時々、重要なのにうっかり忘れていることが私にはあります。

そして、時々それを思い出させてくれる人が現れます。

自分の経歴や仕事の内容から想起される人物群像に、多くの人から無意識にカテゴライズされる自分のことを私は理解しているつもりです。



それは、仕方がないことだとも理解しています。

ですから、初めてのお人と話をする時はかなり気をつけています。


たとえば、私は頼まれもしない子どもの発達をジャッジはしないし、障害児探しもしません。

占い師がいつも人を占っているわけではないように。

出会った子どもが私に何を求めてきているのかについては、これはおそらく無意識に反応してしまいます。

今は私には関わってほしくないのか、緩やかに人となりを見せてほしいのか、一緒に遊んでと思っているのか。

子どもの存在を感じることがその子どもの困難さへの気づきにつながることはあります。

私がそこにアプローチするかどうかは子どもが決めることであって私が決めることではありません。


このような考えは私の中ではもはや言語化不要の対象になってしまっています。


だから、たまに仕事のスタンスを理解してもらうためにそれをきちんと言語化してお相手に伝える必要があるところで言語化し忘れることがあります。


つい忘れるのです。

それが人を不安にさせたり怖がらせたり、時には傷つけてしまったりすることがあると知っているのに。

私の言葉や態度は諸刃の剣。
忘れちゃいけないよ。
備忘録。