佐藤書房で購入、300円。
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都おおじ『摩天楼の離れ技』(えのもとまんが 出版年不詳 定価30円)

いわゆる「赤本」と呼ばれる、廉価本。
駄菓子屋なんかで売られており、子どもたちが親しんだ本だそうだ。
かの手塚治虫先生の伝説的作『新宝島』もこの赤本として出版されたもの。
のちにもっと安く読める貸本まんがの台頭でフェイドアウトした。
本作がいつ刊行されたのかはどこにも書いてないから不明だが、赤本がもっとも大量生産されたのが1948~1950(昭和23~25)年ころとされる。
戦後は占領軍による武道禁止令があったが、本作の素材である柔道は1949年以降学校教育に返り咲く。
本作の刊行は、おそらくそのあたりの時期だろう。
作者は都おおじ。
検索しても本作くらいしかヒットしない。
これっきりだったのか、後になにかで花咲いた作家の別名義だったのか。
京都出身なのかな。

ストーリーは加納先生(ジゴロウ先生かどうかは書いてない)の弟子である、柔道快男児「素形五郎」。
学生柔道界のトップ選手で、来る「全日本学生柔道大会」でも、優勝を期待されている。
優勝候補には入らない、と新聞に書かれた倉持沢三の父親(町の有力者)は激怒、息子を優勝させるべく、素形と、同じく優勝候補の山田三平に工作を開始。
手下を放ち、5万円で出場辞退するよう、素形にせまる。
もちろん、根っからの正義漢でスポーツマンである須形はこれを断固拒否。
ライバルが買収にのったかどうか確認に行くと、病気の母を支え、借金返済のために靴磨きにいそしむ山田三平の姿が。
感服するも、「しかしまけられないぞ スポーツは神聖だからナ」と素形は気をひきしめる(本作では、柔道を一貫して『スポーツ』とカテゴライズしている。作者が武道精神を理解していないのではなく、まだ占領統治下で、武道禁止令があるためと思われる)。

買収に乗らない素形に対し、倉持沢三はザ・暴力に訴える。
素形をフルボッコにすべく自分の柔道部の仲間を動員するも、素形は超人的パワーでこれを撃退。
一方、山田は奸計で拉致され、それを知った素形は監禁場所のビル(表題になっている摩天楼)に乗り込む。
そこには、死亡遊戯よろしく倉持のおやじが用意した刺客、拳闘屋&プロレスラー&すもう崩れ(と、うぞうむぞうのチンピラ)が待ち構えていた。
素形は山田と共闘し、これをしりぞけるのであった。
大会での健闘を誓い合う、素形と山田。
柔道最強!これぞ努力・友情・勝利。

ところで、力道山がプロレスの興行を始めるのは、1954年。
すると、ここに登場するプロレスラーは、いったい誰がイメージモデルなのだろうか。
スキンヘッドでロングタイツという出で立ちなのだが…
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今村洋子『チャコちゃんの日記』光文社 1962年「少女二月号」ふろく

雑誌のふろく。
1959(昭和34)年から媒体をかえつつ連載された、人気少女まんが…らしい。
元気でおてんばなチャコちゃんとその弟妹、ボーイフレンドの長島くんたちってな顔ぶれであれこれするコメディ。
デザインや線がきっちりしていて、今見ても洗練されたオシャレな絵だ。
本編では、チャコちゃんのけんか友達「九ちゃん」がメインで活躍する。
九ちゃんは三枚目半で如才ない、磯野カツオのような少年。
チャコちゃんの弟妹は九ちゃんが大好きだが、チャコちゃんはその調子の良さがどうも気に入らないらしく、いつもからかったりしている。
そんな九ちゃんが、ラーメン屋の娘に恋をし、通いつめる。
ところがチャコちゃんはわざわざそのラーメン屋に友達を連れてのりこみ、冷やかす。
その上、恋路を助けるどころかラーメン屋の娘に九ちゃんが小学三年生まで母親のおっぱいをしゃぶっていた事実をタレこむ。
ラーメン屋の娘に爆笑され、いたたまれず逃げ出す九ちゃん。
しかし、全然反省の色がないチャコちゃん。
最低だなこのアマ。
九ちゃんは、チャコちゃんを糾弾すべく、チャコ父を裁判官に見立てて告訴する。
以後、楽しい裁判ごっこが展開され、丸くおさまって終わり。
嗚呼、民主主義って素晴らしい。

これは一応、楽しいまんがなんだろうが、現在の目線から見ると、チャコちゃんの九ちゃんに対する態度がちょっと辛い。
九ちゃんはひどくいいやつで、チャコちゃんのこともきちんと女性として尊重して距離をとり、けして悪口を言うこともない。
これだけの目に合わされてもザ・暴力に訴えることもなく、民主主義的な手続きでせいぜいテレビ一週間視聴禁止程度の罰を与えて反撃しようとするだけである。
それなのにチャコちゃんは彼の言動をいじり倒したあげく、人間性が崩壊するような大恥までかかせる。
いちおう、仲がいいためにこういう愛情表現をするのだ、ととってほしいらしいが、チャコちゃんにはイケメンかつ紳士の長島くんというボーイフレンドがおり、男性という視点では明らかに彼を頭数に入れていないのである。
男として見ていない相手は、なんの邪気もなくこれだけ残酷に嬲ってしまえる少女という生き物に、戦慄する思いだ。
でもな、チャコよ。
そんなええカッコしいのスカした長島より、九のカッコ良さがわかる時が、いずれくるぜ。

ちなみに、チャコはあだ名で、本名は久子。
なぜか、むかしから久子という名前の女子には、チャコというあだ名がつくものらしい。
「久子」の幼児アクセント読み「ひちゃこ」がさらに簡略されたもの、とする説があるが、詳細不明。
かの鬼嫁・北斗晶(元女子プロレスラーで、佐々木健介夫人)の本名も宇野久子で、チャコというあだ名で呼ばれていた。
北斗は1967年生。
特に彼女のまわりにはこの作品を記憶する人間もいたに違いない。
あんがい、北斗にチャコとあだ名した人々には、このまんがが念頭にあったのかもしれない。
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田中美智子(スクリプト・武田武彦)『母はただひとり』りぼん昭和40(1965)年五月号ふろく

これは「りぼん」のふろく。
余談だが、これが発行された年、後に「りぼん」の超売れっ子となるさくらももこ先生が誕生する。

「母と子のなみだのまんが!!」というコピーが泣かせるじゃないか。
主人公まなみは、大好きなやさしい母親まきと生き別れ、母親の実家である朝海家でやっかいになっている。
どうやらこの家の婿らしい朝海先生のもと、絵の勉強にはげむ日々。
朝海先生の息子であるたかしさん(八頭身イケメン)はまなみの味方だ。
反面、よくわからんが厄介者だったらしいまきの子であるまなみに対し、叔母蘭子とその娘りえ(たかしの妹)はいじわるざんまい。
祖母は基本的にはまなみのことをとても愛しているのだが、それ以上にまなみがまきへの気持ちを捨てないことに怒り爆発。
ある日、朝海先生の作品が美術賞を授賞。
もらった賞金50万円で、りえにたのまれていた人形を買ってきてほしいと、まなみに頼む。
このオヤジ、小学生のまなみに50万円をそっくり預けちまいやがんの。
案の定、都会のハイエナどもがしのびより、疑うことを知らない純粋少女・まなみから大金をスリあげていくのであった。
それだけでもダイナマイトショックなのに、家では叔母がまき陰謀論を提唱。
盗まれたんじゃなくて、まきがまなみをつかってお金を取り上げたのだ、という超理論をブチ上げたのだった。
「ひどいわ…ひどいわ かあさんをドロボウにするなんて!!」
かあさんをドロボウだなんてあんまりだわ…まなみはどうしたらよいのでしょう?
りぼん6月号につづく(と書いてある)。
昼ドラのような不幸といじめが押し寄せるなか、じっと耐える少女。
ああ、少女物語はこれでなきゃいけないよ。

最終ページに「スーパー・ブレンナー」というものの広告が掲載されている。
僕にはアイスノンをおでこに貼り付けているようなシロモノにしか見えないが、「スーパー・ブレンナーは磁力線の作用で頭の血液にイオンというよい成分をふやし、空冷式で頭がスッキリ冷えるから勉強してもよくおぼえ、成績が上がるのです」とのこと。
「イオンというよい成分」ねえ。
「あなたは頭が良くなります」とのキャッチコピーが素晴らしい。