更新さぼっててごめんなさい。

西日本をまわったり撮影ラッシュでバタバタしている間に…


私の大切なおじいちゃん2人が続けて亡くなりました。


福岡のおじいちゃんに続き、こっちのおじいちゃんも…突然旅立ってしまいました。


長くなるので、近くに住んでいて、今日お葬式が終わったおじいちゃんのことを書きます。
長くなるけど、自分のために書きます。






お釈迦様の誕生日の8日、私は撮影をしていて、
ちょうど終わった時に母から連絡があり…すぐ向かい、看取ることができました。
すごく苦しそうで見ているのが辛かったです。

ウィスキー会社の人だったおじいちゃん。

マッサンこと竹鶴さんと営業していた頃の話を朝の連ドラ“マッサン”を見ながら嬉しそうに話していたのを思い出して、
CDを探してきてもらいかけると、わかったようで少し目を見開きました。

一昨年、おばあちゃんが亡くなってから元気がなかったけど、ウイスキーのことと、仕事の話をしているおじいちゃんは途端にいきいきしました。
本当に、ウイスキーを愛した、仕事人間だったんです。

でも私の節目の大事なイベントには必ず来てくれて、個展にも、ニューオータニでやった時だけは来てくれました(そうゆう人です笑)

いつも、「仕事何してる?それはいくらもらえるんだ?」って聞くおじいちゃん。
お給料がいいと「いい仕事だね、頑張りなさい」と言い、安いと「そんなことやってないでお父さんの会社手伝いなさい!」と怒りました。

なので途中から倍位の給料を言うようにしました。笑

小さい頃も、仲良しのおもちゃ屋さんがいて、そのおもちゃ屋さんの前を通るたびに
「何が欲しいんだ」と聞いてきて、あまりに頻繁なので欲しい物がないと言うと
「なんでないんだ!子供なんだから、おもちゃ選びなさい!」と怒ってきて

全然欲しくないのに適当に選んでおもちゃを買ってもらったことが多々ありました。笑

おもちゃいらないって言って怒られるなんて理不尽だと思ったけど、おじいちゃんはそうゆう人だから、空気読んでました。偉いなわたし笑

だけど、大学時代はアイスホッケー部のキャプテンで、全国制覇もしたおじいちゃん。




小学生の頃、お父さん対抗のスケート競争的なものがあり、仕事でいない父の替わりに来たおじいちゃんのあまりの早さに周りの人達が絶句していて全然競争にならなくて、拍手が起こりました。

あの時、初めておじいちゃんって、ただの酒好きでわがままなだけじゃないんだと感動したのを覚えています。

最近はおじいちゃんの家から仕事に通うことが多くて、朝めっちゃ急いでる時にあれこれ命令される始末。笑

孫の私が来るより、私の美人の友達なおちゃんが来たほうが嬉しそうな面食いのおじいちゃん。

孫なのに、あんまりおじいちゃんから好かれてる感を感じなかったけど、こないだのバレンタインに、手作りのクッキーをあげたんです。その時も既製品のどら焼きのほうが喜ばれたんだけど(泣)

帰り際、「これ持ってって」って。

渡されたのが竹鶴ピュアモルトの生チョコでした。




とっさに「え、なんで?」って言っちゃったんだけど「いいよ!」って渡されて…と言うかテーブルに置かれて…笑

きっと不器用ながら私のこともいつも気にかけてくれたんだろうなと思います。

もっと、おじいちゃんの理不尽さをネタにしたかったし、おじいちゃんを神様みたいに思ってる人達の前での満足気な振る舞いを見たかったし、何回聞いても忘れちゃうお酒の作り方とか、もっとたくさんお話したかったです。

だけど、、、おばあちゃんが呼んだのかな?

私や家族がおばあちゃんの夢を見たって言うと「なんでお母さんは俺の夢にだけ出て来ないんだ!」って怒りだすおじいちゃん。

本当におばあちゃんのこと、大好きだったもんね。

おばあちゃんと仲良く、私達のこと見守っててくださいね。

今まで、一度も言えなかったけど、おじいちゃん、いつもありがとう。

立派な祭壇に、たくさんの慕ってくれてる人達、大好きな胡蝶蘭にお酒。

良いお葬式だったでしょ?

本当はインドにいる予定だったのにツアーが延期になったから2人のおじいちゃんとお別れができた。おじいちゃんは本当にタイムリーな人だ。

明日からインド、そしてネパール!

日本が九州の地震で大変な時にインドでのツアーと、ネパール地震の支援…なのですが

私は自分ができることをやります。まずはインドで参加者のみなさんと無事に良い旅をする。喜んでもらえる写真を撮る旅。

それから震災後1年のネパールに入ります。

九州のみなさん、日本のみなさん、どうかお気をつけて。



マッサンのテーマ曲を演奏してくれた弟、ありがとう。




いつも、あたたかい気持ちをくださるみなさまに感謝します。