巷では(金遊、4代目小円遊)、「そんたくん」というゆるキャラまで出てくる始末で、「忖度」が問題になっておりますが、私は以前から部下が上司の意向を「忖度」することが諸悪の根源だと思っております。
伊東孝紳時代のホンダは「本社の上層部の『空気』を読める人間が研究所内を跋扈していた」と言われていたようです。
「空気を読む」というのも似たようなところがありますな。
「空気の研究」を書いたのは山本七平さんですが、とかく日本文化の「空気」てぇのはよろしくない。大きなことをいえば、日中戦争はおいておいても、太平洋戦争に突っ込んだのは「空気」のせいが相当大きいのではないか、と思います。
すでにご指摘の向きもあるかと思いますが、若い人たちには、あえて空気を読むな!といいたい。「KY」?どうでもよろしい。
ある診断サイトの(ヒマだね)ご託宣。
「自他認める異星人級の超KY
あなたは周囲も驚く「超KY」です。その見事なまでに空気の読めないKYっぷりは、「この人、あえてハズしているのかも…」という、印象すら抱かせるでしょう。良く言えば「マイペース」「個性的」「意志が強い」「人に惑わされない」というように、とても素敵なあなたですが、悪く言おうと思えばどこまでも言うことができるかも知れません。縦社会を生き抜くためには、ある程度の協調性とヨイショが必要です。敵はできるだけ作らないにこしたことはありません。個性を貫き通すあなたの姿には、ある意味頭が下がりますが、和を乱さずに生きていくのも意外と良いものですよ。「みんなと一緒」は決して悪いことではありません。たとえば「自分の話ばかりをしない」。これだけでも相手に与えるうざったさは、随分と軽減されるでしょう。とはいえ、極めれば空気すら支配できるかも知れませんので、人に合わせることが深刻に苦手ならば、仙人クラスを目指してみてもいいでしょう」
うるさいわ。
永積タカシ(ハナレグミ)さんの「さよならCOLOR」の詞を引用します。
「そこから旅立つことは/とても力がいるよ
波風立てられること/嫌う人ばかりで
でも、君はそれでいいの?/楽がしたかっただけなの?
ぼくをだましてもいいけど/自分はもうだまさないで
サヨナラからはじまることが/たくさんあるんだよ
本当のことが見えてるなら/その思いをぼくに見せて」