あなたのためか、わたしのためか
いい人は得しない
気もする。
というより、いい人は最後救われるか、いい人であるために悲しい結末になるか
どちらかが物語の中では多い気がする。
いい人がいい人でいるのは、どうしてかな。
と考えてしまった。
いい人もきっと、いつだって誰にだっていい人ではないかもしれない。
大切に仕方がそれぞれあるように、他人だからこそ、分かりやすく優しく出来る時もある。
1番に伝えなきゃいけない人に、言葉よりも行動よりも、もっと遠くにあるものに懸命になって、彼らの今後を支えているかもしれない。
もしくは、大切な人を大切にするあまり、周りを棘で覆っている人もいるかもしれない。
母性/湊かなえ
を読んでいる最中ということもあって、きっとこんなことに考えを巡らせているのだ。
そこに出てくる彼女はいい人である、いい子であると同時にとても悲しい。
なぜなら、彼女は褒められたいからそれをして、愛されたいから選んでいるのだ。
歪みを感じるのだ。ひどく共感しながらも、それではダメだよと思うのだ。
けれど、そのことについては、また本を読み終えてから書こうと思う。
彼女のことをもっと知ってから。
今話したいのは違う話なのだけれど、どう言い換えようとしても、彼女の選択と違う言い方が出来なくて
彼女はフィルターが入っているだけで、あくまで自分で選んでいるし、あぁ、評価が関係ない善意。
これが1番近いかもしれない。
ともかく、ラストシーンで、彼らのとった選択はとても尊い。でも、それが全部上手くまとまるのは、全員が助かった時だけだ。
順番が後になればなるほど、危険は増していく
それでも先に先に行かせるのは、どうしてだろう
彼にも愛する家族があって、会いたい人がいて、居なくなってほしくないと今その瞬間に涙してる人がいる。
もう今にも崩れ落ちそうなビルの中で、諦めた彼に諦めるなと手を伸ばす彼も、みんなとともに外に出たって良かったのだ。
でも、彼は諦めるなと言い、手を伸ばした。
この2人のこの瞬間は誰も証言できてないであろうから、誰かの頭の中の話かもしれない。
でも、2人の行動について、考えていたんだ。
エンドロール中ずっと
2人はどうしてそんなことをしたのか
どうして選んだのか
確かに我先にと逃げ出したとする、誰かを押し退けてまで
それはきっと、悪い人のように映るだろう。
でも、誰もが理解出来る気持ちだと思う。
結局、思ったのだ。
2人は誰かのためにそれをしたわけではない。
もちろん、あなたに助かって欲しかった。
あなたを帰してあげたかった。
でも、なにより耐えられなかったのだ。
もしもしょうがないことだと見逃してしまったら、この先、自分として生きていけない。
きっとそういうことだ。
自分に恥じない人生を
僕が僕として生きていけるように
大きなものを目にした時、改めて思うのだいつだって
大切で大事なことを
もっと日常の近くに置いておかなければ
いつかはいつくるかなんて分からないし、毎日はいつ平凡な皮を脱ぎ去るか分からないのだから
ナインイレヴン 運命を分けた日