「現行憲法は戦後米国におしつけられたのだ」という人がいますが、「誰が」押し付けられたかが問題だと思います。押し付けられたのは、第二次世界大戦を戦う方向に導いた日本の旧来の支配層です。もちろん、日本の一般庶民も、新聞と一緒になって日中戦争を推し進め、対米英開戦には快哉を叫んでいたのですから、責任なしとはしません。しかし、旧来の支配体制(国体)をなんとしても守りたかったのは、天皇家と旧華族に代表される支配層です。

「現行憲法第9条があったからといって北朝鮮の(中国の)核攻撃から日本を守れるのか」などという人がいますが、他国がミサイルを撃ち込む気になったら、日本の憲法になんと書いてあろうが関係ないでしょう。「あたりまえのことなのになぜ反対されるのだろう」と多少は相手の知性に敬意を払うことも必要ではないでしょうか。

日本は第二次大戦において、連合国に対して敗北したわけですが、連合国の一員であった米国は、戦勝の果実を他の国にわけてやろうという気はなかったようで、東西(冷)戦の最先端基地として「不沈空母」(中曽根康弘)である日本を利用することが最優先だったと思われます。

敗戦後、すぐに日本に乗り込んできたマッカーサーの率いる占領軍は、最初から天皇を残し、間接統治するという腹でいたと思われます。これは、天皇を戦犯として処刑すれば日本国民が陰に陽に抵抗して、米国が負担しなければならない占領のコスト(まずは米国兵の生命損失)が跳ね上がると踏んだからで、別に天皇がイノセントだと思っていたわけではないでしょう。

占領軍はまず日本政府に新しい憲法草案を作らせましたが、ほとんど明治憲法そのものみたいな案が出てきて、それでは米国の輿論も他の連合国も納得しないのは明らかでした。業を煮やしたマッカーサーは占領軍に命じて新憲法の草案を準備させるわけですが、このとき草案作成にあたったスタッフはかなり理想に燃えていたフシがあるのと、さらに何しろ米国にしても対日本戦で10万人くらいは殺されているわけですから、日本が二度と軍国主義にならないように、軍隊を持たないようにという気持ちが強かったのでしょう。だからほぼ草案のまま邦訳されて確定した新日本国憲法は理想主義的・平和的なのでしょう。

ポツダム宣言同様、新日本国憲法も戦勝国=連合国にとっては諸刃の刀といえます。米国の都合にあわせて書かれた憲法ではありますが、逆に米国の手も縛ることになってしまいました。日本を戦争の出来ない国にすると、こんどは一方で東西(冷)戦がはじまれば西側の最先端(もっとも韓国がありましたが)としての戦力として期待することができなくなります。

一旦新憲法は決められたものの、その後占領軍の態度は180度変わっていく。これはサンフランシスコ講和条約が締結される前から変わってしまっているわけです。警察予備隊からはじまって自衛隊へと、日本の事実上の再軍備は米国の占領軍の指示のもと、共産革命をおそれる日本の支配層が嬉々として進めてきたのです。

その時に憲法も同時に変えれば後々「自衛隊は違憲」などといわれずにすんだのでしょうが、米国にとっては日本国憲法と自衛隊の論理矛盾なんかはどうでもよかったのでしょうね。結果として明らかな違憲状態で自衛隊が拡充されてきた。長沼ナイキ訴訟にしろ、砂川判決にせよ、司法も四苦八苦しておりますが、明らかに「軍隊は持たない」という憲法に対して、現実には自衛隊という軍隊がいるわけですから、おかしなことがいろいろおきてくるわけですが、全ての原因は自己の都合を最優先してことを進めてきた米国とそれに迎合してきた支配層(かなりの部分は保守派)にあるのは明らかです。

憲法の条文がどうであろうとそれがそのまま戦力になるわけではない。しかし、この平和憲法と自衛隊の矛盾=緊張関係は、ただ自衛隊の現状を追認するという形で解消すればいいというものではない、と私は考えます。

第一にこの矛盾があるので、自衛隊の軍隊への変更とか、無制限な拡大というものに歯止めがかかっています。私は自衛隊がイラクへ行ったのは、「平和的な活動である」とか、どういい繕っても自衛隊の海外派兵であると思いますが、こういった平和国家として有得べからざる事態に対して反対の声を上げる根拠になるのが現行憲法、なかんずく第9条です。ここで、第9条に「自衛隊は除く」と書いてしまったら、すべての箍(たが)が外れてしまいます。極端な場合、日本の再軍備、核武装についても、反対する根拠が大きく損なわれることになります。

第二に「北朝鮮の脅威に対抗する」とか「中国の進出に対抗する」とか「尖閣諸島を守れ」とかいうご意見もありますが、それらに対抗することは今の自衛隊ではもちろんのこと、いくら自衛隊を増強しても実際にそういう事態になったら防ぎようがないと思います。北朝鮮は核を本当に廃棄するのかどうかわかりませんが、核武装した国と通常武力で対抗するのは無理でしょうし、いわんや中国は世界第2位のスーパーパワーです。いくらアメリカから兵器を大量輸入するとしても、経済力からいっても人的資源からいっても対抗することは不可能です。自衛的戦力というのは抑止力の一部を担うだけであって(いわゆる「ヤマアラシ論」)、安全保障を担保するのはそれを含めた経済協力、文化交流、そして「東洋の小国」として生き残っていくためのしたたかな外交と政治が必要でしょう。

結論として、現行憲法の改訂には慎重の上にも慎重であるべきだと思いますし、昨今の「改憲論」を見ておりますと、むしろ現行憲法を変えない方が本邦の利益であると考える次第です。