皆さんは、

最近ちょっと気になっていること、

ありませんか。

 

たとえば、

朝起きて、

すぐにスマホを見てしまうこと。

 

あるいは、

冷蔵庫を開けたものの、

何を取り出したかったのか忘れてしまうこと。

 

そういう、

本当に小さなことです。

 

これは、

単なる物忘れではありません。

 

人によっては、

それ以上の意味を、

持っているのです。

 

もう少し、

詳しくお話ししますね。

 

先日、

私はスーパーマーケットに行きました。

 

お目当ては、

夕食用の食材です。

 

キャベツと、

豚肉と、

あと、

ちょっとした調味料を買う予定でした。

 

カゴを持って、

野菜売り場に向かいます。

 

キャベツを手に取りました。

 

その瞬間です。

 

私の頭の中に、

ふと、

ある疑問が浮かびました。

 

「では、いったい、

このキャベツは、

どこから来たのだろうか?」

 

そんなことです。

 

買い物中に、

そんなことを考える人は、

あまりいないかもしれません。

 

でも、

私は考えてしまいました。

 

農家さんがいて、

トラックで運ばれて、

スーパーの棚に並ぶ。

 

そこまでは分かります。

 

でも、

問題は、

その先です。

 

私たちの毎日の生活は、

そういう見えない誰かの手によって、

支えられている。

 

そう考えると、

なんだか、

不思議な気持ちになりませんか。

 

ここで、

少し、

話しは変わりますが、

 

私の友人であるA君の話をさせてください。

 

A君は、

最近、

「断捨離(だんしゃり)」にハマっています。

 

家の中にあるものを、

どんどん捨てているのです。

 

服も、

本も、

家具も、

 

思い切って、

処分してしまう。

 

最初は、

「部屋がきれいになってよかったね」

と、

私も気楽に思っていました。

 

でも、

A君の勢いは、

それだけでは止まりませんでした。

 

ついに彼は、

自分の持っているものだけではなく、

人間関係まで、

整理し始めたのです。

 

連絡先を消し、

SNSのつながりも断ち、

 

「本当に必要なものだけで生きる」

 

そう言って、

孤高の道を歩み始めました。

 

ここで、

私たちは、

立ち止まって考える必要があります。

 

では、いったい、

モノを減らすことと、

人間関係を減らすことには、

どんな共通点があるのでしょうか?

 

それは、

どちらも、

 

『現代人の焦り』

 

から来ている。

 

そう、

私は思うのです。

 

私たちは、

情報が多すぎる世界に生きています。

 

スマホを開けば、

世界中のニュースが飛び込んでくる。

 

知りたくもない他人の噂話が、

目に入ってくる。

 

頭の中が、

常にパンパンの状態なのです。

 

だからこそ、

人間は、

何かを「手放したい」と願う。

 

そうしなければ、

自分の心が、

壊れてしまうからなのです。

 

これは、

スゴイことだと思います!!

 

自分の身を守るための、

本能的な防衛反応なのかもしれません。

 

でも、

ちょっと待ってください。

 

すべてを削ぎ落とした先に、

いったい、

何が残るのでしょうか?

 

何もなくなった部屋で、

一人ぼっちで座っている自分。

 

それは本当に、

豊かな生活と言えるのでしょうか?

 

ここで、

さらに話を大きくします。

 

地球上の環境問題についても、

同じことが言えるのではないでしょうか。

 

人間は、

便利さを追求するあまり、

自然を破壊してきました。

 

ビルを建て、

アスファルトを敷き詰め、

緑を減らしていく。

 

それって、

先ほどのA君がやっていることと、

まったく同じではないでしょうか。

 

つまり、

自分の部屋で起きていることと、

地球規模で起きていることは、

 

『縮図(しゅくず)』

 

なのだということです。

 

小さな部屋の片付けも、

大きな地球の環境破壊も、

 

根っこは、

すべて同じなのです。

 

では、いったい、

どうしたらいいのでしょうか?

 

すべてを元の木阿弥(もくあみ)に戻すことなど、

できるはずもありません。

 

ビルを壊して、

全員が山に戻るわけにはいかない。

 

そんなことは、

現実的ではありません。

 

だからこそ、

私たちは、

バランスを考える必要があるのです。

 

自分の心の中にある、

「もっと欲しい」という欲望と、

 

「もういらない」という拒絶の気持ち。

 

その二つの間で、

揺れ動きながら生きている。

 

それが、

私たち人間の、

リアルな姿なのだと思います。

 

そう考えると、

最近ちょっと気になっていること、

というのも、

決して無駄な悩みではない気がしてきます。

 

むしろ、

その小さな違和感こそが、

 

現代社会の歪み(ゆがみ)を教えてくれる、

貴重なシグナルなのかもしれません。

 

キャベツを見つめて立ち尽くした私も、

 

すべてを捨てようとするA君も、

 

そして、

この長い文章をここまで読んでくださったあなたも、

 

みんな、

同じ時代を生きている仲間です。

 

私たちは、

もっと、

自分自身の声に耳を傾けるべきなのです。

 

自分の足元を見て、

今日という日をどう生きるか。

 

そこからすべてが始まります。

 

自分の心が軽くなれば、

周りの人の心も軽くなる。

 

そして、

その優しさが、

やがて街全体を変えていく。

 

さらに、

それが世界を変える力になる。

 

大げさだと思うかもしれません。

 

でも、

私は本気でそう思っているのです。

 

小さな疑問を放置せず、

じっくりと向き合ってみる。

 

そこから、

新しい何かが生まれる。

 

だからこそ、

今日も私は、

 

ちょっとした日常の出来事に、

心を揺さぶられながら、

 

精一杯、

生きていこうと思うのです・・

そう考えると、

人生というものは、

本当に不思議なものですね。

 

毎日、

朝起きて、

会社に行って、

帰ってきて、

ご飯を食べて、

眠る。

 

そんな、

なん変哲もない、

どこにでもある日常。

 

その繰り返しの中に、

実は、

とてつもなく大きな謎が隠されているのです。

 

では、

いったい、

その謎とは何なのでしょうか?

 

それは、

私たちが「生きている」ということそのものの謎です。

 

当たり前すぎて、

普段は誰も考えないこと。

 

でも、

ふとした瞬間に、

 

「自分は、なぜここにいるのだろう?」

 

そんな疑問が、

頭をもたげることがあります。

 

たとえば、

夜中にふと目が覚めたとき。

 

窓の外から、

遠くを走る車の音が聞こえてくるとき。

 

あるいは、

電車の窓に映る自分の顔を、

ぼんやりと眺めているとき。

 

そういう瞬間、

私たちは、

自分の存在の危うさのようなものに、

気づかされるのです。

 

これは、

決して悪いことではありません。

 

むしろ、

人間らしい、

とても大切な時間なのだと思います。

 

少し、

話しは変わりますが、

 

みなさんは、

子どもの頃のことを覚えているでしょうか。

 

子どもの頃は、

世界がもっと広く、

もっと輝いて見えませんでしたか。

 

道端の石ころ一つをとっても、

そこには何か秘密があるような気がした。

 

アリの行列を何時間でも眺めていられた。

 

空の色が少し変わるだけで、

胸がドキドキした。

 

あの感覚は、

いったいどこへいってしまったのでしょうか。

 

大人になるにつれて、

私たちは、

たくさんのことを覚えていきます。

 

効率よく生きる方法。

 

世の中の仕組み。

 

常識という名のルール。

 

それらは、

大人として生きていくためには、

必要なものなのかもしれません。

 

でも、

その引き換えに、

私たちは大切な何かを、

少しずつ、

手放してきてしまったのではないでしょうか。

 

それは、

世界に対する驚きであり、

命に対する純粋な感動です。

 

ようするに、

私たちは、

「慣れて」しまったのです。

 

生きているという奇跡に。

 

毎日、

太陽が昇ることにも、

 

息ができることにも、

ご飯が美味しいと感じることにも、

 

すっかり慣れてしまって、

感動する心を忘れてしまった。

 

だからこそ、

退屈を感じるのです。

 

だからこそ、

満たされない思いを抱えるのです。

 

本当に、

もったいないことだと思いませんか。

 

世界は、

こんなにも美しく、

こんなにも謎に満ちているというのに。

 

では、

私たちはどうすればいいのでしょうか。

 

もう一度、

子どもの頃のような目を取り戻すには、

どうしたらいいのでしょうか。

 

実は、

それはそんなに難しいことではありません。

 

何か特別な修行をしたり、

遠くへ旅をしたりする必要はないのです。

 

必要なのは、

「立ち止まる」こと。

 

それだけです。

 

いつもは通り過ぎてしまう場所に、

あえて立ってみる。

 

いつもは聞き流してしまう音に、

耳を澄ませてみる。

 

いつもは適当に済ませてしまう食事を、

一口ずつ、

しっかりと味わってみる。

 

それだけで、

世界はガラリと姿を変えます。

 

見慣れていたはずの景色が、

急に輝き出すのです。

 

これは、

とてもスゴイことです!!

 

私たちは、

いつでも、

どこにいても、

世界を新しく生まれ変わらせることができる。

 

その力を、

最初から持っているのです。

 

そう考えると、

日々の生活が、

少し違ったものに見えてこないでしょうか。

 

面倒な仕事も、

退屈な家事も、

 

すべては、

自分という人間を磨くための、

かけがえのない素材なのだと気づく。

 

嫌な上司も、

理解できない隣人も、

 

みんな、

自分の心を映し出す鏡なのだと気づく。

 

そうやって、

視点を少しだけずらしてみる。

 

それだけで、

生きる苦しさが、

フッと軽くなったりするのです。

 

もちろん、

すべてがうまくいくだなんて言いません。

 

現実は、

そんなに甘くありませんよね。

 

悲しいこともある。

 

理不尽なこともある。

 

どうしようもなく落ち込む日だって、

たくさんあります。

 

でも、

だからこそ、

いいのです。

 

完璧な人間なんていません。

 

迷いながら、

傷つきながら、

それでも一歩ずつ歩いていく。

 

その姿こそが、

人間らしくて、

美しいのではないかと、

私は思うのです。

 

完璧を目指す必要なんてありません。

 

ただ、

目の前にある現実から逃げず、

自分の心をごまかさず、

正直に生きる。

 

それだけで、

十分なのです。

 

自分の人生の主役は、

いつだって自分自身なのですから。

 

誰かの敷いたレールを走る必要もなければ、

誰かと比べる必要もありません。

 

あなたのペースで、

あなたのやり方で、

ゆっくりと進んでいけばいいのです。

 

もし、

今夜、

眠る前に時間があったら、

 

今日の出来事を、

少しだけ振り返ってみてください。

 

今日、

何を感じましたか?

 

どんな景色を見ましたか?

 

誰のどんな言葉に、

心が動きましたか?

 

その小さな記憶を、

優しく包み込んであげる。

 

「今日も一日、よく頑張ったね」と、

自分に声をかけてあげる。

 

そんな時間を作ってみてください。

 

きっと、

心が温かくなるのを感じられるはずです。

 

そして、

その温かさは、

きっとあなただけでなく、

あなたの周りの人たちにも、

伝わっていくはずです。

 

優しい気持ちは、

目には見えませんが、

確実に世界を動かす力を持っています。

 

一人ひとりの小さな優しさが集まって、

大きな波になって、

いつか世界を変えていく。

 

私は、

そう信じています。

 

大げさなことではなく、

日々の暮らしの積み重ねこそが、

歴史を作るのです。

 

だから、

明日も、

またいつもと同じ朝がやってきます。

 

変わらない日常が、

また始まります。

 

でも、

もしかしたら、

明日のあなたは、

今日までとは少し違っているかもしれない。

 

少しだけ優しくなっていて、

少しだけ世界を愛おしく感じているかもしれない。

 

そんな自分に出会えることが、

生きるということの、

本当の喜びなのかもしれません。

 

ここまで読んでくれて、

本当にありがとうございました。

 

あなたの明日が、

少しでも心穏やかで、

温かいものでありますように。

 

そして、

この世界に生きるすべての人が、

それぞれのペースで、

自分の光を見つけられますように。

 

そう祈りながら、

私もまた、

明日を生きていこうと思います。

 

ゆっくりと、

一歩ずつ、

自分の足で。