刑事訴訟法 「排除法則」 | やぐち おさむのブログ

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 〔憲法33条、35条に違反する捜査活動を否定(排除)し、違憲な捜査活動に由来する活動とその成果を否定する(毒樹果実の法理)法則〕=排除法則は、

(1)この法則を用いても、違憲な捜査活動を将来抑止する効果があるとの実証的研究、調査が欠けている

(2)有罪者にだけ役立ち、無実者は本来、無事なのだから、この法則は有罪者を無罪にする反道徳的なものである。

 との相当に理由がある反論があるのに、この排除法則を採用する方が大きな意味があるとの立場がある。

 排除法則を、上記の批判を考慮に入れながら、採用すべきだとする説得的で、一貫性のある理由づけ発見できるとすれば、どのような内容の理由づけだろうか考察する。


 憲法上の重要な基本権、具体的には憲法上保護された領域への他人の不当な干渉、侵入を受けないとの合理的な期待を保護する目的を実現するためにそのような不合理な干渉・侵入をした政府に、それによって入手された資料、証拠等に由来する一切の利益を享受することを許されない法則を排除法則という。換言すると、証拠の収集手続が違法であった場合に、その証拠能力を否定し、事実認定の資料から排除する原則である。


 排除法則の関心は個人の自由の保障に向けられており、被告人の有罪、無罪にあるのではない。すなわち、排除する法則が排除するのは、「有罪証拠」ではなく、「不当な法執行・捜査活動」なのである。個人の自由を侵害し、不特定多数の個人の自己表現に委縮効果を及ぼすような活動を否定するところにこの法則の狙いがある。当の個人の自由が侵害されていない状態に回復すること、他の不特定多数の個人の自由を侵害する活動を抑制するとともに、他の不特定多数の個人が自由な自己表現を差し控えるような委縮効果を持たないようにしようとする要求がこの法則を生んだのである。

 

 1914年のアメリカ合衆国最高裁判所の連邦事件であったウィークス事件(Weeks v. United states,232 U.S.383(1914))で、合衆国憲法第4修正(日本国憲法33条と35条に相応する規定)は不合理な捜索・押収によって入手した証拠の公判での利用を禁止しているとはじめて判示し、この法則を宣言した。ここでは、いわゆる規範節がとられた。つまり「政府は自己の不正な活動によって一片の利益も得るべきではない」という理由づけで、法執行機関が基本権を侵害して入手した非供述証拠の排除法則が採用された。その後、「司法が損なわれていない状態を保つべきだとする至上命令」が基本権を侵入して入手した証拠を排除する法則を支えるという司法の廉潔性の保持説が主張された。さらに、法執行機関による基本権の侵害行為を抑止する目的で排除法則がとられるという政策的見地を顕らかにする抑止効説が説かれた。1961年の合衆国最高裁判所のシャップ事件(Mapp v. Ohio, 367 U.S. 643 (1961))は、この抑止効説に立った。


 排除法則に関する日本の学説は、これを肯定する見解が多数であるが、その証拠について以下の通り見解が分かれている。適正手続きの保障、いわゆる規範節は、憲法は捜査・押収について詳細な手続きを定めており(憲法35条)、しかも適正な手続きによらなければ処罰されないと保障している(同法31条)。これらの規定からの帰結として、憲法35条の規定に反する方法で収集された証拠を用いることは、適正な手続きによる処罰とは認められず、許されないとする。司法の廉潔性の保持説は、捜査機関によって違法に収集された証拠を、裁判所が公判廷において用いた場合には、その違法性を裁判所が引き継ぐこととなり、全体として司法の廉潔性が侵害されることになり、許されないとする。抑止効説は、違法収集証拠の証拠能力を否定することにより、捜査機関に違法の利益を享受させないとともに、将来の同種の違法捜査を防ぐことを根拠としている。


 証拠排除の基準として、大きく二つの見解が存在する。第一は、絶対的排除説である。これは、収集手続きに重大な違法性があった場合には、直ちに排除されるという見解である。些細な手続き違反があった場合には排除されないが、一定限度を超えた違法収集証拠は即排除される。重大な違法の内容は、憲法31条、35条違反に当たる行為や、刑法上処罰にあたる行為、刑訴法上の強行規定に反する場合などである。それに対し、相対的排除説は、絶対的排除説には排除という効果の重さがかえって裁判所の違法性認定を必要以上に慎重にさせてしまうという不都合があると主張している。そして具体的には、複数の基準が定立する。ひとつは、証拠集手続きに後続の手続き全体を不法にするほどの手続き違反があった場合には当然に証拠排除されるというもの、もうひとつは、司法の廉潔性や違法捜査の抑制の目的から、種々の要素を考慮して排除の必要性が決定されるとするものである。

 

 日本の判例は、当初この排除法則について消極的であった(最判昭24.12.13刑集15号349頁、最判昭36.6.7刑集15巻915頁)。証拠物は押収手続きに違法があったとしてもその証拠価値には変わりないからである。しかしその後、「証拠物の押収等の手続きに、憲法35条及びこれを受けた刑訴法218条1項等の所期する令状主義の精神を没却するような重大な違法があり、これを証拠として許容することが、将来における違法な捜査の抑制の見地からして相当でないと認められる場合においては、その証拠能力は否定される」(最判昭53.9.7刑集32巻6号1672頁)とし、抑止効説に立った。


 思うに、違法な手続きによって収集された非供述証拠に証拠能力が認められるが、それについての明文規定がないので問題となる。確かに、違法な手続きによって収集されたとしても、非供述証拠の場合は、その証拠能力自体には変わりない。しかし、このような証拠については、次のような観点から証拠能力を排除すべきである。


 個人の「憲法上保護された領域」を不当に侵害した法執行、捜査機関の活動の影響が、多数の個人の自己決定に不当な委縮効果を及ぼす限度で、その不当な活動の成果は否定されるべきである。なぜなら、個人の自由の保障の関心は、裁判所での犯人の有罪、無罪に向けられているというより、むしろ「不特定多数の」個人の自己表現を委縮させることになるか否かにある。そこで個人の自由な自己決定を委縮させる効果を除去するためにも、その活動は原状に回復され、矯正されなければならない。このため、被告人の有罪を確実に示している証拠であっても、不特定多数の個人の自由な自己表現に委縮効果を与えるような方法で入手された場合には、その「法執行や捜査の方法」に関心を寄せて排除することが正しいとすべきである。


 次にその証拠についてであるが、わが国には、警察制度内部での規律、検察官と警察との独自の監督、調整関係による規律や法律の制度が用意されている。したがって、規律や法律違反の法執行活動の規律は、この制度に委ねれば足りる。そして、わが国の憲法81条の権力分立の下で、裁判所の完全性が害されない限り、基本権の侵害があっても違法な法執行を審査せずに放置するとの立場をとることはできない。


 したがって、権利章典に定める基本権を侵害し、自由社会の基盤を崩しかねないような法執行活動から政府は一片の利益も享受すべきでないという、いわゆる規範節が最も妥当であると考える。排除法則は、法執行、捜査活動を規律することを目的とする原則であって、公判の証拠排除の方策ではない。直接に法執行活動を規律する憲法33条と35条に定める要件に違反する活動に排除法則が適用され、また、排除法則の実定法上の根拠は、憲法33条と35条に、また身柄拘束を間接的に規律する34条の弁護権を保障する規定に求めるのが正しいこととなる。


渥美東洋著『刑事訴訟法』中大出版部 2001年

渥美東洋著『刑事訴訟法』有斐閣 2001年

渥美東洋著『罪と罰を考える』有斐閣 1996年

渥美東洋著『レッスン刑事訴訟法〔中〕』中央大学出版部 1995年

松尾共編『刑事訴訟法判例百選』別冊ジュリストNo148  有斐閣 1998年

田口守一編『争点ノート刑事訴訟法』法学書院 2000年