「忘れねばこそ思い出さず候」。。。
かつて吉原の遊女2代目高尾太夫が仙台の殿様である伊達綱宗を恋しがって詠んだ詩の一節だそうです。
実はこれ、、小学校6年生の時、非常に感銘をうけた一節でして。
それから早20年、やっとググってみました。そんな詩だったんだーとびっくり(^o^;)
小学校の時は、「候」の文字がよめなかったみたいで、
どこかで目にした「わすれねばこそ思い出さず」を、ずっと覚えていて、
たしか好きな言葉として卒業文集にのせました。
大事なものほどあえて思い出さない。思い出すチャンスもないから。でもその存在がそれだけ大切か。。
大事な人でも、当たり前に思ってるものに関してでも、すべて当てはまるな、と思ったのが当時の解釈。
原文の意味は、「あまりに恋い慕っていて、常に心の片隅にある、だからあえて思い出すことさえもないのです」
という意味だそうです、素敵ですね
さて、この私の解釈バージョンのの「忘れねばこそ思い出さず」は、
「足るを知る」とも共通のテーマが隠されていて、、。
人間、足るを知らなければ、一生幸せを感じることもできない。
でも、それには、いつもそばにある当たり前のことにどれだけ感謝できるかが大きく関わってくる。
しかし、人間は愚かなもので、成功体験をつめばつむほど、足るを知らなくなってくることもしばしば。
それはチャレンジ精神なのか?それともた足るを知らないことからくる、何かを埋めようとする動機なのか?
混同しがちです。
いつもそれを自分に問いかけていたいですね