平成6年(1994)の小林信彦「日本人は笑わない」を読み返しているのだが、美空ひばりに関する記述があって興味深い。
レコード大賞の「柔」が28歳、「悲しい酒」が29歳の時、そして初期の最後の大ヒット「真っ赤太陽」が30歳の時だそうだ。1937年生まれでいらっしゃるから、それぞれ1965年、66年、67年になる。
私は「真赤な太陽」をテレビでみて、「この人は演歌を和服で歌うのが似合う人なのに、こんなロック調の曲でイメージチェンジしたいのだろうけれど、痛々しいなぁ」と思った記憶がある。
1949年に古川ロッパが、美空ひばりの印象として「笠置シズコの真似をする12歳の少女、まことに鮮やかであり、気味わるし」と書いているそうだ。
小林信彦さんは(これは炯眼であり)「その後世間はひばりについて『鮮やか』派と『気味わるし』派に二分される」という。
先日のAIひばりも「気味わるし」だったが、それ以前に美空ひばりという人は「気味わるし」という一面を持っていたのだ。