メール「母に送られた信じられないメールの件、聞きました。

自分の今後を心配するばかりで、いまだに母のことは何も考えてないんですね。

今、誰よりもつらいのは母です。

 

35年間、おそらくお付き合いをしていた頃から数えたらもっと、母はあなたのことを誰よりも愛し、どんなに横暴なことをされても耐え続け、私たちが暴力に怒りを覚えた日もあなたのことをずっと擁護し続けてきました。

親族はじめ、町山家によくしてくれる人たちがいるのはすべて、母の明るさと優しさ、懐の深さがあってのことです。

それなのに、その35年間のすべてを否定され、あとにも先にもあの女だけと言われ、敵呼ばわりされ、早く一緒になりたいと言い合っているのを見せつけられ続けました。

 

被害者ぶらないでください。

あなたの今後の生活なんて、どうなろうと自業自得です。

 

あと、あの女にも慰謝料請求します」

 

優子と戦う傍、私はクソジジイの「他人として衣食住を共にしてください」メールへの抗議もしていました。

実際にはこの倍くらいの量のメールを送りつけていて、おそらく人生で一番、父親に自分の言葉を発しました。

最初で最後。

送ったあとはなんの感情もわいてきません。

 

クソジジイメール「俺が被害者なんて思ってません。1000%加害者です。教えてください。罪を償うにはどうしたらいいですか?」

 

チーンチーンチーンチーンチーンチーン

 

このメールのあと、父は妹の家にいる母のもとにやってきました。

妹の家は、実家から車で5分程度の距離にあります。

半日以上経ってようやく、「追いかけてきた」感を見せにきたようでした。

 

妹の家には幼い子どもたちもいるため、2人は車の中でしばらく話をしたとのこと。

優子とは別れてきたとか、そもそも母と別れてまで一緒になるつもりはなく、そのことを向こうも了承していたとか、自分が一方的に熱をあげたとか。

要は「ダダをかばう」言い訳をしにきただけでした。

おそらく、私が優子に慰謝料請求をすると言ったからでしょう。

 

①誘ったのは優子じゃない

②家庭を壊すつもりはなかった

 

という点で、2人は口裏合わせをしたと思われます(これは、のちに確信に変わりました)。

 

結局、クソジジイは「罪は償う」だの「生活費は払う」だの「離婚はできない」だの言うくせに、「戻ってきてほしい」とはひと言も言わなかった。

母は話し合い後、契約していたアパートに荷物を運び出しました。

 

この日から、2人の別居が正式にスタートしたのです。