はじめに

こんにちは、30代ASD男です。ちょっとした昔話をします。

 

私は24歳の頃、脱ニートのためにイラスト練習を始めました。いや、デザイン会社に就職したいとかそういう話ではありません。何とか引きこもったままお金を稼げないかと思っての行動です。私が目指したのはいわゆる同人作家で、同人誌やCG集をネット販売して、それで生きていくことはできないかと考えたのです。社会に出たくはないがニートは卒業したいみたいな感じです。

 

結論から言うと失敗しました。いや、画力は大きく向上しアマチュアとしてはそこそこ評価されました。しかしプロとしては全く駄目でほとんど稼げませんでした。なので今はイラストは諦め、地元の障害枠で地道にやっていくことを考えてます。

 

この記事では、そんな挫折エピソードについて詳しく話していきたいと思います。よろしくお願いします。

 

  画力について

本題に入る前に、私の画力についてお話します。これは私が30歳の時に練習で描いた模写です。その時が画力のピークだったので、コレが私が描いた中で一番上手い模写だと思います。

 

 

 

『アズールレーン』というスマホゲーのキャラクターで、左がラフィーちゃん、右がサラトガちゃんです。アニメ設定資料集から模写しました。確かトレスや模写も著作権侵害の対象だったと思いますが、模写ってちゃんと明記してるのでまあ大丈夫でしょう。二次創作ガイドラインもありますし。

 

模写じゃない作品もあるんですけど、それを見せてしまうと私が誰か特定できてしまうので、この記事では公開しません。ごめんなさい。

 

  少年時代、美術が得意だった

まず、私は小中で美術の授業が得意でした。流石に美術部には遠く及ばなかったのですが、クラスに一人はいる「絵がうまい奴」のような扱いでした。中学三年生の時なんか自画像で賞をもらったこともあります。普段、私のことをキモがっていた女子連中も、絵の上手さに関しては文句言えないみたいでした。

 

でもイラストは下手でした。いわゆるデッサンができず、カービィとかマリオは描けるのですが、漫画やアニメの美少女となるとてんで駄目でした。中学生のオリキャラが描かれた黒歴史ノートとかあるじゃないですか、あんな感じのダサいキャラしか描けなかったんです。

 

それに、自分でどうやったらキャラクターを描けるか調べようとしませんでしたし、高専に上がる頃にはイラストに対する熱意が失われていたので、そのままイラストとは疎遠になりました。

 

  ニート時代、イラスト修行を始める

それからしばらく経った24歳の時です。当時ニートで精神的に追い詰められていた私は、なんとか今の状況を打破できないかと日々悩んでいました。色々考えたすえ、小中時代に美術の成績が良かったことを思い出し、イラストの勉強を始めることしました。

 

調べたところ、デッサンを覚えればキャラクターを描けるようになるとのこと。そしてデッサンを覚えるにはアタリを描いてから模写をすればいいそう。早速実践してみることに。

 

参考画像です。赤い線が「アタリ」で、青い線が「デッサン」ですね。いや違うだろって突っ込みがあるかもしれませんが、私の中ではこうでした。これをベースに髪型とか服装とか真似して描いていくと、上手くキャラクターを描けるという理屈ですね。

 

ただこのアタリとデッサン、なかなかの地獄でした。参考画像は30歳時点の模写から引っ張ってきたものなので、まあまあ整っているのですが、始めたばかりの時はこんな上手くできませんでした。顔がデカすぎるとか、足が長すぎるとか失敗ばかり。当時の模写は全部捨ててしまったので見せられないのですが、とにかくヘタクソで何度も挫折しました。

 

2~3か月集中的に練習して、挫折して半年以上休んで、また再開して、でも1か月で辞めて...みたいな感じですね。全然長続きしませんでした。挫折するたびに自分にはイラストの才能がないんだと落ち込みました。ついには25歳を過ぎた時、諦めてしまいました。

 

練習放棄してしばらく経った26歳の時、精神科に入院し、なんやかんやあって精神障害者手帳を取得&就労支援施設に通うことになりました。そこで社会復帰を目指すことになりました。結局、イラストは全く上達しませんでした(笑)

 

  職業訓練時代、Vtuberをきっかけにイラスト再起

私は就労支援施設に通いながら、なあなあで毎日を過ごしていました。

 

27歳のある時、Vtuberが流行りました。キズナアイ、四天王、にじさんじとかその辺です。で、多くの絵師さん達が接点欲しさにファンアートを投稿していました。私も少しのイラスト経験はあったので負けじとファンアートを投稿しました。しかしヘタクソすぎて全く相手にされませんでした。

 

ですがその悔しさがかえって私の闘志に火をつけ(笑)、それまでほとんどやっていなかったイラスト練習を再開しました。「推しの反応が欲しい」「他のやつに負けたくない」という思いがモチベーションになり、毎日練習しました。施設に自由帳を持ち込んで、休憩時間にこっそりデッサンや模写をやっていたぐらいです。

 

この努力は報われました。ある日、TwitterにVtuberのファンアートを投稿したら、結構な数の「いいね」をもらえたのです。推しにコメントをもらえる時もありました。ようやくスタートラインに立てた、そんな感覚でした。

 

参考程度に、当時のイラストです。

コレは、『ブレイブルー』という格闘ゲームの宣伝番組『ぶるらじ』が当時のニコニコで流行っていまして、そのイラスト募集のコーナーに投稿したものです。すみません、コレしか見せられるイラストがありませんでした。

 

話を戻しまして、Twitterの「いいね」に自信をもらった私はpixivにアカウントを作成し、アマチュアとして活動を始めました。スマホゲーの美少女キャラのイラストを中心に投稿しました。意外にも好評で、徐々にフォロワーを増やしていきました。

 

  パート時代、収益化を始める

28歳の時、就労支援施設を卒業して地元の小さな倉庫(パート)に就職しました。ここから昼は仕事、夜はイラストみたいな生活になりました。遊ぶ時間はほとんどなかったのですが、練習し続ければプロになれるかもしれないという希望があったので、そんなに苦ではありませんでした。フォロワーは就職時点で1,000人ぐらい?

 

参考程度に当時描いた模写です。『プリコネR』ってゲームのキャラですね。

 

地道な活動の結果、29歳の時にpixivのフォロワーの数が1万人を超えました。だいぶ自信がついたので、ここから収益化を考え始めました。

 

手始めにFANBOX(カンパのようなもの)を開設しました。定額制のプランに加入すれば特典のイラストが見られるという、pixivで色んな人がやってる商売です。特典イラストが版権物の場合、著作権侵害になるので否定意見もかなり多いのですが、話が逸れるのでその是非についてはこの記事では扱いません。

 

で、初月の稼ぎは700円でした(笑)まあ最初はこんなもんです。めげずに活動を続けました。結果、徐々に収益が増えて最終的に月7,000~8,000円程度の稼ぎになりました。全然大したことないんですけど、それでも私としては嬉しかったです。8,000円分は評価されているんだと。

 

次にCG集を販売しようと思いました。BOOTH、DLsite、Fanzaなど個人でも利用できるDL販売サイトがあるので、そこで販売して収益を得ようとの魂胆でした。しかしコレは失敗しました。3か月ほどかけて作ったのに、販売数は100件もいかなかったのです。実際の収益もお小遣いレベル。

 

知名度不足もあるのですが流石に落ち込みました。

 

  無職時代①、Skebを始める

それからしばらくして30歳の時、上司とのトラブルからパートを辞職しました。本当はすぐに次の就職先を見つけなければならなかったのですが、自信喪失していたのと社会人生活にウンザリしていたので、親の許可をもらって仕事はせずにpixiv活動に専念することにしました。施設でお世話になった福祉の先生にも事情を説明して、しばらくはイラストで頑張ってみようという話になりました。

 

しかし相変わらずFANBOXの収益は増えず、CG集の売り上げが伸びる見込みもありませんでした。私は次の手段としてSkebに目を付けました。イラストの有償リクエストを募集できるサービスです。相場は1作品8,000~15,000円とのことでした。ただ私程度の腕前でそこまでの額を求めるのは傲慢と思い、3,000円からスタートしました。

 

1件もこなかったらどうしようと不安だったのですが、意外にも結構な数のリクエストが届き、また中には相場以上の額を支払ってくれる人もいました。おかげで収益が月3万程度に増えました。

  無職時代②、挫折へ

しかしここで問題が生じました。能力不足によりリクエストの消化が追い付かないのです。1作品の消化に3~7日程度かかるのですが、それ以上のペースでリクが来るのでほぼ休む暇がなく、毎日10時間~はPCの前に張り付いて作業しなければなりませんでした。想像以上のしんどさでした。

 

また収益が増えたことの宿命なのか、いわゆる「アンチ」がついて、pixivのコメント欄やTwitterで攻撃されるようになりました。仕舞いにはSkebの納品物にケチをつけるクレーマーまで現れました。

 

でもイラスト以外に稼ぎがないので描くしかありませんでした。次第にイラストを描くことが苦痛になり、義務感だけで作業するようになりました。「イラストを描かないお前に価値はない」みたいな強迫観念にも襲われるようになりました。絵のクオリティも明らかに下がり、手抜きで納品するみたいな真似もやり始めました。

 

Skebを始めて10か月後、ついに限界が来てイラストを辞めることにしました。SkebもFANBOXも閉鎖しました。イラストが上手くなりたくて努力したのに、努力した結果イラストを嫌いになるという、実に本末転倒な結果に終わりました。

 

  その後

イラストには見切りをつけ、パート時代のように障害枠でまた働こうと決めました。

 

就労支援施設の力を借りて、ある特例子会社に就職しました。ただいまいち職場と仕事に馴染めず、1年ちょい経ったあたりで適応障害を発症、仕事を続けられなくなったので辞職しました。

 

現在療養中ですが、最近は症状がだいぶ良くなってきたので、今月中に福祉の先生に相談して社会復帰のプランを立てようと思っています。

 

  最後に

結局、自分みたいなダメ人間は、親や国に養ってもらわないと生きていけないのだと悟りました。色んな障害枠を転々としながら生きていくしかないのでしょうね。

 

イラストをやったことは後悔してません、あの努力を通じて様々なことが学べたので。またイラストをやってなかったら今でも「漫画家になりたい!」とか思っていた可能性があるので、そういう幻想から卒業できたという意味でも、やっててよかったなと思っています。

 

以上、イラストにまつわる挫折エピソードでした。読んでいただきありがとうございました。