父の闘病記、続きです。
前回の話はコチラ
 
 

治療は血液検査を随時しながら、

状態に合わせて、輸血と抗がん剤を併用した。

 

輸血は製剤種が色々あった。

父の場合、病院から提示された6項目のうち、

”自己血”以外の5項目全てを使用予定という

説明を受け、同意所を提出した。

 

調子が良い時や、安定している時は良いのだが、

面会時間にすぐに私がいかないと、

しょっちゅう電話がかかってきた。

今思えば、自分の身体の状態が

とても不安だったのだと思う。

ただ、私には、勘弁して・・と思う気持ちも強かった。

毎日行ってた病院も、体調が優れないと、

1日置きになったこともあった。

 

 

 

 

 

 

ただ、母はどんな時も欠かさず、

病室へ行っていた。

私が行けない時は、出先で必要なものを買って

お見舞いに行っていた。

入院してから1日も欠かさず行ったのは、

母だけだった。

仕事を休み、父に付き添う私ができないことを、

母はこなしていた。

 

自分の夫がそうなった時、

同じようにできるかと言われれば、

私はYESと言えない。

 

そんな時、私はケガをして1週間ほど自宅療養になった。

転んで尾てい骨を強打したのだ。

ケガの原因がマヌケだったので、

電話で報告した時に、父はとても呆れていた。

 

家事もほとんど手伝えなくなった。

できることは、病院からもらってくる書類に目を通し、

記録すること。

書類仕事は得意だったので、

病院の手続きや提出物は、全て私がやっていた。

それぞれが、倒れないように、

病院と家、職場の行き来する日々だった。