「来た…」
久石さんらしい和音の響きから始まったこの曲が始まったその時、私は思わずそうつぶやいた。ここは愛知は名古屋にある「愛知県芸術劇場」のコンサートホールの中である。2023年7月22日。私はここで開催された久石さんのコンサート「WDO2023」を聴きに来ていた。
初の久石さんコンサート参戦である。30年以上も久石さんのファンを続けていながら、何故初?にわかなの?と首を傾げられそうだが、人生とはそのようなものである。人よりちょっとだけ波乱の人生を送ってきた私は様々な出来事から久石さんのコンサートに足を運べずにいた。ここに至ってはもはや「コンサートに行かないという事を売りにしたファン」という斜に構えたポリシーもできそうである。そんな私が初めて足を運んだコンサート。チケット入手には界隈の様々なご厚意を頂いたことは言うまでも無い。ここに改めて大きな感謝を申し上げたい。

そして、そのアンコール。舞台の真ん中に設置されたピアノ。久石さんが手をブラブラさせ、頭の中で曲を復習するかのごとく首を天に傾げながらそのピアノに向かう。「久石さんのソロだ…」私はアンコールの曲を色々想像してみた。しかし、その想像は全く意味をなさなかった。久石さんの指から奏でられた曲は、まだどのコンサートでも演奏されたことのないものだった。

「Ask me why」

その曲は一週間前に公開を迎えた宮崎駿監督が描くジブリの最新作「君たちはどう生きるか」の中で使用されたメインテーマとも言うべき曲だった。

ほとんどの人がそうだったと思うが、このとき私もこの映画はまだ一度しか観ていない。当然、久石さんの「Ask me why」もこの鑑賞での一度きりだった。サントラもまだ発売されていない。映画を観ているときは音楽に意識を傾けているつもりでも初めて観る映画に集中してしまい曲はハッキリと聴き取れていない。そもそも私は絶対音感などある人間で無いし、音楽をやっていたという経験がありこそすれ素人に近いアマチュアで一度曲を聴いたからといってそれをキチンと理解できるような人間ではない。至って普通の凡人だ。映画を見終わった時点では「久石さんの音楽、良かったなぁ。良い曲もたくさんあったなぁ。」程度の感想しか持ち合わせてなかった。

それでも、コンサートで久石さんが「Ask me why」を弾き始めた時、私はすぐにこの曲であると分かった。
映画1回分。劇中では3度流れただけのこの曲。サントラ曲目情報から「Ask me why」という曲が度々登場するという事が分かっていたのみ。そんなうろ覚えのこの曲だが、久石さんの指から奏でられる2音目を聴いた瞬間(最初の和音では分からなかった)に、この曲だと私は確信した。

それほど、知らず知らずのうちに「Ask me why」という曲は私の心に強く引っかかっていた。いや、深く刺さっていた。

背筋が震えた。目頭に熱いものがこみ上げてくる。
久石さんの指は少したどたどしい。お元気とはいえ70歳を越える久石さんの年齢ともなれば指も以前より動かなくなっているであろう。ましてコンサートで指揮を2時間振り続けた後である。疲れも大きくなっているだろう。そんな久石さんの音に合わせ応援するかのごとく私の首はリズムを取って揺れていた。それもかなり大きく。となりに座っていた人はさぞ邪魔だったことだろう。でも私はリズムを取ることをやめない。久石さんの奏でる音を1つ残らず聴き取り心にしまうように。演奏が終わったとき、客席からは大きな拍手が巻き起こった。もちろん私も精一杯拍手を贈る。

そして私は「Ask me why」の虜になった。

コンサート後のプチオフ会の際に私は界隈の方に「(Ask me whyは)映画ではこんなに印象は強くなかった」とつぶやいた。言い方が逆である。久石さんの生演奏を聴いた今、「Ask me why」と言う曲は私の心を強く強くとらえて離さなかった。
ピアノソロによる、単純な旋律と和音で構成された、比較的短いこの曲。そのシンプルで純粋な旋律と、厳かで深い海の底のような神秘的な和音の響き。人生という大きな苦しみの中で、ほっとする”わずかないっときの時間”のような。そんなこの曲が私は大好きになった。

残念なことに、コンサート後のプチオフ会で楽しく談笑し、新幹線でとんぼ返りに帰宅した時にはこの曲の詳細はすっかり忘れていた。私は残念な凡人である。
その後、私は悶々と数日を過ごしていた。「Ask me why」をもう一度聴きたい。そして自分の手でこの曲を弾きたい。その思いは日に日に強くなっていた。でも凡人の私にはどうしてもあの素晴らしい曲の詳細が思い出せない。もっと真剣に音楽に取り組んでいなかった事を深く後悔した。だがある日、界隈のSNSに1つのリツイートが上がった。「Ask me why」をクラリネットで演奏してみたという短い動画だった。
その動画を見た瞬間、私の脳裏にブワッと「Ask me why」の曲が蘇ってきた。まるで千尋がハクの正体を思い出したときのように。
それからは居ても立ってもいられない。この蘇ってきた曲をまた忘れないうちに耳に刻んでおこう。指に覚えさせよう。私はピアノに向かって指を何度も動かしていた。次の日もう一件見つけた「Ask me why」の演奏動画を見た私はさらに自分の手で「Ask me why」を演奏したいという強い欲求に駆られていた。
凡人の私は普段耳コピで演奏などしない。というよりはできない。譜面を見て練習して初めて拙い演奏ができる程度の腕前しか持っていない。しかし、そんな私も「Ask me why」を演奏したいという欲求には勝てない。どうしても弾きたいというこの欲求を満たすためひたすらピアノに向かった。
そしてSNSで「Ask me why」の演奏動画を見た翌日、私はさらなる暴挙に出た。自分の弾いた「Ask me why」をSNSにアップするという暴挙だ。何度も言うが私は凡人だ。ピアノもヘタッぴである。とても人に見せられたものではない。今まで演奏動画を上げてこなかったのも自分の演奏が拙いことを知っているが故である。
そんな私が「Ask me why」の魔力に負けた。この曲をたくさん聴きたい。自分で演奏したい。みんなに聴いて欲しい。そんな我欲が私を支配し、もはや止められなかった。練習時間わずか1日。他の演奏動画を参考にしているとはいえ普段しない楽譜無しでの耳コピ演奏。こんなひどい演奏を公開したら、それこそ久石さんの作曲された名曲「Ask me why」の素晴らしさを損なってしまうのでは無いかという不安を抱きつつ、私は我欲に負け動画をアップしてしまった。
動画をアップした数日後、私は映画館にいた。どさくさに紛れ演奏をアップしたものの「Ask me why」の素晴らしさを損ねてしまったのでは無いかという不安が大きくなってきたためである。宮崎駿監督には悪いが、今回は久石さんの曲を聴くことに全集中力を注ぎ込んだ。「Ask me why」が再び流れてくる。
「だいぶ違う…」
イメージこそつかめていたものの、久石さんの演奏は難しい。特に細かいコード進行が単純で無くそれが故にあの美しい旋律が聴けるのだが凡人の私にはすぐに理解できない。
また悶々とする日々がやってきた。映画館で再び聴いた「Ask me why」は1音たりとも聞き逃すまいと全神経を集中したのにも関わらず、お買い物をして帰宅した際には記憶からすっぽり抜けていた。詳細を聞き取ろうにもサントラの発売はまだ一週間以上も先だ。いい加減な演奏動画を上げたことに後悔が出はじめる。少し恥ずかしい。もっと久石さんの原曲に近い演奏がしたい。また私の心には欲求が渦巻いていた。
サントラの発売が近づいてくるとPRのためにジブリ公式SNSからサントラの情報が次々と上がってきた。サントラ発売日3日前には久石さんのコンサートアンコール演奏映像、そして2日前にはサントラの「Ask me why」の一部がアップされた。衝撃の大盤振る舞いだ!
また居ても立ってもいられなくなる。サントラ音源が一部とはいえじっくり堪能できる。その日私は何百回も「Ask me why」を繰り返し聞いた。そしてピアノに向かった。
そしてサントラ発売前日。最近は通販などの予約販売は実質前日に届くことが多い。私の元にも前日に届いた。
「ヘカッ!」うれしさの余りなぞの投稿を残し私はサントラに向かう。普段はじっくりサントラを聞きこむところだが、その日は何をさておいても「Ask me why」だ。収録されている3曲をとりあえず流す。昨日上がったサントラサンプル動画は12曲目「Ask me why(母の思い)」だ。この曲がシンプルで「Ask me why」を一番良く表現していると思った。
勝手な解釈だが、「Ask me why」にはこの尻すぼみな終わり方がふさわしいと思う。この曲にはいわゆる「終止符」がない。繰り返される2音と和音のコード進行が消えゆくようにして終わる。一見中途半端のようにも聞こえる終わり方だが、この曲は宮崎駿監督の生涯を描いたとも言われる「君たちはどう生きるか」の曲である。公式にも「久石さんが宮崎駿監督(ジブリ美術館)に向けてプレゼントされた曲」を使用してサントラが構成されているという話である。つまり、監督の「人生」を描いた作品であり、捧げられた曲である。人生では「終止符」は「死」であり、「死」の瞬間は自分では振り返ることはできない。つまり「終止符」の音は自分では聞くことはできないのである。その音は看取ってくれた他の人にしか聞き取れない。自分では想像するのみである。そんな人生を表すかのように消えゆくように終わる。これこそが「人生」を表したこの「Ask me why」という曲にふさわしいのではないだろうか。あくまで私の勝手な解釈ではあるが。
そんなことを思いつつ、再びピアノに向かう。もはや私は「Ask me why」の虜と言うより中毒である。
するすると指が動きサントラの演奏をなぞってゆく。そしてある程度(完璧とはいえないが)満足できる演奏ができるようになった。もちろん練習は不足してる。技術も足りない。それでも私は再び演奏動画アップという暴挙にでた。もはや私は止められない。この曲を多くの人に聴いてもらいたい。もっと聴きたい。もっと弾きたい。それしか考えられなかった。その日はサントラ発売前日だった。フライングである。



「Ask me why」は私を虜にした。この先もたくさんこの曲を聴くだろう。そしてたくさん弾くだろう。私の大切な、大好きな一曲として。


久石さんありがとう。この曲を聴かせてくれて。
ありがとう、コンサートで演奏してくれて。
ありがとう、コンサートに誘ってくれた界隈の方。
ありがとう、いつも親切に関わってくれるみなさん。


私は「Ask me why」に出会えて幸せです。
私は「Ask me why」が大好きです。








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