師の手が触れる

 

 

 

 

知り合いの男性が若い頃ロックバンドでサックスを吹いていたが、残念なことに彼の技術は未熟だった。

 

 

 

 

 

気持ちがよいほどの響き渡る音を出す方法が、彼には分からなかった。

 

 

 

 

 

その頃の彼は、それがサックス自体に問題があるのだと言っていた。

 

 

 

 

 

もっといいのを手に入れられたら、思うような音が出せるに違いないと思っていたのだ。

 

 

 

 

 

ある晩彼が野外ステージに立っていたら、一人の男性が近づいてきて、次の曲で自分がサックスを吹いてもいいかと言ってきた。

 

 

 

 

 

その男性が質の悪いサックスを手に取って、吹き始めた。

 

 

 

 

 

だめだと思っていた楽器から、男性が引き出したバイタリティーあふれる音を聞いて、私は耳を疑った。

 

 

 

 

 

男性は演奏が終わるとサックスを返してくれたが、彼はそれを手にしてじっと見つめていた。

 

 

 

 

 

その表情は、これが同じ楽器なのだろうかということを物語っていた。

 

 

 

 

 

そう、同じ楽器だったのだ。

 

 

 

 

 

だが、吹き手が違った。

 

 

 

 

 

「下手な職人ほど自分の道具のせいにする」という言葉があるが、それはまた、無意識がたくみに物事を状況のせいにするともいえるのではないだろうか。

 

 

 

 

 

その体験は私の心に焼きついて離れなかった。

 

 

 

 

 

私は、人生が私たちを作ったり壊したりするのではないことに気がついた。

 

 

 

 

 

私たちが人生から何を創り出すかが、私たちの運命を決めるのだ。

 

 

 

 

 

私たちは必要なすべての材料を持っている。

 

 

 

 

 

私たちの役割は、持っているものを使い、望むものを作ることにある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~師の手が触れること~

 

 

それは形が崩れ、傷がついていたので、

 

 

 

競売人はこの古いバイオリンは自分の時間をほとんどかけるに価しないと思っていたが、それでもにっこり微笑んで、それを掲げた。

 

 

 

良き人々よ、いくらの値をつけましょうか、と彼は叫んだ。

 

 

 

誰が値をつけ始めてくれますか?

 

 

 

一ドル、一ドル、ニドルはいますか?

 

 

 

ニドル、三ドルに上げる人は?

 

 

 

三ドルに一回、三ドルに二回、三ドルで落ちます・・・・・いや、待った!

 

 

 

会場のずっと後ろから、灰色髭の男が前方にやって来て、その弓を手にとった。

 

 

 

古いバイオリンのほこりを払い、弦を引き締めて、彼は甘く清らかなメロディを奏でた。

 

 

 

天使の歌声のように甘く。

 

 

 

音楽がやみ、競売人が静かな低い声で、今度はこのバイオリンにいくらをつけましょう?

 

 

 

彼はバイオリンと弓を高々と持ち上げ、一千?一千、二千はいますか?

 

 

 

二千、三千の方は?

 

 

 

三千が一回、三千が二回、落札、落札です、と彼は言った。

 

 

 

会場は喝采した。

 

 

 

だが幾人かが叫んだ。

 

 

 

よくわからない。

 

 

 

なぜ価値が変わったのか?すぐに答えがやって来た。

 

 

 

“師の手が触れたから”

 

 

 

そして多くの人の人生が、調子っぱずれ

 

 

 

皆バーボンやジンで壊されて、思慮のない群衆に安く競売される。

 

 

 

あの古いバイオリンのように。

 

 

 

ポタージュ、一杯のワイン、ゲーム、そして続けていく。

 

 

 

一度行き、二度行き、彼は落ちそう、そしてほとんど落ちている。

 

 

 

しかし師がやって来て、愚かな群集はどうにも理解することができない。

 

 

 

魂の価値、あるいは師の手が触れて起こされた変化を。

 

 

 

                         ミラ・ブルック・ウェルチ