ラジオからの文字起こしです。

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(森本毅郎)
皆さんのメールを紹介しますが、今日は34年前の前回のバブル景気を経験したことありますか。今と何が違うんでしょうか、と伺いましたところ、バブルを経験したよっていう方のメールが来ましたが、改めてすごいなと思いますね。


江戸川区、62歳の男性、34年前のバブル景気の時29歳でした大いに満喫しました。
当時貿易の仕事をしていました。都内で仕事をしていた時は普段行くことのできないようなクラブで接待され、国内出張ではドンチャンさわぎ、海外赴任では毎日のように日本から出張者が来て接待、本社からはいくらお金使ってもいいと言われお酒は浴びるほど飲みました。その時の羽目を外した生活がたたって、今はお酒の飲めない体になってしまいました。

34年前は給料はいいつまでも右肩上がりが続くと思っていましたが、今の給料はいつまでも上がり続けることとは思えず夢も持てなくなりました。

中央区、69歳の女性。経験しましたよ。35歳、仕事も遊びも全力投球という時代でした。私、部長秘書と部内庶務をしていましたけれども男性社員が会社に要求するとタクシー券をほとんど何も言わずに出していました。(こういういう時代だったね)

庶務室で出す備品請求も大体通りました。当時私が所属している部は、ある大きな賞を受賞しまして受賞記念のパーティーはパレスホテルで来賓へのお土産は2万円のお仕立券つきワイシャツ、来賓一人に1台のハイヤーを手配。それを秘書室は全部認めてくれました。次の年バブルがはじけました。次の年同じ賞を受賞した隣の部の受賞記念パーティーの会場は役員食堂になりました。女子社員は接待費は使えなかったけれどもおこぼれのあったそんなバブルの時代でした。(遠藤:すごい落差)

横浜市81歳の男性。34年前のバブル時代、会社で海外担当をしておりました。たっぷり恩恵を受けましたね。当時50歳前後でしたが、日本の評判は高く、欧米や東南アジアなどの地球規模で出張しました。特に欧米の業界の会議がある時などは保養地に日本の顧客を案内しながら食事会や名所めぐりなどを楽しみ親密な関係を築きました。
もちろん日本からの移動はビジネスクラスでした。
また、国内でも給与が毎年2、3割上がってボーナスもそれなりに増えたので住宅ローンの繰り上げ返済をして定年時にはローンがほとんどなかったのでその後の生活は助かりました。(すごいよな)(遠藤:夢のよう)

埼玉県越谷市の36歳の男性。父が当時旅行代理店から電気メーカーへ転職しました。
都内の事務所に務め出してからすぐにパリの事務所へ転勤になって、私たち家族も5年以上暮らしました。しかし帰国後の2000年代に入ってからはリストラされその後転々と職場を変えた父は旅行代理店時代は良かったなと嘆いていました。
(うーん、だからねぇ、バブル前とね、その後との落差が激しいんだよな)

埼玉県春日部市60歳の男性。バブル時代は証券会社の店頭に株価ボードがあって人が集まっていました。当時クリスマスイブになると多くの人がプレゼントの入った紙袋を持っていましたよ。今のクリスマスイブ、そんな姿ほとんど見られません。駅前にはクリスマスケーキを売る臨時の店がいくつかありました。いくつもありましたが、今は全く見かけなくなりました。

埼玉県本庄市47歳の男性。今にして思えば父親のつとめていた会社の社員旅行や忘年会に家族全員が招かれていたのはバブルの高景気の恩恵だったんですね。宿泊したホテルも豪華でロビーにメリーゴーランドがあるような、すごいところだったのを幼心に覚えています。

国立市58歳の男性。34年前金融機関につとめていました。朝7時出勤、帰り23時すぎのセブン―イレブン生活でした。また週休2日ではありませんでしたが、隔週の土曜日が休みから、週休2日になった思い出があります。お金たくさんもらいましたが、使うヒマもありませんでした。

大田区59歳の男性。まだ22歳で若造とか坊やとか呼ばれてこまづかいでしたけれども、おこぼれだけで十分ご飯をいただけました。夜の街で1万円札をビラビラさせてタクシーを掴まえ、上司から貰ったお礼のチップが1万円。年3回あった定期昇給、ボーナスの社員旅行は韓国やフィリピンでした。

長野県66歳の男性。当時丸の内勤務で32歳。毎日昼休みに日興証券のボードを見ていました。あの大暴落の日も唖然として口を開けてみていた姿が当日のニュースに流れ、翌日上司からお前何を見に行ったんだと揶揄われたことを思い出します。今回の株高は円安による割安感と中国市場から日本市場への資金の流れによるのが主要要因で日本の実態経済はよくないと思いますよ。

八王子市72歳の男性。当時30代後半でバブル真っただ中でした。一部上場の会社に勤務していました。私の部署は残業で23時を超えたら一人1台、ハイヤーでの帰宅が普通でした。30人ほどの部署で1ヶ月のハイヤー代は約1千万円と聞いていました。途中バーに立ち寄ってハイヤーを外に待たせていたこともあります。おそらく現在は遅くなっても電車で帰宅でしょう30代で銀座に繰り出すなんて不可能ですよね。(もう聞いてるひといたら頭来ちゃうよね)

神奈川県55歳の男性。バブル時代に学生生活を送り就職活動が超売り手市場でした。地方出身者は今日は実家から来ましたというと企業は実家がどこであろうと往復の交通費を出してくれました。面接もセミナーという名のイベントでホテルの立食パーティーで結構な賞品があたるビンゴ大会もあったりしました。そして解禁日にとてもラジオでは言えないような接待を受けた友人もいました。私が就職した会社は内定日と解禁日に簡単なパーティーがあったくらいでしたが、それでも面接の度にテレカや会社のノベルティーをもらった記憶があります。

新宿区65歳の男性。今65歳の私ですがTBSラジオとは1970年の遠藤泰子さんのパックインミュージックからのお付き合いです。そんな中信じられないリスナープレゼントになったのがバブル期、テレビ・レコーダーはあたり前海外旅行もホンダの乗用車もありましたよ。ぜひこの番組でも豪華なリスナープレゼントをお願いいたします。
(ってとても無理だよ。何言ってんだ)

(なんだか、バブルの頃が羨ましいような気分になってきちゃって良くないね。良くないよ。)

埼玉県56歳の男性。就職したてでしたけれども預貯金の金利がまったく違う感じでしたよ。当時4%以上あったと思いますよ。仕事しないで利息で食ってるって話よく聞きました。
親から貯金しておくようにとよく言われたものです。

(そういう時代でしたけどね、もうこれは二度とこないんじゃないかな?こんな時代はね。何か妙に現実感のない思い出話になってしまいましたね。)

(また来週。)