今回は母のことを書きたいと思います。
私の母は私が子供の頃、
家の中で女王様のようにふるまっていた (>_<)
女王様というより、女帝かな? (笑)
働かない父の代わりに、毎日
フルタイムでゴム会社で働き、
結果、ストレスなのか、疲れなのか分からないが、ほんの些細なことで、日常的に子供をしばきまわしていた (>_<)
働かない父へのイライラも、もちろんある。
前にブログにも書いたとおり、
私もそれぐらいは分かってる。
母がかわいそうなのも、分かる。
ずっとそばで見てきたのだから。
だけど、わずか小学三年生の子供が、
「お母ちゃん、ごめん…」
と、前置きしてから、おそるおそる
「図工で使う画用紙のお金ちょうだい…」
と言っただけで、
子供が遅刻するまで、
自分の気が済むまで、
友達の目の前で、
しばき続ける母を、
かわいそうな人だからしょうがない…
とは、私は思わない。
🙍🙍🙍🙍🙍🙍🙍🙍🙍🙍🙍🙍🙍🙍🙍
私が中3の時、何かのことで母におそらく反抗したのだろう。
(あまりにも些細なことで激昂するので、いちいちその理由を覚えてない)
玄関のところにある、ジャンプ傘の傘の方ではなく硬い持つ方のところで、私をしばきだした (>_<)
その日は特に機嫌が悪かったのか、
かなりしつこくやられた (>_<)
私は本能で頭を守ろうとした。
頭を抱えるようにして、団子虫のように丸くなって、部屋の隅で座っていた。
逃げ場は、どこにもない (>_<)
その背中を気が済むまで、母はしばき続けた
(>_<)
何かを、わーわーわめきながら。
中3といえば体もそれなりに大きい。
痩せてガリガリの母に本気で歯向かえば、
絶対に勝つのにやり返さなかった。
次の日、学校で授業を受けていたら、
背中が痛くて、痛くて…(>_<)
我慢していたら気分まで悪くなり手を上げて、
「気分が悪いので保健室に行かせてください」
先生に言い、保健室へ。
保険の先生が、どうしたの? と聞くから、
背中が痛くてたまらない…と、言いました。
先生は、ちょっとブラウス脱いで見せてと。
私は、ブラウスを脱ぎ先生に背中を向けた。
先生は、
「あ…!!」
と、言ったと思ったら、何も言わずに保健室から出ていき、隣の職員室に入っていった。
待てど暮らせど、帰ってこない (>_<)
私は、仕方ないからそのままベッドに横になり、眠った。
その日、帰って家の鏡で自分の背中を見た時、ようやくすべてが分かった。
背中一面、傷だらけだった(>_<)
縦に筋のような傷が何本も入り、その一本一本の傷がすべて赤くなっていた (>_<)
それはまるでSMの女王が (笑) ムチで、しばきまわしたような後が残っていた (°Д°)
先生は、おそらくびっくりしてどう対処していいか分からず(若くて可愛い女の先生でした)
思わず保健室を飛び出し、
隣の職員室に相談に行ったんやろな (>_<)
それにしても、私に
「そのキズどうしたの?」
「誰にやられたの?」
とうとう誰も何も、聞いてくれなかった (>_<)
私は不良だったから、
もしかしたらもしかして、何か
大きな誤解を先生にされたかも (>_<")
ちゃんと聞いてくれたら、別に答えるのに。
とうとう、何も聞いてくれなかった (>_<)
その日、母のところに学校から電話がいったかな~と思っていたが、家に帰ると母は至って普通だったので、電話はこなかったのだと思う。
「足腰立たなくなるまで…」
と、よく聞くけど、この時は本当に足腰立たなくなるまでやられたな… (;_;)
それと、もうひとつ。
強烈に覚えてるのは、
母が畳の上に大の字で寝て、
私たち子供達に威圧的に、
「もめ!!」
と命令し、右手、左手、右足、左足と、
四人の子供がそれぞれのパーツを担当して、
一生懸命もんでいたことだ (>_<)
それも、10分や20分じゃ終わらない (>_<)
なが~い時間続く。
仰向けに大の字で、寝てる母。
その、両手、両足を文句も言わず、
必死でもむ子供達…
子供心に、
「この人、何様!?」
と、思ったことを覚えてる (笑)
そんな母だったが、
晩年は少し可愛くなった。
自分のしてきたことも、よ~く分かってるのか、あまりワガママも言わなくなった。
最後は、特別養護老人ホームにいた母。
子供達に気をつかってか、寂しくても来て来てとは、あまり自分から言わなかった。
私の目から見ても、
我慢してるのがよ~く分かった。
あんなに、怖かった母、
あんなに、恐ろしかった母。
あんなに、憎たらしかった母。
でも最後は、
小さく、まる~くなって、
死んでいった…
どんな人でも、こうやって最後は
小さく、まるくなって死んでいくんやな… (;_;)
生きてる内に、
小さく、まる~くなったら、
うんと可愛いのに (>_<)
…母から、またひとつ学びました。