さすがに、眠れる訳もなく。
ここのところ、入退院を繰り返していて、
先生が、現在の状況を御家族に説明させて下さい、というものだから、はるばる離れた兵庫→東京まで、兄に出て来てもらった。

予定の時間になっても、なかなか主治医は、現れず。
待つこと20分ほどだったか。

説明しましょうか、と先生が現れた。

いや、ずっと待ってたんですけど、、、、、  


席につくなり、サラサラと話し始めた。
私は、2種類目の抗がん剤治療中。の途中ドキシルの3回目で副作用に倒れた。

ようやく落ち着き、次の抗がん剤を始めようか、というところだった。


話し始めた主治医は、3種類目の抗がん剤の効果の確率は10%程です。と。このまままた、抗がん剤をやって、副作用に苦しむか、治療をやめて緩和ケアに入るか選んでください。やってもやらなくても、効果は同じ様なものです、と。

随分、さらりと余命宣告するんだな、という実感で、涙も出なかった。

それでも、どちらか選ばなければならない。
私は緩和ケアにします、と伝えました。

自宅近くの病院と、連携をとりながらやっていくという。
これから、そのもろもろの手続き。

どうなることやら。

なるようになる。

奇跡を信じて。
入院中、私を支えてくれた、パンダさん。


腰が痛い時、お腹が痛い時、体勢がキツい時、いつも助けてくれたパンダさんです


~女性の皆さんへ~

私が闘っているがんは、卵巣がんです。
私は卵巣がんが見つかった年の1月に、子宮がん検診を受けていました。
体の不調(下腹部の鈍痛)が出たのは、5月です。


卵巣がんになってから、

『卵巣がんは子宮がん検診では、分からない』

という事を知りました。


もし、今生理痛が酷い、下腹部に鈍痛がある、違和感がある、不正出血がある、何かしら異常があったら、すぐに婦人科を受診して下さい。


子宮がんも、子宮体がん、子宮頸がん、卵巣がん、と色々種類がありますが、卵巣がんが一番見つかりにくいがんだそうです。


特に子宮内膜症、子宮腺筋症、卵巣嚢腫、子宮筋腫などがある方は、痛みに慣れている為、なかなか婦人科に行くタイミングを逃しがちかもしれません。


私も、どうしてもっと早く婦人科を受診しなかったのだろうと、後悔しても後悔しきれません。

女に生まれてきて、
子供を産む事が出来なかったからです。


毎月毎月、のたうちまわり、なんの為に生きてきたのだろう、と思います。


鎮痛剤を飲んで、症状が治まっても、それは一時的なもの。病気が治った訳ではありません。


私は生理が始まった頃から、生理痛が酷く、必ず寝込んでいました。でも、母親に生理くらいで寝込んでいてどうするの、と叱られていました。
だから、ガマンしなければならないもの、と思っていました。


ロキソニンも効かなくなり、救急車を呼んだ事もあります。


今思えば20代から、生理前症候群PMSもあったと思います。でも診断された訳ではありません。
恥ずかしくて、婦人科に行けなかったのです。


歳をとるにつれ、生理期間、生理前だけでなく、月の大半、仕事に支障をきたすくらいに、立っていられないほどの痛み、貧血などの症状が出るようになり、ようやく婦人科に行きました。


婦人科に行って、検査結果、子宮内膜症(子宮腺筋症)、卵巣嚢腫、子宮筋腫と診断され、子宮全摘出を勧められました。
40そこそこでしたが、私は全摘出を決断出来ず、
「取りたくありません」と先生に伝え、毎月生理を止めるホルモン剤を飲み、症状を抑える治療を受けていました。


それから、4、5年経ってからの卵巣がん発病でした。
放置しておくと、がんになる事もある、と言われたかもしれません。でも、サラッと言われたので、あまり記憶にありません。


最初に、子宮全摘出を勧められた時は、
私はがんでもないし、がんになれば取ればいいし、という安易な考えでいました。


まさか、本当にがんになるとは思っていませんでした。



「がんになれば取ればいい」
そんな、簡単なものでは、ありませんでした。



私は、昨年の7月に「卵巣がんの疑いあり」と告知。


8月に手術、「目に見えるがんは、全て取りました」と言われ安心していました。


9月末から、「再発予防の為に、念の為抗がん剤治療をします」という話だったのが、抗がん剤治療から、3ヶ月ちょっとで、「肝臓に播種らしき影が見える」と言われました。その時は「まだ、はっきり分からないので経過観察で、3ヶ月後に、またCTを撮ります」という事でした。


3ヶ月後、離れた肉親も呼び出され
「肝臓播種、卵巣がんの再発です」と言われました。


私は、術後3ヶ月で、再発したのです。

術後5日目辺りから、胃がパンパンに張って苦しくて、ようやく、食事が全粥になったのに、ゆっくりゆっくりしか食べられなくて、やっと食事が終わったと思っても、しばらく休まないと、薬が飲めないくらいに、胃がパンパンで隙間がなくて苦しい。
まるで、赤ちゃんのお腹みたい


お腹のエコーとレントゲンを撮ってもらったら、リンパ液がたまってます、との事。

「リンパ液抜きましょうか?また、溜まってくると思いますが」


え!?「痛い思いして、抜いてもらって、また溜まってくるなら、いいです」


この、判断が間違っていたのか、、、。


6日目も、胃がパンパンで辛い。


術後7日目、体はまだくの字に折れ曲がっているけど、支えなしで歩けるようになる。
相変わらず、胃がパンパンで、脇腹が痛い。


8日目、変わらず胃がパンパン。
術前に履いた、弾性ストッキング。私は長く履いていればいるほど、いいと思ってた。

ある、看護師さんに、「あら?まだ履いてるの?もう脱いでいいのよ」と言われ、え?そうだったの、、、と脱いでみる。なんとなく、楽。


なーーんだぁ、と同室の人達に笑われる


術後、9日目。それでも胃がパンパン。破裂しそうに、苦しい。テキパキ動けない。胃の重みからか、腰も痛い。脇腹も痛い。


術後10日目。向かいのKさん退院の日。💐
毎日、楽しくお話させてもらったり、母もお世話になったりしたのに、お見送り出来ないくらいに、具合が悪い。ベットから、「見送れなくてごめんね」とバイバイする。


お昼。胃が苦しくてご飯が食べれない。休み休み食べるけど、苦しくてしんどい。
痛い痛いと、口に出すようになる。
母に我慢しなさい、と叱られる。


とりあえず、もう食べれそうにないから、薬だけでも飲んでおこうと、起き上がった瞬間、胃の裏が痛くなり、のたうちまわりだす。呼吸も苦しい。体の持って行き場がない。自分で自分の体が支えられない。


ナースコールで、看護師さんが来てくれ、胃の裏をさすってくれるけど、全く良くならない。
横にもなれない、イスに座ってみてもダメ、いよいよ私は床にへたりこんでしまった。


看護師さんが、1人2人と増え、その日は土曜日で、担当医がいなかった為、別の先生が来てくれる。
酸素マスクをつけられ、緊急検査をした。



検査結果、お腹に溜まったリンパ液が肺を圧迫して、呼吸困難になっていた、との事。
その日はなんとか落ち着いて、翌日結局、リンパ液を抜いてもらい、だいぶ楽になる。





こんな事なら、もっと早く抜いてもらっておけば良かったよ~~~