静岡でのセミナーが終わりました。

参加して下さったみなさま。
私の話に耳を傾けて下さって本当にありがとうございました。

支援を要する子どもに対する私の考えや経験は
今のところまだ多くの人が語るそれではないかもしれません。

本当かな?そんなに簡単なことかな?と思われた方も
いらっしゃるでしょう。
それはとても素直な感想で、そういう方にこそ聞いて
頂けて良かった。

もし本当だとしたら、簡単なことだとしたらと、
私の話を仮説のひとつとしてぜひ検証してみて下さい。


さて、本セミナーの後の番外編とその周辺の時間に
みなさまから質問をお受けしました。

印象的でいい質問だったので、ここでご紹介することを
お許し頂きたいと思います。

私の考えを昨日よりも少し整理してみました。
ご紹介します。

質問①
子どもの自ら育つ力を信じて、余白としての大人の
役割が大切な一方で、時には「教える」ことも大切だと思う。
ななつ星ではそのバランスをどのように考えているか。

答え①
ななつ星では知的概念を教える教師としての役割と、
共に遊ぶ仲間としての役割の両輪が可能である。
その時の子どもの様子で、「今日はどちらに重心を置くか」を
決めて取り組んでいる。
環境として両輪が許されない場合は、自分がどちらに重心を
置くか決めたら良いと思う。
中途半端にやるよりはまずはひとつどちらか決めてやってみると
自分の強みがどちらにあるか見えてくると思う。


質問②
保育士の持ち物や服に強い興味を示すがおもちゃなどには
なかなか興味を示さない子どもがいる。遊びが発展しない。
何か良い方法はないか。

答え②
それによって仕事に大きな支障がないのであれば、
子どもの要求を受け入れて良いのではないか。
子どもの「内」に育つ力を信じて信頼関係を築く工夫を。
子どもから信頼を得る大人は子どもに「心地よい快」を
伝えることのできる人。


質問③
ごっこ遊びなどの具体遊びばかりで
抽象遊びに移行しない子どもがいる。
なぜだろう?

答え③
これはとてもいい質問だった。
昨日はうまく答えることができなかったので、ここで。

そもそもこの質問の根底には、
抽象度が高ければ高いほど「発達的に高い水準」であるとする
ピアジェの発達理論があるのではないか。
彼の理論はもはや無意識のレベルに作用している。
具体と抽象のどちらの遊びも自由に楽しめることが豊かな
遊びにつながるだろうが、それが子ども時代に表出しなくても
良いと思う。
もしくは、一人の一生の中で抽象的な遊びが表出しなくても
良いと思う。
抽象遊びの美しさを子どもに伝えたい大人が、多様な遊びへの
種まきができる自分への楽しみとして取り組むと
良いと思う。


番外編でご質問を受けながら感じていたことがあります。
みなさん、本セミナーで同じ話を聞いてもそれぞれ自分なりの
解釈で私の話を捉えて下さっていたことがよく分かりました。

とてもうれしかったです。
伝わること心に残ることは人それぞれ違うし、
役に立った立たなかったも含めて人の価値観に
一石を投じることができたのではないかと思えました。


写真は今回のセミナーとは関係なさそうですが、
百町森の柿田さんが今回の私の話と『ゲド戦記』の
価値観には共通点があると教えてくれました。
早く読みたい‼

百町森さんではゲド戦記の読書会をされているそうです。
あ~、参加したい。いいねぇ。