#出会い編kicoの場合④
この時は自分でもビックリしたのですが、
もう、幻聴でも聞こえているのか
というレベルで 「叩いちゃダメ」が身体中に響き渡るような感覚でした。
悲痛な叫び という感じ。
-
結局この時
「叩いてもいい」は言葉として発することすらできませんでした。
-
-
この、「〇〇してもいい」と言ってみる手法は、
実際に〇〇をやるかやらないか では無くて、
自分の中にある強制的な禁止を 解除すること が目的なのだと思います。
-
選択肢があれば、別にストレスなく自分の好きな方を選べばいいけれど、
選択肢がなくなって、強制的に1つしか選べなくなってしまうようになると、
仮にそれが普段自分が選択しているものでも、途端に不自由さを感じ始めると思うのです。
-
例えば、普段そんなにお酒が好きではないのに、授乳中で強制的に禁酒しないとならなくなると、
「あー!授乳中だから飲めない〜っ」って
とっても窮屈に感じたりしませんか?
(↑私はそのタイプでした。
普段年に数回しか飲まないのに、妊娠〜授乳期が5年くらいあったので、かなり不自由さを感じていました)
-
授乳中だから飲めない と、
今は特に飲みたくないから飲まない とだと、
飲まない という結果は同じなのに、後者の方はストレスがほとんどないと思うのです。
-
多分それは、自分で選択できてるから。
-
「子どもを叩くこと」も、
それをやったら母親失格だから、
子どもに心と身体の傷を与えて自分のような人間にさせてしまうから、
父のような人間には絶対にならないと誓ったから、
絶対に絶対に絶対に叩いちゃダメなんだーーー!
...ではなくて、
叩いても叩かなくてもどっちでもいいけど、今は叩かない
という風に、自分でちゃんと選択できていればそんなに苦しくならないと思うんです。
-
自分で選択 と言うのは、
社会一般的な見解から〜 とか
人として〜 とか
親に言われたから〜 とか
子育ての専門的な分野からみても〜 とか
そういうの、全部取っ払って 自分がどうしたいか を感じて決める ということだと思います。
(↑私には、こんな単純なことも とっても難しかったです
普段からできてる人からしたら、
それって当たり前のことじゃないの? となると思いますが、
大量の猫と鉄のアーマーで、自分の声が聞こえなくなっていた私には、
神業と思えるくらい難しいことだったとご理解下さい)
-
普段やっていることや、やっていないことの「逆(〇〇してもいいor〇〇しなくてもいい)」を呟いてみると、
自分がそれを
自分で選択しているのか、
そうしなくちゃいけないと思ってやっている(orやっていない)のか、
が、見えてくるかもしれません
是非一度、お試し下さい〜
-
-
#叫び声だった
#もはや悲鳴だった
#どこから聞こえてきたのかと周りを見回したくなるくらい
#叩いちゃダメ
#強烈な強烈な強烈な禁止
#言うだけなのに言葉が出ないなんて衝撃だった