南都奈良の大乗院は、興福寺別当職(興福寺で一番偉い僧侶)の住む門跡寺院で、藤原氏の氏寺興福寺だけあって藤原家の子弟が入室した。つまり大寺院興福寺の事務本坊。何度も火災で焼失したが、その庭園は南都随一の名園と世に知られ、芸数寄の足利義政将軍も見学した。
明治維新の廃仏毀釈で大乗院が廃絶すると、平安時代に造築された名庭も荒れ、明治42年(1909)には池の北側に奈良ホテルが建った。
而、池の向こう岸の木々に間から奈良ホテルが見えるのものの、空を隠すものではなく、著しく景観を損なわず幸いである。(写真参照)
さて、京都には多くの借景名庭がある。
が、ビルやらマンションやらの建設で多くの美なる景観は破壊された。寺院経営の経済困窮から自らR大学にキャンパス用地として境内を売却して、衣笠山の借景をも売り渡した某寺院もある。
「日本に京都があってよかった」なるポスターを市掲示板で拝見したが、行政(京都市)は凡て金の世で生きる業者と寺院に対し、どれだけ本気で-京都の美-を保存・活用する意思があるのだろうか。行政だけではなく、京都人の魂の問題、と謂える。