作者はこれを「常野物語」と呼んでいる。人よりもどこかひとつ抜きん出た能力を持つ「常野」一族にまつわる短編を集めている形だ。しかしまとめて読むときちんとひとつの繋がりのある話になってもいる。
一枚一枚が繊細な柄の生地を集めて縫った、大きな一枚のキルトのようだ、と解説者は説明するが、まさにその通りであった。特殊な能力を持ちながら慎ましく、ひっそりと生きる常野の人々は、我々の日常の中に潜んでいて、見えないものを見ては世界の本来の姿を”感じて”いる。
哲学的な発想が随所に散りばめられているが、少し聞いた事のあるような考え方だった。目に見えるものだけが存在の全てではなく、ほんの少しのイマジネーションで世界は歪み、形を見失う。嵐の日に亜希子の見るグラウンドの光景、ビルに「ツタ」を見つけては草むしりをする男性、聖地達磨山での幻影。それぞれが見えるものなのか見えないものなのかは定かではないが、そこに確かに存在するものとして描かれている。
極めて女性的な文章といえよう。長野まゆみほど表現が抽象的でないにせよ、「繊細に書かれた女性の文章」という印象を持った。私は女性的な文章よりも男性的な文章を好むので、少々男性側の心理描写が少ないように感じた。いつも思うが、彼女の作品は「煮え切らないファンタジー的ミステリー」という印象が非常に強い。(余談だが、私が心から「煮え切った!」と納得できるファンタジーミステリーは瀬名秀明の『八月の博物館』などである)
女性作家は、特に「主婦」「少女」の描写を細かくやる割に、「少年」「青年」をどこか女々しく書きがちである。少し弱弱しい”王子様的”な男性像が多いのだ。最初の章に出てくる男の子や最後の章に出てくる律青年などは、論理的で淡々としており、いかにも女性が想像する男性像である。この点で、男性作家が書くような荒々しく汗臭く情けない男性像を好む私は少し物足りなさを感じてしまった。常野の人間が皆穏やかという設定なのだから仕方が無いが、一人くらいは対照的な男性がいてもいいのではないか。
特に大きなインパクトはないが、静かな気分で哲学的な思想に浸りたい人にはオススメかもしれない。