西本願寺の宗祖・親鸞の誕生日を記念した

「宗祖降誕会」の祝賀能が毎年521に催されるけど、

浄土真宗の信徒で招待券がないと、

安いビジネスホテル1泊分の参拝懇志をご進納すれば、

観能券をゲットできる。

明日から、いよいよ旅館勤務で、京都めぐりはままらなぬ。

これから頑張る自分へのご褒美に、

奮発して、西本願寺の祝賀能へ、参る。

で、篤志を上納したら、観能券 プラス 国宝・飛雲閣でのお茶券。

園内ではなく、飛雲閣の室内、ってスゴイじゃん!

(以前の特別公開は外観だけだった)


1階の書院の広間で、薮内流の抹茶をゴクリ。

確かに、飛雲閣の船着場から室内に入れる構造でした

(さすがに室内を撮影できる雰囲気にあらず)


西1

で、書院の南能舞台での祝賀能、開演は1230分より。


西2

観客は書院(鴻の間など)の畳に座るけど、

整理券の座席自由だから、拙者が入場した時には、

舞台正面は観客ギッシリ。どこかしこも観客席は人だらけ。

やむなく、舞台正面の右手から眺める。


西3

柱と雨樋がジャマで、死角が多く、なかなか観能に集中できない。

って言うよりは、

開演以後に、遅刻した者が、

どこに座るべきか、能舞台が見える場所を探して、

誘導係の職員が右往左往して、ウロセーんだよ。

演劇でもコンサートでも、開演時間に間に合うよう入場、

(座席自由なら自分のポジションを確保)

するのが、観る者としての常識だ!


また、写真撮影は黙認だったので、

コンパクトカメラのオート撮影でフラッシュをまたたかせる機械オンチは、まだカワイイけど、

携帯電話カメラの撮影で、ピロロロ~~ンと耳障りな電子音を放つのは、いただけナイ。

まして、携帯の電源を切らずに、着信音を響かせる輩は、

もはや舞台芸術を観る資格はない。


これも、

拙者のように参拝懇志を自腹で進納したのではなく。

浄土真宗の信徒としてタダの招待券で観能だからであろう。

タダやし、せっかくだから能を見ましょ では困るのだ。

舞台は、役者だけではなく、観客にもよって成立するのだから、

しかるべきマナーを守らねば、素晴らしい演技も感動が半減する。

さらに、ひとつの演目が終了すると、

(休憩時間もなく次の演目がすぐさま始まる)

新幹線の時間もあるし、帰ろう、帰ろ

とゾロゾロ退出するから、

ただでさえ能の台詞は難解なのに、

物語の冒頭台詞が聞き取りづらく、

集中できないまま、ハナシが展開していくから

能鑑賞は難破していく…

これも、タダの招待券に依る。

有料ならば、モトをとろうと終幕まで必死に観るハズだ。

確かに、江戸時代の能舞台(重文)を用いた舞台環境は素晴らしかったが、

観衆に問題が多かった。


結論:能を観るなら、能を見たのだと気合が入った方々が集う舞台にすべし。