中学受験の過熱を横目に、「あえて」公立中から高校受験を選ぶ。

 

それは決して「逃げ」でも「妥協」でもありません。むしろ、12歳という多感な時期に机の上だけでのパズルに追われず、人間としての「礎」を強く太くするためのもっとの贅沢な選択です。

 

高校受験ルートでは、中学受験で手に入らない多くの健全さがあります。

 

 

「自分の意思」で動く、精神面での成長。

 

中学受験での主役は、良くも悪くも「親」でしょう。しかし、15歳が受ける高校受験は違います。

思春期を迎え、自分の将来について自ら考え始める時期。

 

「どこの高校に行きたいか」

「将来はどんな職に就きたいか」

 

親に言われるがまま動かされる中学受験とは異なり、15歳の受験生は「自分のハンドルを自分で握る」という経験をすることになります。

 

この「自主性」こそ、中学受験では手に入りにくい、高校受験ならではでの「醍醐味」なのです。

ここでの伸びしろがそのまま大学受験にも生きてくるのです。

 

 

公立中学校でしか得られない、「社会の縮図」に揉まれる経験。

 

私立中学という、悪く言えば、「同じような経済状況の家庭が集まった『温室』」のような側面があるでしょう。

 

公立中学には、多様な価値観、それぞれの能力差、色んなものさしが混在しています。

 

勉強ができる子も、不器用な子も、いじめをしても悪くないと思うこともいるかもしれません。

そんな子とも、同じ教室で肩を並べる。

 

この、一種の「カオス」の環境の中で、自分とは他人からどう見られているのか、どういう立ち位置なのか、そもそもどういう人間なのかを見つける。そして、どういう折り合いをつけて、他人とどうやってコミュニケーションをとっていくのか。

 

この泥臭い社会経験こそが、偏差値では測れない、「本当の賢さ、人間としての礎」を作っていくのです。

 

 

「内申点」という社会を生き抜いていくリアリズム

 

高校受験をやり抜いていく上で、必ずと言っていいほど付き纏ってくるもの、それは「内申点」でしょう。

これを、「先生への忖度だ」と考え嫌う人もいます。私もその1人です。

が、味方を変えれば、これは

 

「先生に好かれるための行動を取る」

「授業に主体的に参加する」

 

という、社会人としてあたりまえのことをこなすトレーニングをしていると考えられるのです。

 

テストの点数さえ良ければいいだろう。というある種の「エリート意識」ではなく、日々の積み重ねを大切にする「誠実さ」を学ぶ。

この健全なレースは将来、どんな職に就こうとあなたを助けてくれるでしょう。

 

 

結論

 

子供の適正にあった選択をしましょう。12歳で十分に自立しているなラ中学受験をするのもいい判断だと思います。ただ、強制的に強いるのはやめましょう。その場合、この記事で触れたように15歳での自立を支えてあげることが親としてやってあげることとして最高にいいことであると思います。

高校受験という健全ルートは、子供が正常に成長し、「自分で考える力」を鍛え、立派な大人として成長するための素晴らしい選択です。

 

12歳で結果を求めすぎないでください。私も中学受験を強いられて、かなり嫌な思いをしました。途中離脱をしました。その後、高校受験でリベンジをして、偏差値68の高校に受かりました。

 

いいんです。むしろ「王道」なんです。15歳、18歳で笑えれば、それで十分なのです。

 

勉強、応援してます。親からの重圧に耐えることも、受験での大きな試練のうちの一つです。辛い時は、ぜひ、受かった頃の自分の姿を想像してみてください。

親のみなさんは、子供の将来の可能性を潰さないであげてください。

中学受験に挑む親たちが決まって口にする言葉があります。それは、

 

「うちの子がやりたがっているから」

「本人の意向なんです」

 

現実を見ましょう。それは、親の壮大な妄想であって、子供の最大限の「忖度」なんです。

 

10歳かそこらの子供がゲームや外で遊ぶことを捨て、深夜まで主体的に机に向かう苦行を、自ら彫らぬはずがないです。純粋な精神を持ち合わせていればいるほど、なおさらです。

 

 

子供は驚くほど敏感に、「親の期待」というものを察します。

リビングに置かれた塾の広告、模試の成績が上がった時だけ機嫌が良くなる親。

食卓の話題は常に他の子の成績、某youtuberによって汚染された学歴観。

 

そんな親の子供にとって、中学受験を「やる」と答えるのは、生存本能上、至ってあたりまえのことです。なぜなら、そう答えることが唯一の「親に愛される」ことだからです。

 

ネジのぶっ飛んだ親は、その「やる」の一言を、何を血迷ったのか「本人の意向」として認識するのです。

というか、そう思うことでしか自分の罪悪感を拭えないからなんですね。

 

子供の「やる」の言葉の裏には、どれだけの譲歩、妥協、そして自己暗示が隠れているでしょう。想像もしたくないですね。

 

 

中学受験がここまで加熱している裏には、親が自分の人生で成し遂げられなかったこと、あるいは自分が今まで得てきた優越感、圧倒的勝利感を、子供を使って再現しようとしているからです。

 

子供の偏差値は、子供の実力よりも、親の力の入れ具合が顕著に現れる数字になっているのではないでしょうか。

 

ママ友へのマウント、親戚への顔、自分を辛うじて保つための取り繕い。

 

合格発表の画面を見て子供とだきあったり泣き崩れている親の姿は、子供を称え、努力を認めているのでなく、自分の面子が保たれたことへの安堵、安心感、そして他者へのマウント感です。

そこには子供を想う慈しみはどこにもありません。

「自分のアクセサリー」という「作品」を完成させたという歪んだ達成感でいっぱいなんです。

 

 

「ここを乗り越えればもう受験はないから」

「いい環境で育って欲しいから」

 

いい言葉だよね。だってこの言葉さえあれば、子供の睡眠時間を奪うことも、友達と楽しく鬼ごっこする自由な時間を奪うことも、全て「正義」になるもんね。

 

子供を敷かれたレールの上に置かせることも、一種の「教育」にも「成長」になります。否定はしませんし、親の言い分も確かにわかります。

 

 

もし、明日からこの世から「中学受験」そのものがなくなったらどうなるでしょうか。

おそらく、今苦しんでいる子供たちは心の底から安堵し、友達と遊びに行くはずです。

 

親が認めるべきことは、「中学受験を子供に強いているのは、私の見栄とエゴです。」という他ないです。

子供の将来を歪ませてまで、重荷を背負わせるのは、あまりにも無責任極まりないです。

 

中学受験を否定はしません。ただ、子供の将来まで見据えてからこそ、慎重に検討すべき選択肢だと思います。

「英検4技能」という言葉が踊り、入試の仕組みが複雑化しつつあります。

 

「周りが持っているから」

「なんか役に立つかもしれない」

 

高校受験という限られた時間の中で、最も大切なリソースは「時間」です。

高校受験では「勉強の質」というのはあまり問われません。偏差値60後半を目指すとかではない限り。

 

もちろん、英検の取得に直前期の貴重な時間を捧げて暗記ものを疎かにするのは本末転倒ですね。

 

今日は、高校受験における「英検コスパ」というものについて考えていきたいと思います。

 

 

結論から。受験生のボリュームゾーンにとって、もっとも費用対効果(コスパ)が高いのは、「準2級」です。

 

各級、とっているとどんなメリットがあるか書き出します。

 

・3級 持っていて「あたりまえ」のレベル。偏差値45〜55くらいの私立高校の入試で優遇されることが多いです。ただ、レベルの高いところには全然見てもらえない。決定打にはならないか。

 

・準2級 ここが、「損得」の分かれ道。偏差値55〜65の多くの高校では、内申点に+1してくれることが多い。中堅〜中の下のレベルの高校なら、内申点+2、もしくは確約がもらえるかも。とにかく、面接やら調査書などの見栄えは非常に良い。

 

・2級 偏差値70超・国際系・グローバル系を狙うなら大きな武器。ただ、中堅、上位に分類されるような高校では費用対効果が微妙かもしれない。併願優遇をしてくれるほとんどの高校では、内申点に+2、もしくは+3してくれることも。ただ、一般の中学生にとっては過剰か。

 

 

「準2級」が最強の武器

 

高校入試における「英検の価値」というのは、英語力に直接響いてくるものではありません。問われる物が違うからです。

アドバンテージになるのは、「私立の併願確約」にあります。

 

多くの私立学校では、「内申点が1(2)足りなくても、英検3級(準2)級があれば+1(2)する」といった優遇措置があります。

 

この「内申1」今は軽く見ているかもしれませんが、本当にあげるのはキツイんです。

内申点が1違うだけで偏差値が4も5も違う世界なんです。

定期テストで上げるのは至難の技ですが、英検なら数ヶ月の対策、それか前もってやってしまえば「進学校への切符」が掴めるかもしれない

 

言ってしまえば、「内申のドーピング」です。これこそ、もっとも賢い英検の使い方です。

 

 

「2級」は理系には「おいしい」

 

「2級をとっていれば、当日点に加算してあげる」という学校もあります。(大阪府立のC問題)

 

しかし、2級は高校卒業レベルの単語や文法、長文が降りかかってきます。

普通の中学生が挑むのは「無謀」です。

 

もし、理系科目で伸び代があるなら、絶対にそっちに時間や労力を充てた方がいいです。

「英検持ってる≠英語満点」と過信して、当日、傾向が逆転。足元が救われてしまうケースもあります。

 

 

タイムリミットは「中2の1月(第3回)(中3の6月(第1回))」

 

ここは悩みます。正直言ってしまえば、中3の10月でも「間に合うは間に合う」んです。

ただ、偏差値67〜70超を目指すような子には、中3に入って「英検だ漢検だ」なんて言っている暇はないんです。内申が決まり始める定期テスト、塾の講習、テキストの周回、問題演習、少しすれば過去問演習、合宿…

 

ぜひそんな子には「中2の1月(第3回)で英検をさっさと片付けてもらいたい。そして、精神的余裕を保っていた方が身のためです。

 

英検3級を受験に使うために滑り止めで撮るためなら、6月(第2回)が一番余裕があっておすすめです。10月でもやろうと思えばできますし、受験でも使える。ただ、受験シーズンで慌ただしくなってくる時期に「呑気に英検」をやっている暇があるかどうかです。

 

 

英検は「級」という名がついた「入試の持ち点」にすぎません。いわば、「応急処置」です。

 

今、この瞬間に私立の志望校の募集要項を確認してください。

 

「準2級で加点」の文字があれば、今から死ぬ気でとってください。経験者は語ります。

 

逆に、「2級で満点換算」とあっても食い付かないでください。300時間ぐらい飛んでいきます。それなら他教科で点数を稼ぐために演習を詰んだほうがお得です。

 

 

入試は「情報戦」

資格試験に「熱く」なってはいけません。冷静に、そして素早く。

あくまでも英検は「合格」というゴールをもぎ取るための「プロセス」にすぎません。

ぜひ、英検という制度を使い尽くしてください。

 

勉強、応援してます。でも、英検だけに躍起にならずに、ぜひ苦手なところにも目を背けずに頑張ってください。

スマホを手に取るたびに流れてくる「合格しました!!」の文字。

 

春から〇〇!仲の良い友達が憧れの制服を身につけてキラキラした笑顔をしている向こう側で、自分だけが取り残されたような、世界から色がなくなってしまったかのような感覚…。

 

もし、今そう感じているのなら、これだけは覚えていただきたい。

 

 

その苦しさは、あなたが「誰よりも!」本気で向き合ってきた証拠です。

 

 

なんだかありきたりですね。少し違った考え方から。

 

そんな投稿を見た時に、胃や心臓のあたりがギュッと締め付けられる。「おめでとう」なんて言葉は口が裂けても言えない。全くめでたく思えない。

 

そんな自分が「性格が悪い」「ひねくれてる」なんて反省して自暴自棄の無限ループに入ってしまう。

 

まさに生き地獄でしょう。でも、そんな時間こそ「無駄」なんです。

 

 

「おめでとう」は義務じゃないこと

 

あなたは人生を賭けて戦ってきた。ライバルは憎くも先にゴールした。自分は転んでしまった。

そんな憎い相手を祝福できないのは生物として当たり前です。

 

ダメージを負って動けないのなら、黙って寝て忘れちまえばいい。

 

 

SNSは「成功者」のプロパガンダにすぎない

 

合格発表の時期のSNSは、勝った人間だけが声を上げるはっきり言って「異常」無空間なんです。

「合格体験記」は腐るほどありますが「不合格体験記」はそんなにないですよね。

 

そうなんです。SNSという狭い世界では「不合格者」にはスポットライトは当たりません。でも、世の中には合格者以上に不合格者がいるということ。

 

自分だけが「悲劇のヒロイン」「世界一不幸だ」なんて錯覚するのはちょっと無駄なんじゃない?

 

 

世界は思った以上に「あなたに興味がない」

 

なんか見捨てられたような感じですね。でも、本当に文字通り。

友達はあなたの「不合格」なんてのはどうでもいい。自分のことで精一杯。なぜなら浮かれるので忙しいから。

 

逆に言えば、あなたが自分自身に感じている「惨めだ」という感情ほど、周りの人はそうは感じていないのです。

 

勝手に自分に「敗者のレッテル」を貼ることがどれだけ無駄か。

SNSを閉じればいつもの世界が広がります。

ヤクルトは今年も弱いし、明日も自動的に夜は開ける。

 

あなたの人生は、世間体は友達からの監視で壊れてしまうほどやわなモノではないはずです。

 

なぜなら、あなたは誰よりも努力をしたから。他人が認めないなら、自分が認めればいい。

合格発表の画面を見たとき、頭が真っ白になる。膝から崩れ落ちる。

その次に襲ってくるのは、自分のショックよりも「親や塾、学校の先生になんと言おう…」

 

もう受験シーズンじゃないけど、これからも使える考え方を共有したいと思います。

 

 

「ごめんなさい」と言わなくていい

 

高い塾代を出してくれた。参考書を揃えてくれた。環境を整えてくれた。

 

そんな支えを頭に浮かべれば浮かべるほど「不合格」という結果がそんなサポートを全て踏み躙ってしまったような、裏切ってしまったような感覚になるかもしれません。

 

でも、ここで知っておくべきことがあります。

それは、親「子どもの合格」目当てに応援していたのでなく、「頑張っている姿」を支えていたかったからなんです。

 

そりゃ、親だって合格してくれればこの上なく嬉しいです。公立なら家計の負担もなくなります。

でも、親が心から思っていることはただ一つ「笑顔で生きてくれればいい」

 

たとえ合格していても、周りをディスったり、悲しませたりしていては、親は悲しみます。

逆に、不合格だったとしても、この結果を受け止めて一歩を踏み出してくれれば、それこそ親にとっての最高のプレゼントじゃないですか。

 

 

投資したのは「結果のため」でなく「未来」

 

「塾代がもったいなかった」「貴重なお金を無駄にしてしまった」

そんな悲観的な考え方、するだけ無駄なんです。

 

親が塾に支払ったお金は「偏差値を上げるため」ではなく「目標に向かって努力する経験」なのです。

 

君は、目標達成のために弛まぬ努力を続けた。

受験を通じて自分に真摯に向き合った。

最後まで逃げずに試験会場に向かった。

そして結果を見届け、受け止めた。

 

それだけで、親の支払ったお金は申し分なく有意義に使われているのです。

 

 

最高の「恩返し」は自分を許し、讃えること

 

親を喜ばせるイチバンの方法は、受験を蔑ろにするのでなく、早く立ち直ることでもなく、猫をかぶることでもありません。

「自分は失敗した人間だ」と自分を責め、悲観することをやめることです。

 

親にとって一番堪えることが、自分で自分を破壊し続けることです。

 

今やるべきことは、自分の心を休ませることだけです。

 

受験は終わったばっかりだけど、人生は序章です。

受験シーズンの真っただ中、あるいは合否発表を終えた皆様、お疲れ様でした。

 

今日は、あまり考えたくはないけど、多くの受験生が直面する「第一志望に届かなかった時の心の持ちよう」について考えていきたいと思います。ただの15歳が偉そうですが、読んでみてください。

 

 

「不合格=終わり」ではないこと

 

まず、一番の言いたいことは、「合否は人間としての価値を決めるものではないこと」です。

入試はあくまでも「試験問題との相性」「その日のコンディション」なんかで競っただけのものにすぎないということです。

 

不合格だからと言って今までの努力が無駄になったとか才能が突っぱねられたとかではないのです。

 

なんか定型文みたいですね。踏み込みます。

 

 

大切なのは「結果」よりも「納得感」

 

長い人生を振り返ったときに、いずれ気にかけるようになることは「どこどこに合格した」よりも「その受験にどう向き合い、何を得たか」になるはずです。というか、その方が自然で、はるかに役に立ち人生を支えてくれるからです。

 

「あんなに頑張った」「これでダメならもうしょうがない」

「あのとき、悔しくても机に向かった自分は偉い」

 

これらは受験というイベントを通じてしか得られない、いわば受験の「醍醐味」です。

 

もし、今非常に悔しいと思えているのならそれだけガチになって向き合えた証拠。自分を讃えてください。

どうか、最後まで自分を否定しないでください。そんな態度なら過去の自分に失礼だし、何よりも可哀想です。

 

 

併願校「第○志望」は「運命の場所」

 

第一志望以外の学校に進むことになった時に、最初は「所詮滑り止めだよな」という考えが頭にちらつくと思います。でも、不思議なことに入学から何ヶ月かしてしまえば「自分にぴったりな場所」になるんです。

 

「一生モノの友人に出会えた」

「恩師に巡り合うことができた」

「雰囲気がイチバンだった」

 

そんな新しい入り口が待っていると思えば、気分が軽くなるはずです。

もうこれは運命だったんだ。神様が導いてくれたんだ。

 

決して負け惜しみでなく、人生のターニングポイントに成りうるはずです。

 

 

親ができること

 

アドバイス、励ましは子どもにとって辛いモノです。負けという事実に立ちはだかっているだけで素晴らしいんです。

プロセスを丸ごと全部褒め称えてください。

そして、逆にイチバン嬉しいことは、「親が子の進路に誇りを持っていてくれる」ことです。

次の一歩を踏み出すための最大の原動力になります。

 

「挫折」として終わらせるか、「成長のチャンス」と割り切るか。

 

あなたのこれからの人生♫

 

勉強、応援してます。

必死に努力を積み重ね、そして誰よりもひたむき自分に向き合った。

誰よりも効率的に「高学歴」という切符を手にした。

本当に素晴らしく、他人と比べるまでもない。この上ない「成功体験」なはず。

 

でも、最近のSNSやYOUTUBEをみていると、何か本当に大事なものが決定的に壊れている気がしてなりません。

 

例えば、街中で通行人に学歴を執拗に聞き出して「ニッコマ以下は人権ない」「Fランは価値がない」などといじり倒して笑いをとるコンテンツ、名前こそ出しませんが、受験生なら一度は目にしたことがあると思います。

 

あれを一種の「エンタメ」と思ってみれるなら娯楽としていいと思います。

でも、怖いのはあの「狂った物差し」が「正解」としてこびりついてしまうことです。

 

「偏差値が1でも0.5でも高い方が偉い」「学歴は、その人の価値を示す全てだ」

 

そう信じ込まされたまま難関大に入った人たちがその後どうなるか。

そう言う人たちは常に「自分のランク」を気にしながら、自分より下のランクの人を見つけた時には優越感を感じ、上のランクの人を見つけた時には劣等感を感じる。

 

そんな、人との相対評価がなければ、自分の価値を認識できない大人が量産されてきています。

 

18歳、ましてや15歳の多感な時期に自分の興味や好奇心を全て殺して、効率的な「正解さがし」に徹してきた代償は、あまりにも大きすぎると思います。

 

合格通知を手にした瞬間に、中身の空っぽな「スペック」だけの人間になっていないか。

 

「学歴」はあくまで人生を豊かにするための「飾り」にすぎません。

人の価値の全てを決めるものでは全くありません。

 

次回の記事ではもっと深く追求してみたいと思います。

前の記事に続いた内容です。

 

さあ、今、「5分間」の散歩から帰ってきました。

あなたの脳みそにはまさに「空き容量」がたくさんできています。この上ない、最高なリフレッシュ状態。

 

ここで、スマホを触ったり、だらだらしていたりするのはダメなのは、言わなくてもわかりますね。

戻り際の「最初の一問」に、何をするかが勝負になります。

 

おすすめは、散歩に行く前に「解けなくてイライラしていた」問題に、再チャレンジして見ることです。

 

おさらいです。散歩に行くタイミングは、「問題が解けなくてイライラ」し始めた時でしたね。

 

不思議なことに、散歩前は「何をいってんだ」状態だった問題が、「あ、こういうことか」と、パズルが当てはまるようにできる瞬間がやってくるのです。

 

脳は、あなたが歩いている間にもバックグラウンドで必死にその問題に向き合っているのです。

たった5分間の空白時間が、バラバラだった知識や思考をまとめてくっつけてくれる、「接着剤」の役割を果たしてくれるんです。

 

 

もし、それでもとけなかったなら?

 

そんな時もあります…

 

そんなときこそ、「いちばん得意な基本問題」を一問だけ解いてみるのです。

「解けた!」という成功体験を脳みそに与えてあげるのです。

 

スランプで落ち込んだメンタルや、応用問題で疲れ切った頭には「正解」という刺激がいちばんです。

 

「散歩」と「帰ってきた最初の一問」の、このルーティーンが、脳にとっても体にとっても最高のサイクルなんです。

 

一日何回でもしていいです。私は受験期、1日7回までしたことあります。

 

勉強頑張ってください!これからもいろんなこと上げて行きます!応援してます!

ラスト100日、もしあなたが

 

「学校の時間がもったいない」

「いっている時間は問題演習に当てたい」

 

と考えているなら、一つの究極の手段を教えます。

 

それは、「学校に行かない」という選択です。

 

 

僕自身の話をします。

最後のの受験評定(いわゆる内申)が確定した12月3日から卒業式のリハーサルまで、僕は一切学校には行きませんでした。

 

そもそも、友達が全くいなかったので、学校に思い入れがなかったんです。

周りが僕の受験校を毎日馬鹿にしてきたので、「それなら行く意味ないじゃん」と思ったのです。

 

みんなが学校の廊下で追いかけっこをしている間、ただひたすらにカフェと塾の自習室に篭り、弱点補強と向き合い続けたのです。

 

結果、都立の自校作成高校の合格を勝ち取りました。

 

決してこの方法はサボりや怠けではないと言うことです。

 

「合格するために、今の自分には何が必要か」を真剣に考えた結果だとい言うことです。

 

名前にもある通り、1月20日に受けたe○aの模試では、基準点マイナス126点で、圏外に近いE判定でした。

でも、志望校を下げることは考えられなかったです。

受けなかったら受けなかったで後悔する。最後まで全力でやってみて、ダメでも最後は志望校の審判を仰ごう。と思っていました。

 

 

今の入試は、情報処理のスピードも必要な思考力の深さも全てが昔とは違って過酷です。

共通テスト化し、英検化し、受験の試験時間はもちろん、受験直前の1分1秒の使いかたが勝負を分けます。

こんな激ムズゲームにおいて、学校の「みんな同じペース」が、必ずしも最適解とは限りません。

 

もちろん、これをするには大きなリスクが伴います。

友達が1人もいない僕には無縁ですが、もし友達がいる人なら孤独な戦いが100日も続くのは辛いでしょう。

 

生活習慣も相当自分に厳しくないと余裕で夜型になってしまうし、何より自分の決断に100%の責任を持たないといけないことになってしまいます。

 

もし、あなたが「最後まで1人で突っ走りたい」と思っているのなら、試してみる価値は12分にあります。

 

最後に、受験は、最後は自分1人で土俵に上がるもの。誰かを蹴落としていくもの。勝ち上がっていくもの。

他人の期待も、世間体も、人の目も、合格通知の前では単なる飾りにすぎない。

 

自分の決断に最後まで責任を絶対に持てる覚悟を持てるほど、全力で勉強してみてください。

 

勉強、応援してます!合格を勝ち取るその瞬間まで頑張ってください!

「あの時、あと0.5点取れていれば」

「俺の方が仕事できるのに、あいつの方が学歴のせいで給料が高い」

 

学歴コンプレックスは厄介な病気で、完治は難しいです。

特に厄介なことは、これが「過去の事実」に基づいていることです。

どんなに今頑張ろうと上書きが効かないのです。

 

でも、そろそろ大人になりましょう。学歴コンプレックスは消そうと思えば擦れてもっと濃くなってしまいます。

 

 

「学歴なんてどうでもいい」という言葉の嘘

 

世の中には、「社会では学歴なんてどうでもいい」と豪語する人がいます。

しかし、そういう連中の大半は、「相当な高学歴」か、「あまり勉強をしてこなかった人たち」のどちらかです。

コンプレックスを抱えている人間にとって、学歴は「どうでもある(関係ある)」から辛いんです。

 

「自分は学歴を気にしている。気にしなくちゃいけない自分が悔しい」

 

そんなドロドロした自分を潔く認めることからしか、何も始まらないのです。

 

 

「学歴」≠「自分の価値」ということ

 

そもそも、なんで学歴に自分を操られないといけないのか。

それは、「学歴」=「自分の価値」だと思い込んでいるからです。

でも、たかが学歴なんて言ったら失礼ですが、学歴なんて「18歳の頃の自分のスペック」にすぎないんです。

 

たかが18かそこらの頃のスペックに過ぎないんです。

 

もし、今30か40になってそれでもがき苦しんでいるのなら、それは、いまだに「18の自分」に負け続けているということなんです。

 

過去の自分のせいで今の自分が侵される。言い換えると、過去の自分にマウントを取られている。

 

これほど馬鹿げた話はありません。それで苦しんでいることこそ、もっと惨めなんです。

 

 

「学歴コンプレックス」が完全に消滅するのは、高学歴になった時でも、進学校の奴の給料を抜いた時でもありません。そうかもしれないけど。

 

本当に消える時は、自分の出身校を自虐ネタにできたり、良い思い出として捉えることができた時です。

 

自分の痛みをネタにできるのは、その痛みをその痛みを耐えぬき、そして客観視できている証拠。

 

あんなに辛かった時は、もう過去のものにしてしまうのです。

 

 

コンプレックスは「誇り」

 

人が学歴や何かにこだわっているのは、自分がもっと上のステージにいるべきだ。と、自分の可能性を信じているからなんです。

 

「もっと上へ」と思えることは素晴らしいことなんです。そのエネルギーを、仕事や資格、新しいスキルの習得に充てられると、もっと自分が磨かれて、どこまでもかっこよくなれます。