先日、コーディネーターと言う人との面談をしてきた。

本人は連れて行かれず、私だけが行って来た。

学校の先生に言われたことをまとめた用紙を見て、開口一番、「これは先生の困っていることであって本人が困っていることを理解していない」と、その方は言われた。

 

そして、発達障害の可能性が高いからと精神科を勧められた。

そして、精神科の検査の結果、アスペルガーと診断されるであろうこと、

検査グラフはノーマルの人はバランスがいいが、息子の場合はジグザグで極端な線のグラフが出るであろうことを言われた。

先生や私が良かれと思ってしていることは障害者にとって傷口に塩を塗るようなものなのだそうだ。

想像力の欠如があり、障害であるからには、怪我をしたみたいに治るものではなく、生まれつきそういう機能がない状態なのだという。

だから、いくら本人にそれを言い聞かせて、直さそうとしても元々ない機能は使えないのだそうだ。本人もどこかおかしいことに気づいていて何とかしようとしているかもしれない。だけど、機能がないのだからしたくてもできないのだ。それをノーマルの人のように求めるのは歩けない人に歩けというようなものだという。

失敗したとき、普通の人は、よし、今度はうまくやるぞとステップアップしていけるが想像力のない息子には失敗は失敗でしかなく次につながることはないのだそうだ。挫折感を味わわせないことが二次障害を防ぐことになる。学校にこうやって通っていることだけでよしとしなければいけないのだそうだ。ひどくなると引きこもりや暴れたりといったことにもなるのだそうだ。

走ってはだめよ。という言い方でなく、歩こうね、といった肯定的な言い回しをするのがよいのだそうだ。曖昧な言い方や知抽象的な言い方は理解できないのだそうだ。

たとえば、頑張ろうねとか約束と言うと普通の人はそれまでの流れから何を示しているかわかるものなのだが、彼には何を頑張るのかがわからない。1~10までを教えることが必要なのだそうだ。

そして、間違っても彼に教えようとおもわないことだそうだ。それよりも理解してやったり共感してやることが大事なのだそうだ。

理解してやれなくてつらい思いをさせてごめんね。ということから始めましょうと言われた。

味方だと思うと理解者がいると思うと安心して心を許すようになるのだそうだ。

例え、彼のいうことに間違いがあっても、それはおかしいよ。ということは言わない方がいいのだそうだ。



確かにアスペ傾向はあるのは認めるが、本人と直接会ったわけでもなく医師でもなく、まして検査もしてないのに、どうしてそこまでわかるんだろ?

長年の経験からわかるのだろうか?

「失敗は失敗でしかなく次につながることはない」とは、息子は全く学習能力がないということなのだろうか?

「認めましょう」すごく響きのいい言葉だけど、ただただ、息子のするままを見ているだけでいいなら、こんなに楽なことはないだろう。

私はいったいどうしてやったらいいのか・・?

いい方向に導いてやりたいな~