言葉の代わりに涙を流しておりました。

「誰かに届いたときに救われた」のは、相手だけじゃなくて私も同じなのです。

年を明けてから、焦りに襲われておりました。
そして一週間くらい、どうしても元気が出ないまま時間だけが進んでいました。

病院に行きカウンセラーの人に相談したところ、昨年も一昨年もその前の年も、私はこの時期に、体調を崩していました。

『私、変わりたい』と思いました。
けど前向きに変わるような、言葉にできない涙を教えてくれた人がいました。

「ありがとう」よりも、もっともっと大きく感謝を伝えられる言葉がこの世に存在すればいいのに……と。
そのような気持ちでいっぱいになりました。

一冊目の「素敵な体調の崩し方」を読んでくださった人からメッセージをいただきました。
嬉しかったのです、本当に。

「届いた瞬間って、自分の生が他者と繋がった瞬間」みたいな感覚だと思いました。

あまりにも自信を無くしていたものですから、
「生きていて意味がある瞬間」だと思っていいのかなって。

正直、「素敵な体調の崩し方」を書いていたとき、そして完成したとき……、
私は、満身創痍でした。
書いた内容はフィクションじゃなくて、
現実が作品に滲み出たノンフィクションだと思っています。
とても内容の濃度が高かったと。
本当に身体ごと削って作品にできたのだと思っています。

いただいたメッセージを読んだとき私は池袋駅のホームにいました。
決して忘れないでしょう。
「報われる」ではなくて「存在が証明される」感じに近かったこと。
この本の文章はただの表現手段じゃなくて、
生存の痕跡とか、証人みたいな役割をしている気がしております。
それほど嬉しかった。
嬉しさが涙に変わり、私の心が沈んでいたとき、背中を押してもらえた気がします。

本を書くって、外から見たら
「表現」とか「出版」とか「作品」かもしれません。
けれど内側の実態は、
🌱蓋をしたい記憶に自ら触れること
🌱フラッシュバックを覚悟すること
🌱涙が混ざること
🌱孤独な時間に耐えること
🌱傷口を開くこと

「質」と言えば良いのか、「命の質を削る作業」だったのかもしれません。
私はどうにかやりきり、しかも届いた人がいて、
「書いて本当に本当に本当に、良かった」
と思えました。
それは、出版できた……とかではなくて。
「命の使い方が肯定された」ような状態でした。
あの時のあの苦しみは全て、
「無駄ではなかった」に変わったのです。

本当に、本当に、ありがとうございます。
救われたのは私の方です。
喉が痛くなるほど人前で涙を堪えました。

そして後で一人で大泣きしました。

ありがとうございます。