こういうことを書くのは恥ずかしいんですけど。

私は、友達が一人もいません。

 

学生の頃は少数ですけどいましたが、大人になってから、思うところがあり、自分から疎遠にしてしまったところもあるのですが…。

 

友達を作ることについては、学生の頃の経験から、あまり積極的になれない傾向がありました。

 

昨日まで仲良くしていた友達が、次の日から急に冷たくなり、そのまま付き合いがなくなるということが、度々起こるのです。

自分では、当時はなぜなのか解りませんでしたが、なんとなく、自分が変なことを言っているのかな、とは漠然と思っていました。

何が変なのかはわからず、しかし冷たくなった人に理由を問うこともせず、そのまま離れました。

 

30代の頃に「毒になる親」という本に出会い、自分の親が「毒」であったことに気が付き、そこから色々と、自分のことについても考えるようになりました。

 

私は子供の頃から親に、傷つく言葉を沢山浴びせられてきました。

 

特に父親からが多かったです。

そして母親も、それを容認していました。

 

具体的にどのようなであったのかはすぐに出てこないのですが、冗談のようにゲラゲ笑いながら、容姿をけなすとか、欠点をからかうとか、そういったことです。

 

社会人になってからだと、私の仕事の話をすると「お前の仕事なんかどうでもいいんだ」とか。

 

20代の頃でしょうか、事故か何かで小さい子供が亡くなったニュースを親と観ていた時、「可哀そうだね」と私が言う、と父親が「代わりにお前が死ねばよかったんだ。」と笑いながら言われたのは、比較的最近なので、鮮明に覚えています。

 

当然、私はかなり傷つくのですが、「こんなことを言うけれど、親子なのだから本心ではないのだ。冗談なのだ。」と言い聞かせて耐えるところがありました。

 

母親に相談すると、「親のやることだから、いいのよ。」と、父親の言動を咎めることもなかったからです。

このときに限らず、幼少の頃からです。

 

私のが20代の頃、父親が朝の着替えの時間になるとノックもせずにいきなり私の部屋のドアを開け、下着姿の私をまじまじと見ていくことを相談した時も、母親の態度は同じでした。

 

とにかく、「親のやることは全て正しい」という環境でした。

ひどいことをされても、言われても、「親子だから、仲がいい間柄だから問題ない」と言い聞かせられる環境。

 

そこから、「ひどい言葉」を「きつめの冗談」ととらえ、仲の良い人には言っても良いのだと思い込んでいたところがあったように思います。

 

友達が去っていったのは、私の無自覚なひどい言葉だったかもしれないと、「毒親」を知ってから、思うようになりました。

「死ね」とかは、どう振り返っても言ったことはないですが、父親に言われたような言葉を、悪いことと思わずに、友達に言っていたんでしょう。

それは、去って行くでしょう。

 

今は、自分の発言が怖いなと思います。

「毒」を吐くのを、コントロールできないのは、まずいことです。

 

必要以上のことは、なるべく話さないようにしています。

なので、今も親しい人はできません。