最近の中学受験への熱、正直言って私は異常だと思います。
猫も杓子もSA○IXだの早○アカだ、と。
親が勝手に必死になればなる程、肝心の子供の心がどこかに置いてけぼりになっている気がしてなりません。
今日はそんな「中学受験が抱える問題点」について思うことを批判的につらつら書きたいと思います。
あくまでも私の主観なので間にうけないでください。
1、「子供のため」それ本心?
「将来の可能性の広げてあげるため」なって、もっともらしく親たちは言います。
でも、結局は「自分の見栄」を張りたいだけじゃないんですか?
ママ友とのランチ、SNSのプロフィールで、御三家や難関校の名前を振りかざしたい、
まるで我が子を自分のアクセサリーかのように思い込み、成績やクラスを見せびらかす。
そんな親のエゴに付き合わされ、10歳そこそこの子供が深夜まで汚くて狭い雑居ビルに放り込まれる。
「子供の将来」なんていう盾の裏で、親の承認欲求を満たすための道具にされている子が多すぎる。
無理を強いるなんて言葉じゃ甘すぎるくらい、むしろ虐待にとも取れる。
2、「自由な遊び」でしか得られないもの
「遊んでいる暇があるなら計算問題の一つでも解きなさい」
これは一番子供に言ってはいけない言葉です。子供にとっての遊びの時間は何者にも変え難い、貴重な機会なんです。
遊ぶ道具や遊具がなければ友達を遊びを編み出す「想像力」
喧嘩をしてから、仲直りをする「人との接し方、仲直りのプロセス」
挙げ始めたらキリがないくらい「自由な遊び」で得られるものはあります。
これらは塾のテキストでは絶対に学べない、人間の礎となるものです。
3、合格後の「中だるみ」
一般に、「燃え尽き症候群」と言われるものです。
親の顔色を伺い、無理を強いられてきた子は、合格という称号を得た途端、プツンと何かが切れるのです。
全く勉強しなくなり、ゲームに依存し、目標を見失ってしまいます。
これは、単なる子供の怠慢ではなく、親の期待という重圧から解放された反動なんです。
この先の人生を考えた時、親の見栄のためにはらった代償はあまりにも大きすぎます。
まとめ
中学受験を否定するつもりは全くありません。でも、子供を親が見栄を張るための道具として扱わないという一点は、親が死守すべきだと思います。