折半出資の合弁会社を作るのは比較的容易である。相手が海外の会社であっても、これから共同事業を始めようという友好的なムードの中で、何事も公平に半分ずつで決めましょう、と取り決めるのは両者の合意が得やすいからである。特に、1990年代までの欧州の会社と日本の会社の合弁はそうだった。
しかし、ひとたび合弁会社が設立され、実際の事業が始まると両方の親会社がともに自らの権利を主張し、逆に責任は取りたがらないということになり、もめることが多い。なにしろ、どちらも自分たちには決定権がなく多数で押し切ることもできないし、逆に多数だからといって責任を感じることもないのである。
たまらないのは、当の合弁会社の社長ならびに社員である。両親の意見が食い違う家の子供みたいなもので、途方に暮れることになる。また、前世紀にはいかにも前世紀的な人がいて、合弁会社に出向している人に対して、「誰に給料をもらっていると思っているんだ」とか「どっちを向いて仕事をしているんだ」とか平気でいっていた。
最近でこそ、合弁会社の社員は出向であろうと、移籍であろうと、生え抜きであろうと、合弁会社の利益のために働くのがあたりまえだという意識が浸透しつつあると思うが、以前はここでも「変な役員」「変な本社」が登場することが多かったのだ。
自分の出向元からAといわれ、もう一方の親会社からNot Aといわれた合弁会社の社員は余程自分自身をしっかりもっていないと翻弄され、悪くすると精神上の均衡を失ってしまうことがある。これは単に通訳しているだけならともかく、一方の会社の社員として通訳をしている場合にも陥るジレンマと程度の差はあれ同質のものである。要するに自分の国の会社の世界観・ものの考え方と相手の国の会社のそれが相反する。問題はその界面がどこにあるかである。
一つの方法は、あくまで自分は自分の会社あるいは出向元の利益代表と考え、界面を相手会社の方に押しやってしまうことである。もちろん自分の会社からの評判はよくなるが相手方からは、あいつは自分の会社のことしか考えないと思われることになる。
逆に、相手の会社の立場にたってしまうこともできる。その場合は、自分の会社あるいは出向元からの罵詈雑言を甘受しなければならない。
いずれにしてもあまりうれしくない立場なのだが、最悪なのはその界面を自分の内面に持ち込んでしまうことである。こうなると両者の矛盾を自分の中に取り込むことになる。もちろん、実力があれば両者にとって納得のいく解決を提案しかつ実施できるであろうが、そうでない場合は悪くすると両親会社からの重圧につぶされてしまうことになる。
両方に対して、まったく違う態度をとるというような不誠実な対応は問題外として、現実には本当の合弁会社の仕事をしようと思えば、こういう「界面の内面への取り込み」をしてそれを克服することでしかそれは可能にならない。
なんにせよ、折半出資の海外との合弁会社というのは罪作りな代物である。そのせいで病気になったり、極端なケースではなくなった方、早死した方もおられる。
これは合弁会社、特に海外の会社との合弁会社を作る際には、よくよく心しておくべきことであり、あらゆる問題の解決策を合弁契約に盛り込んでおく必要がある。「離婚条項」もその一つであり、いまでこそ「離婚条項」を契約中にもつことは当然のことになったがふた昔前は、中には「縁起でもない」とか言う人もいないわけではなかったのだ。