はじめに

 

私は発達障害者で恋人も友達もおらず、ロクに仕事もできない無能です。しかし遺伝なのか偶然か、私の兄弟も何らかの病気か障害を抱えています。特に酷いのが我が家の「長男」です。この記事ではこの哀れな兄についてお話したいと思います。

 

家族構成

父 :健常者、ガンで他界

母 :健常者

長男:自称グレーゾーン、診断拒否、自己愛?HSP?ほか精神疾患の疑い有

次男:発達障害(ASD)

私 :発達障害(ASD)、自己愛の疑い有

妹 :HSP

長男が暴力/モラハラ兄になった所以

うちの長男は暴力癖持ちで、少しでも気に入らないことがあると癇癪を起して殴る、蹴る、物を投げるなどの攻撃に走る。また自己愛の傾向が強く、何もなければ親切で優しいのだが、自分のことを悪く言われると物凄く傷ついて、一転して悪魔のように厳しくなるところがある。なのでうちの家庭では常にトラブルメーカーだった。

 

とは言え、この程度の問題はどこにでもある。ほとんどの場合は一家の大黒柱である父親(あるいは母親)がドカンと一発、厳しく指導してやれば解決する。

 

しかしうちは違った。父が恐ろしく放任主義だったのだ。正確には社会人としては優秀で稼ぎもあったが、父親としての責務は何ら果たしていなかった。息子達へのしつけは一切行わず、社会のルールも教えず、家庭で起こる問題は全て母が解決していた。まあ父の稼ぎがなければ我が家全員とっくにくたばっているので、必ずしも父のせいとは言い切れないのだが...

 

そんな状況だったので、長男は誰を殴ろうが何を壊そうが一切叱られなかった。なので長男はひたすら増長して、やがて我が家の支配者を気取るようになった。

 

暴力の始まり

長男は自己愛の傾向が強いので気に入った相手にはとことん優しかった。なので私が幼稚園生の頃は、特に殴られたり蹴られたりはしなかった。むしろ一緒に昼寝したりゲームしたりで仲が良かった。当時の私は長男のことを慕っていたし、長男も私のことを可愛がっていた。

 

しかし小学校に上がると状況が一変、長男が私に辛くあたるようになった。理由は分からないが、何らかの形で長男のプライドを傷つけたのだと思う。自己愛の人は自分への裏切りを許さず、裏切り者へは徹底的に報復すると言われる。うちの長男も例外ではなく「裏切り者」である私に対して徹底的に殴る、蹴る、怒鳴るの暴力を振るうようになった。

 

・長男と目が合う ⇒ 「何見てんだ?死ね!」(殴る)

・長男のおやつを間違って食べる ⇒ 「食ったのお前か?殺すぞ」(蹴る)

・長男から逃げようとする ⇒ 「逃げたら殺すぞ」(蹴る)

・トイレを汚す ⇒ 「トイレ汚ねーぞ、使ったのお前か?」(殴る)

 

...など、何かする度に暴力を振るわれた。当時長男は中学~高校生で身体が大きく、対する私は小学生だったので殴られる痛みは半端ではなかった。ちなみに次男も私同様、暴力のターゲットにされていて度々殴られていた。正確には私が幼稚園生の頃から次男は殴られていて、私が小学生に上がるとそれがエスカレートした。この暴力は私が中学校に上がるまで続いた。

 

なお父は長男の暴走に全く気付いていなかった。母は流石に気付いており、問題だと思ったようで何度か長男を叱ったが、ほぼ効果がなく、むしろ告げ口した罰として殴られたので逆効果だった。

 

一時的にまともに、海外留学へ

しかしそんな暴力も一旦の終わりを迎える。長男が進学のため東京に引っ越すことになったのだ。進学先は音楽系の専門学校だった。たった二年ではあったが私(と次男)は一時的に暴力から逃れることができた。そして私が中学三年生の時に長男は卒業して帰って来たが...なんと問題だった暴力癖はなくなっていた。

 

暴力を止めた理由は、長男の帰宅が決まった際に次男が酷く怯え、その様子を見た母が「頼むから次男には手を出さないでくれ」と長男に頼み込んだから。この行動に長男はかなりショックを受けたらしく、以後暴力を控え、次男のことを無視するようになった。自分で殴ったり蹴ったりしておいて、いざ注意されたらショックを受けるのはおかしい気もするが、自己愛の人は自分が悪いことをしている自覚がないらしいので仕方ないのかもしれない。

 

いずれにせよ殴る蹴るの暴力が収まったので、安心して生活できるようになった。もちろん不機嫌な時はあり、悪口を言われたり説教されたりはあったが、逆に言えばその程度だった。個人的にこの時期の長男が一番まともだったように思う。

 

私は中学を卒業した後、高専に進学した。それからしばらくしたある日、長男がアメリカの大学に留学したいと言い出した。就職活動が上手くいかず、音楽の道に進んだのは失敗だと思ったらしい。母が色々と手続きをして兄はアメリカに行くことになった。色々思うところはあったが、家から出て行ってくれるのは自分からすれば願ったり叶ったりなので、むしろ感謝した。

 

なお父だが、相変わらず家庭でのトラブルにはノータッチだった。まあ毎日仕事で忙しかったので仕方ないのだが、父の無関心っぷりが長男をより増長させたのは言うまでもない。今後も父は仕事一本で家庭でのいざこざには関わらないので、以降話題には出さないようにする。

 

帰国、しかし徐々に狂っていく

高専三年生の頃に長男が帰国した。しかしアメリカの大学を卒業したはずなのに何も就職活動をせず、むしろ部屋に引きこもるようになった。高専四年生の頃になると徐々に長男の様子がおかしくなっていった。怒鳴ったり、壁やガラス窓を蹴ったり、大きな音を立てたりするようになった。また話し方がどこかおかしく、行動に矛盾が見られるようになった。

 

当時、私はニコニコ生放送に嵌っていて、マイクを買ってゲームの実況プレイをしていた。当然防音設備なんてないので、声が外にダダ洩れだった。とは言え、うるさいことに気付いていない私はそのまま何日もニコ生や実況プレイを続けた。

 

ある日、ニコ生の実況中、突然私の部屋の扉がバシーン!と何かで叩かれた。そのままバシン!バシン!バシン!バシーン!と何度も扉が叩かれた。三分経過したあたりで扉を叩く音は収まった。もちろん長男の仕業で声がうるさいことへの注意だと察しがついたが、それにしてはやり方がおかしかった。普通に扉をガッ!て開けて「うるせーぞ!」って注意すればいいのでは?

 

後日、母から長男が「自分のことで何か言われてる」と言っていたと教えてもらった。え?声がうるさいことに怒ってたんじゃなくて、陰口を叩かれていることに怒ってたのか?私がやっていたのはゲーム実況で、長男の名前なんて出してないぞ。それは被害妄想では?ちなみに竹刀で扉を叩いていたらしい。

 

別のある日、私は風邪をひいてしまい鼻水と咳が止まらなくなっていた。ズズーッ!ゲホッゲホッ!ズズーッ!ゲホッゲホッ!と何度も鼻をかんだり、咳したりした。苦しいなあと思っていたその時、突然部屋の扉が開かれて長男が入って来た。そして酷く興奮した様子で「お前舐めてんのか?あ?」「舐めてんのか?あ?あ?」とベラベラ話し始めた。何度か謝ったら引き下がってくれたのだが、後からさっきの言い方が何かおかしいことに気付いた。

 

前もそうだったけど「うるさい」とか「静かにしろ」って言えばいいのでは?舐めてんのかってどういうこと?馬鹿にするなってこと?悪口どころか台詞一つ喋ってないんだけど、私の咳や鼻水をすする音が自分への侮辱に聞こえたってこと?激しく謎だった。

 

またこの時期から長男は東京の大学院に行きたいと言い、部屋にこもって勉強するようになった。これについては流石に理解できなかった。就活から逃れるための言い訳なのは明らかだった。

 

家族全員から嫌われていく

高専を卒業した私は、地元の中小企業に就職して一人暮らしを始めた。まあこの職場では上手くいかず数ヵ月で辞めることになるのだが、それはまた別の機会に話そうと思う。

 

問題は実家にいる長男で、相変わらず部屋に引きこもっていた。しかも私がいなくなったことでターゲットを母に変え、嫌がらせ(モラハラ)をするようになっていた。過去の母の失態について説教する、突然ヒステリーを起こして泣き出す、同じ話を何回もする、怒鳴る、壁や窓ガラスを壊す、テーブルや椅子を蹴っ飛ばす等。母が買ってきたお菓子がまずいという理由でキレたこともあったらしい。最早、相手を攻撃できるなら何でもありだった。

 

長男の精神が異常をきたしているのは明白で、何らかの精神疾患か障害の疑いがあった。しかし長男は通院を頑なに拒んだ。母曰く精神科に行くことを勧めたら、手が付けられないほど怒り狂って「次に同じことを言ったら殺してやるからな」と脅してきたらしい。もちろん本気で殺すつもりなどないが、暴れて家具や壁を破壊されるとたまったものではないので、以後長男に対して「病院」は禁句になった。

 

この時期から「長男は頭がおかしい」が我が家の共通認識になった。特に母は長い間、長男の善性を信じていたのだが、連日のモラハラにもう耐えられなくなったようで「あいつは本当に頭がおかしい」とはっきり言うようになった。また私や次男に対し「あの時、助けてあげられなくてごめんね」と謝るようにもなった。なお今まで一度も話題に出てこなかった妹も、長男を露骨に嫌い「あいつ●●って障害だよ」「●●に相談しろよ」と母に言うようになった。

 

なお東京の大学院の件だが、あまりの難しさに断念していた。母によれば受験当日に試験会場に行ったが、周囲の受験者達のレベルが高すぎて自分は場違いだと思い、受験を受けずに帰って来たとのこと。その後、音楽関係のバイト(ライブハウスとか)に応募する等していたが、どこも自分には合わないといって辞めていった。最終的にアメリカの大学院を目指すと言い出した。

 

家族全員不満でいっぱいだったが、結局長男はアメリカへ再度留学しに行った。とは言え、厄介者がいなくなったことで我が家は一時の平穏を取り戻した。

 

妹への嫌がらせ、しかし...

アメリカの大学院に行った長男だったが、内容が難しすぎて初級クラスしか行けなかったらしく、中級以上に行くのを諦めて日本に帰って来ていた(詳しくは分からないが、アメリカの大学院は勉強の難しさでランク分けされているらしい)

 

自分も紆余曲折ありそれまでの一人暮らしを止め、実家に戻っていた。長男は相変わらず怒鳴る、物を壊す、母親に説教する等やりたい放題でうんざりしたが、まあ直接暴力受けてる訳じゃないしいいかとスルーしてた。

 

ある夜、突然廊下から罵声が聞こえてきた。長男が暴れるのは我が家では日常茶飯事だが今回は様子が違った。怒鳴り声の主は妹で、廊下で長男と口喧嘩しているようだった。珍しい組み合わせに驚いたのと、万一にでも本当に喧嘩に発展して妹が殴られたら大変なので、急いで母にヘルプを出し仲裁に入ってもらった。

 

喧嘩の原因はもちろん長男だった。実は日本に帰国後、何がきっかけかは分からないが妹は長男にタゲられ、隣の部屋から壁をドン!ドン!と蹴られる嫌がらせを毎日のように受けていた。仲裁した母によれば、妹がリモコンを落とすなど何らかの音を立てる度に、うるさいと言わんばかりに壁を蹴ってきたらしい。

 

長男はストレス解消の感覚でやっていたのだろう。だが私や次男と違い、直接暴力を受けたことがない妹は長男に対する恐怖心がなかった。そのため妹は嫌がらせに臆することなく、反撃として長男の部屋の扉に「次に壁蹴ったら殺す」と張り紙をしたのだった。それを見た長男がパニックを起こし廊下でギャーギャー騒ぎ出したため、妹が「うるせぇ!」と飛び出し口喧嘩に発展した...というのが今回の経緯だった。

 

なお当の長男はまさか反撃されるとは思っていなかったようで「あqwせdrftgyふじこlp;@」「△=☆¥□+♪*◎@!?」意味不明な言葉を泣きながら連呼していた。なお喧嘩は5分くらいで収まった。

 

友達にも見捨てられる

ちょっと時系列が前に遡るが、長男はアメリカの友達と一緒に日本に帰る前の記念として旅行に行ったらしい。しかし旅行先でその友達が「お金が足りなくなった」とウソをついて、長男を置いて一人先に帰ってしまったそうだ。

 

母曰く長男は旅行の計画から何までその友達にやらせていたようで、いざ旅行になっても何でも友達に決めさせて、言われるがままに行動していたらしい。友達はこの病的な依存にうんざりしてしまい、帰ってしまったようだ。

 

長男に友達がいるということは以前から知っていた。こんなクソ野郎に友達なんているんだって意外に思っていた。しかしその実態は、良心から長男を見捨てられない友達と、相手の親切心に付け込む長男という不健全な関係だった。

 

もちろん同じく友達ゼロの私が悪く言えた立場ではないが、少なくとも私は(長男以外の)家族や信頼できる先生とはちゃんとコミュニケ―ションできる。長男は家族とも友達とも正常な関係を築けない、本当の意味で周囲から孤立してる。

 

長男の現在

今も引きこもってる。はっきり言ってどうすることもできないので、家族全員で放置してる。

 

長男は病院に行っていないので、長男の異常性が何に由来するものなのかは全く分からない。ネットで調べた限りでは統合失調症、HSP、自己愛性人格障害あたりが長男の特性と合致していると思う。でも自分はプロの医者じゃないので実際のところは分からない。単に頭がおかしいだけの健常者かもしれない。

 

一応、続きの話もあって本人なりに頑張っているところもあるんだけど、長男のことを擁護したくないし、長くなったので一旦はここで閉めたいと思う。

 

あと父は数年前にガンで亡くなった。私ら一家がいまも生活できてるのは間違いなく父のおかげで、凄く感謝している。ただ長男が狂ったのも(ある意味では)また父のせいなので何とも言えない。まあ完璧な父親なんていないし、どこの家庭もこんなもんだろう。

 

今、私は一人暮らしを再開しているのだが、母によればたまに私の生活が上手くいっているかどうか心配しているらしい。自分で暴力を振るって散々苦しめた相手の人生を心配するか?自分で殺した相手の葬式に行くみたいな。まあこの例は極端だけど、心配するぐらいなら人の嫌がることしないでもらっていいかな。

 

最後に

 

以上で長男の話は終わり。
正直に言うと私も自己愛の傾向が強くて、長男みたいに自分本位になることはある。機会があれば話すけどその特性のせいで昔いた友達を傷つけたり、親切な人に依存したり、職場で正常なコミュニケーションができなくて頭のおかしい奴扱いされたりもある。一時期人生に絶望して全部両親のせいにして暴言吐いたり、自暴自棄になって引きこもったりもある。
でも精神科で発達障害の診断を受けて、就労支援で良い先生と出会って、障害枠で経験積んでたくさん失敗して、自分の弱点に気付いて、少しずつだけど真っ当な人格に近づいている。もちろん油断すると素の自己愛的な部分が出てくるんだけど、そのたびに反省はするし、何も対策せず暴走し続ける奴とは全然違う。
殴る蹴るの暴力を受けていた頃は本当につらくて、めちゃくちゃ泣いて、いつか必ず殺してやるって凄く憎んだ。でも今はどうでもよくなってる。だって自分で自滅の道を突き進んでるからね。そのまま死ねばいいよ。
と、いう訳で我が家の哀れな兄のお話でした。読んでいただきありがとうございました!