漱石が「猫」で書いているように実業家の世界は「つまらん御世辞を振り撒いたり、好かん猪口をいただきに出たり随分愚な」ものだが、政治の世界も似たようなものなのだろうか。一旦、安倍晋三という突出した「権力」ができるとみんなが阿る、諂う、取り入る、忖度する。周囲の政治家はみんな点数を稼いで大臣になりたいらしい。
志があって、大臣になった暁にはこういう政治をしたい、といって下準備が出来ていればまことに結構だが、稲田朋美だの今村雅弘だの金田勝年だの、何の志もないことが、あらゆるメディアからびんびん伝わってくる。彼らは何のために政治家になったのだろう。そういう輩が権力を増大させ、非効率ではありながら衡平を担保すべき民主主義を、またそれを具現化した法律であるところの憲法を無効化してしまう。
既に我々は危険な水域にかなり入り込んでしまった。
会社でも同じことが起きていた。某社長が会長になり、実質上権力を独占するや否や、周囲の忖度、阿り、諂い、取り入りの大合戦になり、志ある人は馘になるか、自らやめていく。
同じことが国政で再現するのだろうか。
ナチスと比較するには文化が違いすぎるが、日本は日本のやり方で天皇制という「無責任体制」を作り上げ、地すべり的に自らを滅ぼす戦争に突っ込んでいった前科がある。これを心配しないで他になにか心配すべきことがあるだろうか。