魂に糧を与える
どうすれば役立たない信念体系から自分を救うことができるだろう。
それはより高く、うまくいく信念に入れ替えることだ。
自分の欲望や思考、あるいは自分自身と闘っても何もならない。
なぜならそうした虐待的抗争は、逃れようと思っているものを強化するだけだからだ。
その代わりに、もう一方の頬を向け、新しい方向を見るのだ。
自分のエネルギーを自分の目標に合わせ、目標がすでに現実であるかのごとくに進むのだ。
アルバート・アインシュタインは「想像力は知識よりもさらに大切だ」と宣言した。
想像力は、創造の力だが、私たちはしばしば自分たちに反する使い方をしてきた。
例えば心配とは、単に夢を破壊的な方向に使ったものだ。
私たちは自分たちが欲しいものの代わりに、欲しくないものを製造する。
想像力とは神が与えてくれた能力で、心から望むものの中に生命を吹き込むことができる力だ。
思考の生成力はとても大きく、それに比べればナイアガラの滝すら小さくなる。
私たちは皆、天才だ。
有名な創作者と、苦闘している芸術家との唯一の差は、自分の夢を信じ、その推進力と共に動く信頼感を持っていることだ。
想像力は、頭で作り出した制約を超えて、私たちを向上させてくれる力となる。
単に何かを考えるだけでは十分ではない。
それを引き寄せて具現化するには、それを感じなくてはいけないのだ。
あなたの夢見る家を飾る夜咲きのジャスミンの香りをかぎ、あなたのリサイタルに来た人々の興奮に満ちた拍手の音を聞き、あなたの理想の相手の目の中に優しさと思いやりを見るのだ。
自分の夢のあらゆる細部が実現するたびに興奮し、その夢がすでにやって来たかのように生きるのだ。
感情は動きを伴う。
心が動く中で空想し、想像し、夢見る時、それが心理的な電流を作り出し、夢を引き寄せて実現へと運ぶ。
私たちは自分の想像で自分を小さくしてしまったのだから、その同じ能力を使って、私たちが生まれてきた目的である壮麗さを人生に復活させることできる。
最も重要なことは、「自分自身を信頼し、鼓舞し続ける」ことだ。
私たちが一番信頼しなければいけないのは、家族でもなれば親友でも恋人でもないし、ましてや国でもない。
自分自身なのだ。
自分以外の人に裏切られたと感じて、猜疑心を持ったまま人と接するようになってしまった人もいるかもしれない。
何度もいうが裏切られたと感じるのは、期待していたからだ。
言葉か態度か行動の何かをどこかで期待していたからだ。
だが、私たちが期待する相手は、自分しかいない。
誰かがあなたのために何もしてくれなくていいのだ。
あなたはあなたのために、あなたの言葉を態度を行動を支えるために、あなたが自分を励ましてやればいいだけ。
そうすることで、自分が何か分からないけれど絶対出来るような気がしてくるのだ。
自分を信頼するとそれが確信に変わる。
人を信頼している限り、それは生まれないものだ。
まず自分に絶対的信頼を寄せて初めて、他の誰かを信頼できるようになる。
人に傷つけられたと感じる人は、順番が逆なのだ。
自分が人を見誤ることなどないのだと知れば、会った瞬間に相手が分かるようになるだろう。
鼓舞することは日々の糧であり、もしあなたが自分の魂に糧を与えていないなら、前進の可能性は少ない。
気持ちを生き生きと保ち、思考を高くしておくために必要なことは何でもするべきだ。
あなたが真っ先に持つべき義務は、自分の喜びのかがり火を燃やし続けておくこと。
そうしなければ、あなたにとっても他人にとっても、ほとんどすべてが価値を失ってしまう。
幸福とは、すべての成功の部屋に続く廊下だ。
そして喜びとは、私たちがその中で栄える環境なのだ。
「喜びを培(つちか)いなさい」
そうすればあなたはしばしば奇跡を通して、可能な限りのすばらしい出来事を引き寄せることになるんだから。
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