好きな映画 | 市橋直歩オフィシャルブログ Powered by Ameba

好きな映画

なんとなく気が向いて
特別に大好きな映画を観ている。

温かく優しい映画はよく何度も観るけれど
大好きだけど重かったり、心に触れるものほどなかなか気軽には観れなくて、久しぶりになったものもある。

数年前から自分の精神世界は
よしもとばななさんの小説と 
ものすごくうるさくてありえないほど近いという映画と
渇きという映画の要素で成り立っていると言えると思うと言っていた。


3つとも違う。それらを合わせて割ったものではなく、それらそれぞれを持っているという感覚に近いかもしれない。


渇きは、映画を観ていて台詞に心を奪われ翌日原作を読み切った。個人的な好みで言えば原作の方が好きだ。

そもそも私は説明が大好きだ。するのもされるのもすきだ。噛み砕いたり、噛み砕いてもらったりして伝わった先で、理解したいのだと思う。

余韻や空白を好む気持ちと同じ量で、それらを正確に把握したいという気持ちがある。

だから小説の方がすきだったのだろうなと思う。
けれど、要素としてのものは映像の方が強く、キャッチコピーにもあったように劇薬。
理解不能でめちゃくちゃで、惹かれていく感覚が映画の方がダイレクトで、私は夢中になったのだろう。

そもそも原作と映画等のものは別の作品だという感覚も強い。

私は陶酔に近い恋愛の表現がすきなのだと思う。振り返れば、好きな曲の歌詞なんかもそうだ。
だからこそ、台詞に心を奪われたし、それらが表現するかなこがたまらない気持ちになるのだろう。


久しぶりに文字にしたいと思ったのは、渇きの話ではないで、このままではあまりにも長く書いてしまいそうなので、渇きの話題はここで終わり。



ものすごくうるさくてありえないほど近い

この映画がすきだ。
もともとの印象としては、オスカーが心の激しさをそのまま表現しているという部分が強かった。

それはきっと、その時の私がそうであれたらいいのにと思っていたのだろうと思う。
ワークショップなどに通う前、お芝居をする機会はすくなかった。私は私がいつも選択する感情表現以外で自分の内面を表現することがなかった。


もちろん、怒ったことも泣いたこともある。
ただ、激しく感情のままになったことは無いと思う。
今思えば自分のみに没頭する、我を忘れる、感情に身を任せることをしたことがない。


それでもそれは、そうなってしまうほど強く何かを抱えたことがないわけではない。

ただ、選択肢になかった。
ヒステリックに怒ることも、自分以外の何かに当たることも、怒鳴ったりすることも。


それはきっと自分はしっかりしていて、歳の割には大人っぽくて、ちゃんとしてるという勝手なイメージを壊せなかったからだと思う。

人からの評価やイメージを自分のアイデンティティにしていた。
逆を言えば、人から言われているそれらから外れたら自分の価値は、固有性は無くなるのではないかと怖れていた。固執していた。



だから選択肢になかった。
それでも嵐のような感情を何かぶつけてしまいたかったり、理解してもらえない苦しさを理解して欲しくて、叫んでしまいたい時もあったのだ。

それでもそれらの気持ちはいつも行動の選択肢には出てこず、私はその想いをゴミ箱に捨てていた。


オードリーが彼の性格故に、自制しても仕切れず、癇癪を起こす時、私は何かが軽くなったように感じたのだ。

きっと物語を通して感情移入していた私は、彼の行動によってゴミ箱の中身を消化できたのだろう。

少しだけ脱線するが、いつかの私は考えて考えた結果これが私のお芝居がしたい理由だと思った時がある。
と、同時に、私自身もゴミ箱の中身を消化できるのではないか、と思っていた。


私の中の幼さや心の中のこどもがオードリーにひどく共感して、私はこれを特別な映画だと思った。

そして久しぶりにみかえしてみて、前途書いたことがなくなったわけではないけれど、とても小さくなっていることに気づいた。

数年が経ち、環境が変わり、私の心は穏やかになったのかもしれない。それかもしくはオードリーのみに感情移入する時期ではなかったのかもしれない。


年齢を重ねて、私の中に母性のようなものや、小難しくなっていってしまう大人サイドのことを少しは分かるようになってきたからだろうか、出てくる大人たちへの感情の大きさがあった。


とにかく、細かくは書かないが、最高に大好きだなと思った。
終わり近くが特に大好きだ。
この映画には、私のつぼが詰まってるんだ、と改めて知った。

オードリーのキャラクター
親子や家族のあり方
人の人生というもの
全部教えてくれるわけじゃないけれど、表情が伝えてくれる

純粋さとは、なにかを溶かしたり、開けたりするのかもしれない。



やらなければならないこと、が増えれば増えるほど、シンプルに純粋に、素直にいることはどんどん難しいことのようになってくる。

愛してくれるものだけに囲まれて生きていくことはなかなかできないから。


だからこそ、大人になればなるほど、問題は複雑になって絡まってしまって、解けなくなってしまうのかもしれないといつも思う。

これからもう一つの特別に好きな映画を観ようと思う。
それはまさに、解けなくなった、分からなくった大人の話。