政権が崩壊(ビロード革命)すると、ヴェレフラドの修道院は再び教会の手に戻りました。1990年には、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世もこの聖地を訪れ、苦難を生き抜いた人々を讃えました。
現在、ヴェレフラド修道院の壁には、あの運命の夜を忘れないための記念碑が掲げられています。それは、権力の暴力がどれほど激しくとも、人間の信仰と自由への意志は決して踏みにじれなかったという、歴史の証人としてそこに佇んでいると思いました。
ここを訪れた翌日は日曜日だったので、ミロティツェの友人たちとミサに行きました。
そして、とても印象的だったことがありました。ミサの終盤、神父様が「祈りましょう。」といくつかの事柄についておっしゃって、みんなで祈るのですが、病で苦しんでいる人々、戦地の人々のことなどはもちろんおっしゃいます。そして、「どうか、メディアで仕事をされているジャーナリストの人々に祝福をお与えください。」とおっしゃったのです。そして、「どうか彼らが公平で正しい報道をしてくれますように。」と祈られました。教会のミサの中です。
世界報道自由度ランキングでチェコは世界ランキング10位です。そして日本はなんと64位、もちろんG7では最下位なのです。先日もメディアは政権に渡さないという大きなデモが学生主導で行われていました。人の心が動かされてしまうメディア報道が大切なものであるのをチェコの方はよくわかっているのだと思いました。あの教会での祈りの言葉、日本に届きますようにと祈らずにはいられない思いでした。
今回もミロティツェの滞在は2泊、朝のワイナリー群の散歩もゆっくりと楽しんだ3日間でした。





ユリンカもあちこち引っ張りまわしましたが、元気に楽しんでくれました。お疲れ様。