最近の中学受験への熱、正直言って私は異常だと思います。

 

猫も杓子もSA○IXだの早○アカだ、と。

 

親が勝手に必死になればなる程、肝心の子供の心がどこかに置いてけぼりになっている気がしてなりません。

 

 

今日はそんな「中学受験が抱える問題点」について思うことを批判的につらつら書きたいと思います。

あくまでも私の主観なので間にうけないでください。

 

 

1、「子供のため」それ本心?

「将来の可能性の広げてあげるため」なって、もっともらしく親たちは言います。

でも、結局は「自分の見栄」を張りたいだけじゃないんですか?

 

ママ友とのランチ、SNSのプロフィールで、御三家や難関校の名前を振りかざしたい、

 

まるで我が子を自分のアクセサリーかのように思い込み、成績やクラスを見せびらかす。

 

そんな親のエゴに付き合わされ、10歳そこそこの子供が深夜まで汚くて狭い雑居ビルに放り込まれる。

「子供の将来」なんていう盾の裏で、親の承認欲求を満たすための道具にされている子が多すぎる。

 

無理を強いるなんて言葉じゃ甘すぎるくらい、むしろ虐待にとも取れる。

 

 

2、「自由な遊び」でしか得られないもの

「遊んでいる暇があるなら計算問題の一つでも解きなさい」

これは一番子供に言ってはいけない言葉です。子供にとっての遊びの時間は何者にも変え難い、貴重な機会なんです。

 

遊ぶ道具や遊具がなければ友達を遊びを編み出す「想像力」

喧嘩をしてから、仲直りをする「人との接し方、仲直りのプロセス」

 

挙げ始めたらキリがないくらい「自由な遊び」で得られるものはあります。

これらは塾のテキストでは絶対に学べない、人間の礎となるものです。

 

 

3、合格後の「中だるみ」

一般に、「燃え尽き症候群」と言われるものです。

親の顔色を伺い、無理を強いられてきた子は、合格という称号を得た途端、プツンと何かが切れるのです。

 

全く勉強しなくなり、ゲームに依存し、目標を見失ってしまいます。

 

これは、単なる子供の怠慢ではなく、親の期待という重圧から解放された反動なんです。

この先の人生を考えた時、親の見栄のためにはらった代償はあまりにも大きすぎます。

 

 

まとめ

中学受験を否定するつもりは全くありません。でも、子供を親が見栄を張るための道具として扱わないという一点は、親が死守すべきだと思います。

今、私も中3でそろそろ卒業ですが、中学生にとってかなり大きなプレッシャーなのが、「内申点」。

先生の顔色を伺って、一生懸命周りに引かれるほど手を上げて、体育なら早く着替えて授業準備を手伝って…。

 

そんな毎日、本当に息苦しいですよね。

 

今日は、少し勉強から離れて内申点について自分が思うことをつらつら書こうと思います。私は内申点廃止主義者です。

 

 

1、「先生との相性」で、進路が決まっちゃうの?

私が内申点で一番気になるところは、評価に必ず「先生の主観」が入ってしまうと言うことについてです。

俗に言う「主体的に取り組む態度」。

人間の心理的に、自分のお気に入りの子はいいところを注視する傾向にあります。例えば、10回中1回しか成功しなかったとしても、その1回をずっと引きずるわけです。

 

逆に、あまり自分の性格に合わない、好みでない生徒は、悪いところや失敗する姿をずっとフラッシュバックさせるわけです。全員を公正公平に評価するなんてのは無理のある話なんです。だって、先生だって人間なんだから。

 

 

2、内申点は「イエスマン製造機」と言える

さらに深刻なのが、内申点が「イエスマン」ばかり育ててしまうことです。

良い内申点を取る方法を検索すれば星の数ほど見つかりますが、どれも「先生の機嫌を損ねないこと」がメインです。

 

・自分の意見や考えがあったとしても、先生に反対されるかもしれないからイヤイヤ飲み込む。

・腑に落ちてなくても、これ以上質問すると機嫌を損ねてしまうかもしれないからニコニコして頷く。

・目立つ行動をすると、先生に目をつけられてしまうから、自分を押し殺して「従順な生徒」を演じる。

 

どれもこれも個性を殺して、「顔色ばかり伺う」窮屈な心を持った生徒ばかりが生まれるのも想像に難くないでしょう??

 

 

3、そんなに内申点をつけたいなら、ペーパーテストだけで評価しろ

もし内申点がなくなれば、生徒は「先生のご機嫌取り」から解消され、「自分はどうやったら実力をつけられるか」に集中できるようになるでしょう。

過去の失敗の引き摺りや、先生との相性に縛られることなく、ペーパーテストで自分の実力を証明する。そして、その結果を先生に見せつける。これほどシンプルで、努力や過程が報われ、公正公平な潔い仕組みは、他にはありません。

こちらの方がよほど教育的で、生徒にとっても納得感があるはずです。

 

 

社会に出ても、臨機応変に行動できる、個性を誇りを持って持てる人を育てるためにも、内申点という不条理な壁を無くして、フェアな評価制度を作る時はくるのでしょうか。

必死に努力を積み重ね、そして誰よりもひたむき自分に向き合った。

誰よりも効率的に「高学歴」という切符を手にした。

本当に素晴らしく、他人と比べるまでもない。この上ない「成功体験」なはず。

 

でも、最近のSNSやYOUTUBEをみていると、何か本当に大事なものが決定的に壊れている気がしてなりません。

 

例えば、街中で通行人に学歴を執拗に聞き出して「ニッコマ以下は人権ない」「Fランは価値がない」などといじり倒して笑いをとるコンテンツ、名前こそ出しませんが、受験生なら一度は目にしたことがあると思います。

 

あれを一種の「エンタメ」と思ってみれるなら娯楽としていいと思います。

でも、怖いのはあの「狂った物差し」が「正解」としてこびりついてしまうことです。

 

「偏差値が1でも0.5でも高い方が偉い」「学歴は、その人の価値を示す全てだ」

 

そう信じ込まされたまま難関大に入った人たちがその後どうなるか。

そう言う人たちは常に「自分のランク」を気にしながら、自分より下のランクの人を見つけた時には優越感を感じ、上のランクの人を見つけた時には劣等感を感じる。

 

そんな、人との相対評価がなければ、自分の価値を認識できない大人が量産されてきています。

 

18歳、ましてや15歳の多感な時期に自分の興味や好奇心を全て殺して、効率的な「正解さがし」に徹してきた代償は、あまりにも大きすぎると思います。

 

合格通知を手にした瞬間に、中身の空っぽな「スペック」だけの人間になっていないか。

 

「学歴」はあくまで人生を豊かにするための「飾り」にすぎません。

人の価値の全てを決めるものでは全くありません。

 

次回の記事ではもっと深く追求してみたいと思います。

日本語にはあまり自動詞、他動詞を強く着目して会話をする習慣がありません。だからこそよく「ひっかけ問題」として出題され、まんまと引っかかってしまう人も多い、「自動詞、他動詞の区別」について扱っていきたいと思います。いつもみたいな受験に関する系のものではありません。モデルチェンジします。

 

そもそも、「自動詞」と「他動詞」の違いってなんでしょう?

例文でみてみましょう。

 

例、Look at this picture. 

命令文ですね。この文の動詞はもちろんLookになります。Lookの目的語はthis pictureです。

この際、Lookの直後にthis pictureをそのままつけてはいけないのです。間にatを挟まなくてはならないのです。直後に名詞を置くには必ず前置詞が必要になってくるのが『自動詞』の特徴です。

 

例、I watch TV.

普通の平叙文ですね。動詞はwatch。第三文型の文章です。先ほどの文章と違って動詞の後ろに何も挟まずに目的語が来ています。動詞の直後に前置詞などを挟まずに直接目的語が置けるのが『他動詞』の特徴です。

 

 

まあ、こんなこと言われても「だから何?」ですよね。

でも、こんなのでも空所補充の問題が出るんです。

 

空欄の後ろが『前置詞+名詞』の形なら『自動詞』

空所の後ろがそのまま目的語になっていたら『他動詞』と覚えましょう。

 

 

次に、自動詞と他動詞の見分け方を紹介します。簡単です。日本語に訳したときに、「あっそう」か「何を?」と突っ込んで見ればいいのです。

 

他動詞の例:eat love explain 

→「何を?」とツッコミできますよね。「何を食べるの?」「何を愛するの?」のように。

 

自動詞の例:go run cry

→「あっそう」で終わってしまいますよね。「何を行くの?」とはならないはずです。

 

 

これらは試験や問題演習などで9割型は正解できるような判別方法です。万能です。国語の文節分けの「ね」を入れるやり方のように自然に使えるようにしましょう。

 

自動詞、他動詞の見分ける問題は大学受験でも問われ続けるものです。イディオムや例文が載った単語帳を音読していけばこんなのをやらずにも自然にわかるようになります。英語の勉強ははっきり言って地道でつまんないです。めげずにやっていきましょう。勉強、応援してます。

英文を読んでいてよく詰まってしまう原因の一つが「無生物主語」と呼ばれるものです。


直訳すると理解できないし、もし和訳問題で直訳すると理解していないとみられて減点されてしまいます。

 

今日はそんな「無生物主語」について解説していきたいと思います。

 

 

そもそも、無生物主語って何でしょう。読んで字のごとく、人間以外のモノ(出来事、感情、天気)などが主語になって構成されている文章のことです。

英語ではしょっちゅう使われる表現ですが、日本人にとっては慣れないものなので多くの受験生が和訳や並び替え問題で苦戦してしまう分野の一つです。

 

 

例)The heavy rain prevented us from going out.

 

この文章の構成から。主語はThe heavy rain(激しい雨)、動詞はprevented(妨げた)、動詞の目的語はus(私たちを)残りのfrom going out(外出することを)は動詞に掛かる修飾語になります。

 

注目してほしいのが、prevent A from doing の熟語です。訳すと「Aをdoingすることを妨げる」という意味になります。


先ほどの例文をこの文法知識を使ってバカ真面目に訳すと


「その激しい雨は私たちが外出することを妨げた。」


のようになります。意味はそことなく伝わりますが自然な訳ではないため減点されてしまいます。


ニュアンスさえ合っていればある程度は意訳していいのです。


例えば

「大雨のせいで、私たちは外出できなかった。」


一気にスッキリしましたね。これなら採点官も花丸をくれます。


でも、あんな限られた時間の中でそんな綺麗な訳が思いつかない…と思いますよね。でもこれは一種の「作業」なんです。

ただ、主語と目的語をひっくり返すだけ。言われても分からないでしょうから解説します


今回の場合、主語は「激しい雨」で、(モノ)ですよね。そう捉えてください。


主語(モノ heavy rain)「(モノ)のせいで〜」 

                          「(モノ)によって〜」

→原因、きっかけ、条件のように訳す。


目的語(ヒト us)        「〜は」

           「〜が」

→日本語の主語のように訳す。


理屈を説明するとこうなりますが、一番のの近道はたくさんの文章に触れること、これに尽きます。


ただ、上記の内容さえ抑えれば和訳で減点はないでしょう。


prevent A from doingが入試で最頻出ですが、他にも問われる型があります。抑えるといいね!


「〜のせいで…できない」の型

keep A from doing


「〜すれば…できる」の型

allow/enable A  to do


単語帳でチェックしてみてください。きっと自然な訳ができるようになります。


無生物主語を見つけたら、


「主語→原因」

「目的語(ヒト)→主語」


に頭の中でチェンジ。これだけで長文の読むスピードも英作文のレパートリーも翻訳の自然さも一気に上がります。

日本人が失点しやすい分野だからこそ、ここを抑えられると強いです。

勉強、応援してます。特に英語頑張ってください。

日本語にはあまり自動詞、他動詞を強く着目して会話をする習慣がありません。だからこそよく「ひっかけ問題」として出題され、まんまと引っかかってしまう人も多い、「自動詞、他動詞の区別」について扱っていきたいと思います。いつもみたいな受験に関する系のものではありません。モデルチェンジします。

 

そもそも、「自動詞」と「他動詞」の違いってなんでしょう?

例文でみてみましょう。

 

例、Look at this picture. 

命令文ですね。この文の動詞はもちろんLookになります。Lookの目的語はthis pictureです。

この際、Lookの直後にthis pictureをそのままつけてはいけないのです。間にatを挟まなくてはならないのです。直後に名詞を置くには必ず前置詞が必要になってくるのが『自動詞』の特徴です。

 

例、I watch TV.

普通の平叙文ですね。動詞はwatch。第三文型の文章です。先ほどの文章と違って動詞の後ろに何も挟まずに目的語が来ています。動詞の直後に前置詞などを挟まずに直接目的語が置けるのが『他動詞』の特徴です。

 

 

まあ、こんなこと言われても「だから何?」ですよね。

でも、こんなのでも空所補充の問題が出るんです。

 

空欄の後ろが『前置詞+名詞』の形なら『自動詞』

空所の後ろがそのまま目的語になっていたら『他動詞』と覚えましょう。

 

 

次に、自動詞と他動詞の見分け方を紹介します。簡単です。日本語に訳したときに、「あっそう」か「何を?」と突っ込んで見ればいいのです。

 

他動詞の例:eat love explain 

→「何を?」とツッコミできますよね。「何を食べるの?」「何を愛するの?」のように。

 

自動詞の例:go run cry

→「あっそう」で終わってしまいますよね。「何を行くの?」とはならないはずです。

 

 

これらは試験や問題演習などで9割型は正解できるような判別方法です。万能です。国語の文節分けの「ね」を入れるやり方のように自然に使えるようにしましょう。

 

自動詞、他動詞の見分ける問題は大学受験でも問われ続けるものです。イディオムや例文が載った単語帳を音読していけばこんなのをやらずにも自然にわかるようになります。英語の勉強ははっきり言って地道でつまんないです。めげずにやっていきましょう。勉強、応援してます。

今はまだオール4で満足しているかもしれません。

なんとなく、日比谷、西、戸山といった最難関〜上位校を考えているかもしれません。

でも、現実はそう甘くないんです。ぜひ、一度足を止めてこの記事を読んでみてください。


そもそも、「オール4」はスタートラインにすら立てていないんです。

都立上位校を受けるにあたって周囲のライバルは換算内申満点(60-65)点近くをキープするのは「当たり前」の世界なんです。


オール4 は換算内申に直すと52点。仮にライバルが60点を取っていたとしましょう。換算内申の1点分は当日ペーパーでの4.5点分(理科、社会の1問分)に匹敵します。(計算してみてください)つまりその差8点。よって、ペーパーテストで36点ギャップを背負って戦っていくことになるんです。


大前提、実技4教科含めて5がほとんど、1,2個4がつくイメージです。 

 

これが何を意味するか。内申点に3か4が複数個あるのは「相当なハンデ」だということです。

当日、一問のミスも許されないビハインドの状態でプレッシャーを背負いながら受ける学力はあるでしょうか。


また、都立上位校生にとってのさらなる脅威は「私立トップレベルからのスライド受験」です。


早実、筑駒(筑附)、開成、慶應…などの最難関私立を数点差で落ち、都立受験に回ってきた猛者たちが脅威になります。


彼らは中学3年間をすべて勉強に捧げ、3教科一点突破型の特別な対策を積みに積み尽くした化け物です。


彼らにとって都立は「滑り止め」になってしまうのです。そういうものが都立を上位、トップ合格していくのです。下位スレスレの受験生は容赦なく切り捨てられていくのです。


今の勉強量、足りてますか?

今日できる課題を明日に回したり、提出物を反故にしたり、していませんか?


今のこの瞬間もライバルたちは死に物狂いでペンを動かいているんです。


「受かる」と思っていたところが落ちると本当に人生やめたくなります。実際そうでした。あの目の前が真っ暗になる瞬間はもう味わいたくないです。


さあ、今、この瞬間、机に向かおう!

勉強、応援してます。

中学受験の過熱を横目に、「あえて」公立中から高校受験を選ぶ。

 

それは決して「逃げ」でも「妥協」でもありません。むしろ、12歳という多感な時期に机の上だけでのパズルに追われず、人間としての「礎」を強く太くするためのもっとの贅沢な選択です。

 

高校受験ルートでは、中学受験で手に入らない多くの健全さがあります。

 

 

「自分の意思」で動く、精神面での成長。

 

中学受験での主役は、良くも悪くも「親」でしょう。しかし、15歳が受ける高校受験は違います。

思春期を迎え、自分の将来について自ら考え始める時期。

 

「どこの高校に行きたいか」

「将来はどんな職に就きたいか」

 

親に言われるがまま動かされる中学受験とは異なり、15歳の受験生は「自分のハンドルを自分で握る」という経験をすることになります。

 

この「自主性」こそ、中学受験では手に入りにくい、高校受験ならではでの「醍醐味」なのです。

ここでの伸びしろがそのまま大学受験にも生きてくるのです。

 

 

公立中学校でしか得られない、「社会の縮図」に揉まれる経験。

 

私立中学という、悪く言えば、「同じような経済状況の家庭が集まった『温室』」のような側面があるでしょう。

 

公立中学には、多様な価値観、それぞれの能力差、色んなものさしが混在しています。

 

勉強ができる子も、不器用な子も、いじめをしても悪くないと思うこともいるかもしれません。

そんな子とも、同じ教室で肩を並べる。

 

この、一種の「カオス」の環境の中で、自分とは他人からどう見られているのか、どういう立ち位置なのか、そもそもどういう人間なのかを見つける。そして、どういう折り合いをつけて、他人とどうやってコミュニケーションをとっていくのか。

 

この泥臭い社会経験こそが、偏差値では測れない、「本当の賢さ、人間としての礎」を作っていくのです。

 

 

「内申点」という社会を生き抜いていくリアリズム

 

高校受験をやり抜いていく上で、必ずと言っていいほど付き纏ってくるもの、それは「内申点」でしょう。

これを、「先生への忖度だ」と考え嫌う人もいます。私もその1人です。

が、味方を変えれば、これは

 

「先生に好かれるための行動を取る」

「授業に主体的に参加する」

 

という、社会人としてあたりまえのことをこなすトレーニングをしていると考えられるのです。

 

テストの点数さえ良ければいいだろう。というある種の「エリート意識」ではなく、日々の積み重ねを大切にする「誠実さ」を学ぶ。

この健全なレースは将来、どんな職に就こうとあなたを助けてくれるでしょう。

 

 

結論

 

子供の適正にあった選択をしましょう。12歳で十分に自立しているなラ中学受験をするのもいい判断だと思います。ただ、強制的に強いるのはやめましょう。その場合、この記事で触れたように15歳での自立を支えてあげることが親としてやってあげることとして最高にいいことであると思います。

高校受験という健全ルートは、子供が正常に成長し、「自分で考える力」を鍛え、立派な大人として成長するための素晴らしい選択です。

 

12歳で結果を求めすぎないでください。

 

いいんです。むしろ「王道」なんです。15歳、18歳で笑えれば、それで十分なのです。

 

勉強、応援してます。親からの重圧に耐えることも、受験での大きな試練のうちの一つです。辛い時は、ぜひ、受かった頃の自分の姿を想像してみてください。

親のみなさんは、子供の将来の可能性を潰さないであげてください。

中学受験に挑む親たちが決まって口にする言葉があります。それは、

 

「うちの子がやりたがっているから」

「本人の意向なんです」

 

現実を見ましょう。それは、親の壮大な妄想であって、子供の最大限の「忖度」なんです。

 

10歳かそこらの子供がゲームや外で遊ぶことを捨て、深夜まで主体的に机に向かう苦行を、自ら彫らぬはずがないです。純粋な精神を持ち合わせていればいるほど、なおさらです。

 

 

子供は驚くほど敏感に、「親の期待」というものを察します。

リビングに置かれた塾の広告、模試の成績が上がった時だけ機嫌が良くなる親。

食卓の話題は常に他の子の成績、某youtuberによって汚染された学歴観。

 

そんな親の子供にとって、中学受験を「やる」と答えるのは、生存本能上、至ってあたりまえのことです。なぜなら、そう答えることが唯一の「親に愛される」ことだからです。

 

ネジのぶっ飛んだ親は、その「やる」の一言を、何を血迷ったのか「本人の意向」として認識するのです。

というか、そう思うことでしか自分の罪悪感を拭えないからなんですね。

 

子供の「やる」の言葉の裏には、どれだけの譲歩、妥協、そして自己暗示が隠れているでしょう。想像もしたくないですね。

 

 

中学受験がここまで加熱している裏には、親が自分の人生で成し遂げられなかったこと、あるいは自分が今まで得てきた優越感、圧倒的勝利感を、子供を使って再現しようとしているからです。

 

子供の偏差値は、子供の実力よりも、親の力の入れ具合が顕著に現れる数字になっているのではないでしょうか。

 

ママ友へのマウント、親戚への顔、自分を辛うじて保つための取り繕い。

 

合格発表の画面を見て子供とだきあったり泣き崩れている親の姿は、子供を称え、努力を認めているのでなく、自分の面子が保たれたことへの安堵、安心感、そして他者へのマウント感です。

そこには子供を想う慈しみはどこにもありません。

「自分のアクセサリー」という「作品」を完成させたという歪んだ達成感でいっぱいなんです。

 

 

「ここを乗り越えればもう受験はないから」

「いい環境で育って欲しいから」

 

いい言葉だよね。だってこの言葉さえあれば、子供の睡眠時間を奪うことも、友達と楽しく鬼ごっこする自由な時間を奪うことも、全て「正義」になるもんね。

 

子供を敷かれたレールの上に置かせることも、一種の「教育」にも「成長」になります。否定はしませんし、親の言い分も確かにわかります。

 

 

もし、明日からこの世から「中学受験」そのものがなくなったらどうなるでしょうか。

おそらく、今苦しんでいる子供たちは心の底から安堵し、友達と遊びに行くはずです。

 

親が認めるべきことは、「中学受験を子供に強いているのは、私の見栄とエゴです。」という他ないです。

子供の将来を歪ませてまで、重荷を背負わせるのは、あまりにも無責任極まりないです。

 

中学受験を否定はしません。ただ、子供の将来まで見据えてからこそ、慎重に検討すべき選択肢だと思います。

「英検4技能」という言葉が踊り、入試の仕組みが複雑化しつつあります。

 

「周りが持っているから」

「なんか役に立つかもしれない」

 

高校受験という限られた時間の中で、最も大切なリソースは「時間」です。

高校受験では「勉強の質」というのはあまり問われません。偏差値60後半を目指すとかではない限り。

 

もちろん、英検の取得に直前期の貴重な時間を捧げて暗記ものを疎かにするのは本末転倒ですね。

 

今日は、高校受験における「英検コスパ」というものについて考えていきたいと思います。

 

 

結論から。受験生のボリュームゾーンにとって、もっとも費用対効果(コスパ)が高いのは、「準2級」です。

 

各級、とっているとどんなメリットがあるか書き出します。

 

・3級 持っていて「あたりまえ」のレベル。偏差値45〜55くらいの私立高校の入試で優遇されることが多いです。ただ、レベルの高いところには全然見てもらえない。決定打にはならないか。

 

・準2級 ここが、「損得」の分かれ道。偏差値55〜65の多くの高校では、内申点に+1してくれることが多い。中堅〜中の下のレベルの高校なら、内申点+2、もしくは確約がもらえるかも。とにかく、面接やら調査書などの見栄えは非常に良い。

 

・2級 偏差値70超・国際系・グローバル系を狙うなら大きな武器。ただ、中堅、上位に分類されるような高校では費用対効果が微妙かもしれない。併願優遇をしてくれるほとんどの高校では、内申点に+2、もしくは+3してくれることも。ただ、一般の中学生にとっては過剰か。

 

 

「準2級」が最強の武器

 

高校入試における「英検の価値」というのは、英語力に直接響いてくるものではありません。問われる物が違うからです。

アドバンテージになるのは、「私立の併願確約」にあります。

 

多くの私立学校では、「内申点が1(2)足りなくても、英検3級(準2)級があれば+1(2)する」といった優遇措置があります。

 

この「内申1」今は軽く見ているかもしれませんが、本当にあげるのはキツイんです。

内申点が1違うだけで偏差値が4も5も違う世界なんです。

定期テストで上げるのは至難の技ですが、英検なら数ヶ月の対策、それか前もってやってしまえば「進学校への切符」が掴めるかもしれない

 

言ってしまえば、「内申のドーピング」です。これこそ、もっとも賢い英検の使い方です。

 

 

「2級」は理系には「おいしい」

 

「2級をとっていれば、当日点に加算してあげる」という学校もあります。(大阪府立のC問題)

 

しかし、2級は高校卒業レベルの単語や文法、長文が降りかかってきます。

普通の中学生が挑むのは「無謀」です。

 

もし、理系科目で伸び代があるなら、絶対にそっちに時間や労力を充てた方がいいです。

「英検持ってる≠英語満点」と過信して、当日、傾向が逆転。足元が救われてしまうケースもあります。

 

 

タイムリミットは「中2の1月(第3回)(中3の6月(第1回))」

 

ここは悩みます。正直言ってしまえば、中3の10月でも「間に合うは間に合う」んです。

ただ、偏差値67〜70超を目指すような子には、中3に入って「英検だ漢検だ」なんて言っている暇はないんです。内申が決まり始める定期テスト、塾の講習、テキストの周回、問題演習、少しすれば過去問演習、合宿…

 

ぜひそんな子には「中2の1月(第3回)で英検をさっさと片付けてもらいたい。そして、精神的余裕を保っていた方が身のためです。

 

英検3級を受験に使うために滑り止めで撮るためなら、6月(第2回)が一番余裕があっておすすめです。10月でもやろうと思えばできますし、受験でも使える。ただ、受験シーズンで慌ただしくなってくる時期に「呑気に英検」をやっている暇があるかどうかです。

 

 

英検は「級」という名がついた「入試の持ち点」にすぎません。いわば、「応急処置」です。

 

今、この瞬間に私立の志望校の募集要項を確認してください。

 

「準2級で加点」の文字があれば、今から死ぬ気でとってください。経験者は語ります。

 

逆に、「2級で満点換算」とあっても食い付かないでください。300時間ぐらい飛んでいきます。それなら他教科で点数を稼ぐために演習を詰んだほうがお得です。

 

 

入試は「情報戦」

資格試験に「熱く」なってはいけません。冷静に、そして素早く。

あくまでも英検は「合格」というゴールをもぎ取るための「プロセス」にすぎません。

ぜひ、英検という制度を使い尽くしてください。

 

勉強、応援してます。でも、英検だけに躍起にならずに、ぜひ苦手なところにも目を背けずに頑張ってください。