さて、明日からホスピスに入院となると、家で出来ることは済ませておかねばならないのに、やっていないことが次々と判明する。

まずは、
高額医療保険申請。
これは、私みたいな患者は絶対やっとくべきだ。

なぜやらなかったかというと……
言い訳は腐るほどあるけど、
とにかくメンドクサかった。
元気な人にはわからないど思うけど、生きているのもメンドクサイ体調で、(ホスピスに入れるとは夢にも思っていなかったし)いつ、使うかわからない申請書なんて書けるかと思っていた。

だから、2ヶ月も3ヶ月も、たいして書く箇所もない傷病手当の証明書を書いてくれないTJ病院の医師の気持ちもちょっとは分かるんだけどね……。

さて今日、思い出したのはそういう本当に必要な実質的なやるべきことではないので、それは置いといて(ぇ)、
私の精神的なやるべきこと、私の周りの友人とか知り合いとか、そしていつの間にか自然消滅的に友人になってしまった元恋人など、人間関係について。

喀血した時期、TJ病院で、死の宣告を受けて、私の頭は「どうせ、死ぬんだから」という考えで頭を支配されてしまった。
だから、私の中で、人との関わりを一切断った。

それは、私の死で、同じくらいの年齢であるまだ死を意識するような年でもないし、がんを身近に感じてもらいたくないような若い人達に、死を考えさせるというのは、あまりにも酷い話だろうと思ったから。

もちろん、動けないから会ったりするのは無理だし、付き合いは自然と減るけど、お見舞いに来たいという人まで避けていた。
もう、誰とも会いたくないし、私の葬式も誰にも知らせないで、あとから風の噂に知ってくれればなんて思っていた。

でも、やっぱりそれじゃあダメだよなあー、なんて思い始めたのは、やっぱり自分はまだ生きているから。生きている以上は人との関わりは避けられないよね。

私が病気だと知っているのに、コンタクトをとってきてくれてる人まで無視するのは、間違ってると思うから。
そこで、たまっていたメールにお返事を返すことにした。
「お返事、遅れてごめんね」
って。
私の心の中で1番やり残していたこと。
体が動かなくても頭が動けばできる。
今日は、見ようとしなかった心の整理を行う事にした。

今更、気付いたけど、私って思うより友人とか知り合いがいるんだな。溜まっていたメールは一日じゃ無理。、、、、、、我ながら意外。







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