幸せの牛乳。

幸せの牛乳。

2年間の初期研修を終えて、2018年4月よりフリーターをはじめました。
旅をしたり、本を読んでじっくり考え事をしたりしています。


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先日、母方の祖母(84歳)と母親を連れて、沖縄を案内してきました。うちの祖父が今年の4月に亡くなったのですが、祖母はそれまで夜に外を歩いたことが一度もなかったといいます。なので、母と祖母が2人で出かけた経験すらなかったそうですが、祖父が亡くなったのち、そんな祖母を夏には北海道、冬には沖縄に連れ出すことができました。今年の目標は家族を旅行に連れ出すことでもあったので、ちょっとした達成感。

 

もうすぐ85歳になるうちの祖母ですが、70歳を過ぎてからパソコンやインターネット、写真を始めたり、撮った写真をネット上のSNS(インスタ的なやつ)でアップしていたり、旅行に行ったら必ずフォトブックを作成したりと、いつも好奇心が旺盛で元気なばあちゃん。(つい最近はエステに通い始めました)そして、私や母よりもずっと記憶力が良いのが恐ろしい。何年の何日にどこに行ったとか、全部覚えているのです。その記憶力、遺伝して欲しかった・・・。好奇心と挑戦は、ボケない秘訣なのかもしれません。

 

自分に関していうと、小さい頃から沖縄が大好きで、いつか沖縄に住もうと心に決め、就職先を沖縄に選び有言実行。2年間沖縄に住んでいた私がチョイスしたベストプレイスたちを案内したところ、あまりにも大好評だったため今回の観光ルートを大公開したいと思います。今後沖縄に観光で行かれるご予定の方は、是非ご参考にどうぞ!家族でもカップルで行くにもオススメです。

 

この半年間でのいくつかの旅を通して、祖母は「この歳になって人生観が変わってきている」と言っていました。また、沖縄で本当に美味しいお店をたくさん紹介したところ、元々「食事にはあまり興味はない」と言っていた祖母が、料理の美味しさに感動して、「あそこの料理がまた食べたいと初めて思った」と言っていました。この3日間で、沖縄が本当に気に入ってしまったみたいです。

そんな有難い感想を頂いたプラン、以下の通りです。星の数は、オススメ度です。

 

 

◾️1日目

14:30 那覇空港着、レンタカーを借りて一気に北上

17:00 アイスクリンカフェオーク(★★★★★)

 以前地元の方の紹介で訪れた、辺鄙なところにある穴場カフェ。沖縄の中で、このカフェからの海の景色が一番好きです。タイミングもよく、夕陽がバッチリ見られました。屋上に上がれば360度の絶景。母は「ここの景色を見ずして死ねなかった」とまで言っていました笑

 

18:00 備瀬のフクギ並木(★★★)

 ちょっと暗くなりすぎてしまいましたが、晴れた日に行くととっても気持ちがいいです。水牛にも乗れるみたいです。すぐ近くに水族館があります。

 

19:00 今帰仁レストラン 珊瑚テーブル(★★)

 場所が都合良かったので予約したのですが、味は良くまずまずのお店でした。

 

21:00 今帰仁のペンション ペンさじょうや〜(★★★★)

 ここのペンションは2回目の利用。とても清潔で、別荘みたいな素敵なおうちです。バーベキューもできます。

 

 

◾️2日目

6:45 ペンション出発

7:00 古宇利大橋から朝日を眺める(★★★★)

 この日は日の出 7:11。

 雲が絶妙で、燃えるような朝焼けでした。360度見渡す限り海。

 

8:00 古宇利島 ハートロック(★★)

 観光ガイドによく乗ってますが、ハート形の岩は特に大したことはなかったです。浜辺を少し歩きました。

 

9:30 読谷村 ホテル日航アリビラ(★★★★★)

 ここの朝食ビュッフェは、沖縄に勤めていた時の贅沢プレイスでした。母と祖母も大満足。ここで、浜辺や花の咲いたお庭を散策したりして、12:00頃までしばらくくつろぎました。

 

12:45 北谷 GOOD MORNING COFFEE (★★★★)

 立ち寄ったものの、残念ながらこの日はClose。。普段はめちゃくちゃ混んでます。早朝はヨガクラスもあります。

 

13:00 北谷

 ホエールウォッチングの予定でしたが、祖母が船が苦手だったことが発覚し急遽キャンセル。アメリカンビレッジ内の観覧車に乗りました。

 

15:00 泡瀬 Kramp Coffee Store (★★★★)

 大葉とチキンのサンド、メルテッドラテが絶品。美味しすぎて2人ともびっくりしてました。

 

17:00 南城市 斎場御嶽(★★★★)

 この時期は閉館時間が早まっており、1分の差でギリギリ入れました。たまたま出会ったガイドさんが案内してくださり、太古の歴史から色々教えてくれました。

 

19:00 那覇国際通り 炙るチェリチェリ(★★★★★)

 常連です。県外から知り合いが来てくれた時は必ずこの店につれて行きます。店内はとても活気があって、料理も全部美味しい!沖縄の食材をふんだんに扱ってます。店長さんとも仲良し。

 

21:00 国際通り ぱいかじ(★★★)

 三線とギターによる島唄ライブを鑑賞。夏川○みに似てとっても声が綺麗な方でした。

 

21:45 国際通り ふくぎや(★★★)

 ここでバームクーヘンのお土産を買いました。とても美味しくて、食べログでもベストスイーツ?かなんかに選ばれているそうです。

 

22:00 久茂地 なんくる(★)

 この付近のバーが全部満席だったので、仕方なく空いていた店に突入。久茂地エリアは素敵なお店が多いですが、要予約ですね。

 

23:00 ホテルグレイスリー那覇(★★★)

 このホテルはビジネス的でしたが、清潔感があり、何より立地が最高でした。夜ご飯も翌日の朝ご飯も、車をホテルに置いて、歩いて行けたのはとても良かったです。

 朝早くから夜遅くまで全部の予定をこなしたばあちゃん、あっぱれ。

 

 

◾️3日目

7:30 徒歩で出発

7:50 那覇 オハコルテベーカリー(★★★★★)

 ここのカフェは最高ですが、ちょっと遅くくるとすぐ満席に。この日は早く出発したのでラッキーなことに空いてました。若いひと向けのおしゃれカフェですが、素材も良いし何を注文しても本当に美味しいです!2階ではケーキを売っています。お土産にもおすすめ。サブレとレモンケーキは、空港でも買うことができます。

 

10:00 旧海軍司令部壕(★★★★)

 沖縄の戦争の歴史について勉強しました。祖母もこの世代なので、とても感慨深かったようです。私も沖縄の歴史についてもっと知りたいと思いました。

 

11:30 瀬長島 ウミカジテラス(★★★)

 瀬長島はかなり観光客向けに開発が進んでおり、ウミカジテラスには若いひと向けのお店がたくさん並んでます。時間があれば、立ち寄りで温泉にも入れます。晴れていれば海の眺めも最高。飛行機の発着もよく見えます。ここでお土産を買うもよし◎インドカレーがとっても美味しかった!

 

14:25 那覇空港発→羽田空港着

 

 

いかがだったでしょうか。祖母の人生観や味覚までもを変えてしまった沖縄の旅。沖縄の綺麗なところや大自然、食を堪能しつつ、過去の戦争や歴史についても学ぶ良い機会となりました。まだまだ紹介しきれない沖縄のベストスポットはたくさんありますが、もし沖縄に今後行かれる方がいれば色々お伝えできると思います(^^)

そして、歳を重ねてもこんな元気で好奇心旺盛かつ、新しいことに挑戦し続ける自慢のばあちゃん。こんなばあちゃんに私もなりたいものだとしみじみ思いました。


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ヨルダンで、以前ブログでも紹介した板倉美聡ちゃんと一緒にいた時のこと。

当時、ヨルダンでは日々代わる代わる色々な施設や人々を訪ね歩き、地域の問題をなんとか少しでも解決出来ないか、2人で頭をひねりながら考えてました。

その中の、東アンマンという地域におけるエピソードです。

 

板倉さんについてのブログ記事はこちら👇

https://ameblo.jp/nanako211/entry-12389038409.html

 

(アンマンのとあるカフェにて)

 


 

そこではシリア難民たちはみんな、とにかくお金に困っていた。

どこに行っても仕事がない。公に仕事に就くことは困難だし、運良くつけたとしても十分な収入には程遠い。

避難生活も長引いて、人々は本当に困窮していた。

ちなみに、このような状況でもなんとか人々が生活していけているのは、イスラムの文化である「ザカート」によるところが大きいという意見もある。富める者は、貧しい者に分け与える、ということは当然の文化として根付いているのだ。公的な福祉制度が整っていない分、隣の家の人が時々助けてくれていたり、海外の親戚が時々助けてくれたりと、日本とは違ったお金の回り方を実感した。

 

それにしても、なんとか出来ないものか---。

私たちは2人とも、シリアから逃れてきた人々がどれだけ生活に苦しんでいるかをお互い実感しているところだった。

 

そこで、みさとちゃんが提案したのが、今回のプロジェクト。

題して、「東アンマンプロジェクト」というもの。

元々この東アンマンという、首都のアンマンでもやや外れにある地域には、シリア支援団体サダーカを通じて多くの日本人学生や社会人が出入りし家庭訪問やホームステイなどをしていたのだが、サダーカがヨルダンを離れてからは、その数はめっきり減ってしまった。

とにかく生活に困窮しているシリア人たちの生活を少しでも潤すために、このホームステイを一般の人たちや旅人も対象にして、アラブのおもてなしをする代わりに、お米や食料、現金などをお礼として落としていってもらう。この運営を現地の人たちを中心に、サステイナブルに継続出来ないかというのが今回のプロジェクトの趣旨である。

 

ちなみに、アラブの家庭料理は本当に美味しくて、おうちに招待されると毎回感動するレベルの料理が後から後から出てくる。日本では、記念日や特別な日には外食をしよう!となりがちだが、向こうの人たちは、特別な日こそ家庭で腕をふるって料理を作る。そして、元々イスラムの文化では「旅人はもてなすこと」といった教えがあり、外から来た人たちには本当に暖かく迎え入れてくれる。

このアラブの良さをウリにし、なおかつ都市に住むシリア難民の生活をより理解してもらうというコンセプトであれば、興味を持つ人も多いはず。

 

 

この案を、まずは現地のキーパーソンであるパレスチナ人のアブムハンマドおじさんと、シリア人難民のサラさんに提案したところ、私たちが思っていた以上に、とても乗り気になってくれた。

その日から、協力してくれそうな人たちを何人か集めて、何度もミーティングを重ねた。

そして、現地の人たち自身が徐々に主体的に動き始め、たくさんのアイディアを出してくれるようになってきた。

 

(左:アブムハンマドおじさん(仮名))

 

シリア人家庭のコーディネートなら自分に任せてくれ。

広報は、語学学校や大学に協力してもらったらいいんじゃないか。

ホームページやチラシも作ろうか。

お礼は、現金を渡すよりはお米や砂糖がいいかもしれない。

連絡先は、共有のアカウントを作ろう。

 

と、ここまでは順調だったのだが・・・

アブムハンマドおじさんが、警察の許可を得るために、警察に足を運んだあたりから、やや状況が変わってきた。

というのも、ヨルダンはシリア人難民に対してかなり厳しい政策をとっており、シリア人が公的に経済活動をすることが非常に困難なのである。今回のケースでも、プロジェクト実行の許可をとるためにはかなり煩雑な手続きを踏まなければいけないらしかった。それは、御年70歳をすぎるアブムハンマドおじさんにはちょっと荷が重すぎた。

 

一方で、今までサダーカが行なっていたように、「友達の紹介」ということで特に届出を出さずにこっそりとやることも出来たかもしれないが、今度は肝心な当事者であるシリア人たちが、ヨルダンの警察に見つかって捕まることを恐れてしまい、今回のプロジェクトはあえなく断念せざるを得なくなった。

 

「いつかシリアに帰ったら、なんでも自分たちの好きなように、自由にやれるわ。その時にまた一緒に新しいことをしましょう」

 

キーパーソンの1人としてずっと一緒に動いてくれていた、シリア人のサラさんとこんなやり取りをして、私たちの東アンマンプロジェクトは終わりを告げたのだった。

 

 


 

 

結局日の目を見ずに終わってしまった今回のプロジェクトだったが、貴重な学びが多くあったので振り返ってみたいと思う。

 

 

1. とにかくたくさん考え、同時に実践すること

 

ヨルダン滞在の中盤になってみさとちゃんに出会うまでは、私はとにかく悩んでいた

色々大変な状況はあれど、どうしたらいいのか良く分からない。

見知らぬ他国の現地に放り出され、そういえば、問題解決の実践をしたことが今までなかったことにここで気付かされた。

うーんうーん、と1人で悩んでいても何も進まなかったのであるが、国際協力志向バリバリのみさとちゃんと出会い、その考え方の柔軟さと引き出しの多さにとにかく圧倒された。

私がずっと悩んでいたことに対して「こうしたらいいんじゃないですか〜?」と軽く言ってのけ、流暢な英語で華麗に交渉を行う。

英語が出来るだけの人はたくさんいるかもしれない。自分も、多少の英語が出来ないわけではないが、みさとちゃんのそれは英語力だけではなかった。反対していた人すらも含めて現地の人たちを巻き込み、いつの間にか当事者たちをその気にさせてしまう。「これが交渉力というものか」と初めて実感した。

そして同時に、どんどん動く。毎日あっちに行ったりこっちに行ったりしながら、現場でプロジェクトを進めていく。

 

「柔軟性」「アイディアの引き出し」「英語力」「交渉力」「実践力」

 

学校にいて机に向かっていても学ぶことのできない、現場の実践力を、今回みさとちゃんといたことで体で学ばせてもらったように思う。

 

警察というところで結局断念してしまったものの、本当にこのプロジェクトを動かすことができていたら、現地の状況は何か変わっていたかもしれない。

 

今起こっている現状に対してただただ嘆くのではなく、軽く楽観的に考えて(ここがポイントなのかも!)、本当にたくさんのアイディアを出し続けるみさとちゃんからはたくさん学ぶところがあった。

 

 

 

 

2. 現地の人たちを中心に、という考え方

 

現地にいた期間、「お金を持っている日本人たちがきっと助けてくれるだろう」という期待、日本人や外国人に頼ろうとする姿勢はいつも肌で感じていた。

 

ヨルダンは元々産業も乏しく常に支援される側の国で、その中でも特にシリア人は仕事もなくお金もなく困窮している身であれば、当然のことかもしれない。私も同じ状況だったら、そうなっていると思う。

そして、いいか悪いかは別として、今まで支援をしてきた側にも、ある意味原因はあるのかもしれない。「支援する側」と「支援される側」の構造と利害関係が出来上がっているのだ。これは国同士の問題だけではなく、人々の意識にまでも浸透していた。

 

そして、今回のプロジェクトを立ち上げようとした際にも、最初は「日本人がやってくれるんでしょ」という考え方が根付いており、その依存体質を中々払拭することができなかった。

 

しかし、ここで「私たちは、アイディアを提供するだけで、私たちがいなくなった後も実際にプロジェクトを実行していくのは現地にいる皆さんです」ということを何度も何度も伝えたことで、徐々に現地の人たちの姿勢が変わってきて、主体的に動いてみようという意識が芽生えていることが目に見えて伝わってきたのだった。

 

この当事者意識が生まれた瞬間に、目の輝きが変わってくるのを感じた。

というのも、元々シリアでは誰かに依存することなく自立した生活を送ってきた人たちだから、ある意味それが本来の姿なのかもしれない。

お金がないということは、その人の自信を失わせ、本来の持ち味を閉じ込めてしまう。

貧困というものが人々に与える影響と、支援というもののあり方の難しさ、そして責任を持った瞬間から人の姿勢は変わるということを実感したのだった。

 

というわけで、プロジェクト自体は失敗に終わったものの、たくさんの学びを得る経験となった。

 

 

 

今もヨルダンで困窮した生活をしているシリアの友人たちが、いつかシリアに帰ってまた再び幸せな生活を送ることができますように、願いを込めて。

 

(落札された瞬間にシュレッダーにかけられた絵「少女と風船」で有名な仮面ジャーナリズム系アーティストバンクシーの作品。イスラエルとパレスチナを隔てている壁をこじ開けようとしている天使の絵)


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前回はPublic Healthについて書いたので、今回は国際保健についてふれてみようと思います。



2016.2 フィリピンにて

 

◾️国際保健は、とにかく幅広い!

 

国際保健というと、皆さんはどんなイメージをお持ちでしょうか。

実際にお仕事として関わられていらっしゃる方もいれば、やや漠然としている方、中には全くイメージすらもわかない方もいらっしゃると思うので、ちょっと教科書から定義を引っ張ってきました。

 

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国際保健の定義

①国や地域での健康の水準や、保健医療サービスの状況を示す指標として何が適切であるかを明らかにし、

②国や地域間に見られる健康の水準や保健医療サービスの格差がどの程度を超えたら、受け入れがたい格差であり、その是正が必要と思われるかを明らかにし、

③そのような格差の生じた原因を解明し、

④格差を縮小する手段を研究、開発する

ための学問。

 

(国際保健医療学 第2版より)

 

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と、いうことみたいです。うーん、あんまりピンとこない。

では、そもそも健康とは何か、というところに着目してみます。

 

 

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WHO憲章 健康の定義

 

Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity. 

健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。(日本WHO協会訳)

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この定義によって、WHOでは、医療に限定されず幅広い分野で、人々の健全で安心安全な生活を確保するための取り組みが行われているのです、とのこと。

 

つまり、医療分野だけでなくいろんな人たちが協力して格差をなくし、地球全体で平等に健康になろう!っていう学問です。ほんとにざっくり!

 

 

ちなみに、扱う分野の例は以下の通り。

 

環境問題、教育、ジェンダー、感染症、経済、疫学、人類学、ヘルスシステム、プライマリヘルスケア、人権と倫理、リプロダクティブヘルス、栄養、メンタルヘルス、労働衛生、外傷や事故、口腔保健、タバコ、医薬品、難民、伝統医療、、、

 

などなど、多岐に渡ります。

感染症やリプロダクティブヘルス(母子保健)なんかはイメージしやすいかもしれませんが、もちろん医学にとどまらず、様々な分野にまたがっている、ちょっとつかみどころのない分野でもあります。笑

 

では、実際にどうやって働くの?ということが疑問に思われるかもしれませんが、本当に様々な分野の方が関わっております。

 

医師、看護師、歯科医師、理学・作業療法士などの医療保険分野の職種にとどまらず、栄養、文系、福祉、人類学など多岐に渡っており、

実際に働く現場としては、WHOなどの国際機関、JICA、NGO、大学や研究機関、省庁、農学、企業など活躍の場はとても幅広いのです。

 

裏を返せば、「国際保健がやりたい!」と思えば、過去にどんな専門を持っていたとしても、誰にでも国際保健の仕事ができるということかもしれません。

 

ちなみに、国際保健は大学院などで学問として勉強することができます。アメリカのハーバード大学なんかは有名どころですが、私が卒業した順天堂大学(絶賛炎上中!)や高知大学でも国際保健の大学院が開講されています。

 

 

 

◾️国際保健医療学会

 

国際保健医療学会には、過去に4回ほど参加したことがあります。

これがまた、面白いのなんの。

 

例えば、忘れられないエピソードが、「のろしプロジェクト」

 

確か、地域おこしをコンサルティングしているような取り組みを行っている方からの発表だったと記憶しています。そのうちの一つの事例の発表でした。

 

その方は、ある島から地域おこしの依頼を受けました。

現在、地方では、少子高齢化に悩まされている自治体も多いのではないかと思います。

その取り組みでは、まず初めに住民の聞き取り調査を行います。

そこで住民のある男性の方から上がったご意見に「のろしをあげたい」というものがあったと言います。

 

"のろしを上げる"

 

この時に聞き取り調査をした方は、こののろし案を聞き逃さず、なんと実行に移すことになりました。

そこから始まったこの取り組み。


ちなみに、

狼煙(のろし)とは、物を焼くことでを上げ、それを離れたところから確認することによって、情報を伝達する手段である。夜間など煙が見えない場合は、火そのものも使われる。

(Wikipediaより)


こんな感じです。ただの煙。





最初にあげたのろしに島の人たちは大注目、なんと別の島から「返りのろし」といって、のろしに対するお返事が上がったそう。

ここから一気に火がついて、のろしイベントは定期的に開かれることになり、のろしTシャツ、のろし体操、大人も子供も参加する地域の大イベントになったそうな。

 

確か、こんなストーリーだったと思います笑(うろ覚え)

 

 

また、先住民のユタに弟子入りした話とか、もう訳のわからない発表が盛りだくさんなのです。本当に面白すぎる。

 

 

先日も、小平で国際保健医療学会が開催されたので、足を運んで参りました。

(かくいう私も、ヨルダンにおけるシリア難民障害者の状況についてこっそりポスター発表してきました)

 

ここでも、最高に面白いシンポジウムがありました。

 

"グローバルヘルス(国際保健)をライフワークとする人々のワーク・ライフ・バランス"というタイトルで、6名の方々が自分の人生を赤裸々に語るという会でした。

 

登壇された6名の方は、JICA勤務だったりWHO勤務だったりNGOを設立したりと色々なことを代わる代わるされつつ、どこかのポイントでハーバードなど海外の公衆衛生大学院をご卒業されたご経験もあるような方々で、アジア、アフリカなどを飛び回られているようなグローバルな経歴の持ち主ばかりでした。

一人ひとりの発表も本当に凄すぎかつ赤裸々すぎて面白かったのですが(登山などの趣味の話、親や子供の話、配偶者が変わった話、男性への愛の話とか…)、ちょっと紹介しきれないので割愛します。

 

この方々を招集した、座長の方の最後のまとめ、

「すごいことをやっているように見えるけれど、若い時は、みんな悩んでいる。悩んでいいんです!道無き道を、行ってください。そして、ワークとライフのバランスなんて取れるわけがないんです。ワークとワイフを含めて、自分の人生を作り上げてください。

そして、気をつけなくてはいけないのが、絶対に人と比べないこと!これは強調しておきます。

人生には3つの坂があると言われています。上り坂、下り坂、まさか!これを思う存分楽しんでください。国際協力は、楽しくないとやっていけません!」

 

もはや、なんの学会なのかよく分からないのですが、めちゃくちゃグローバル、かつローカルを何より大事にしてる人ばっかりで、何でもありなのが面白いところ。

視野が広がり、人生観が変わる、出会いの宝庫。

 

もちろん、こんなぶっ飛んだ発表ばかりじゃなくて、真面目な発表がほとんどです。笑

この他には、他国での調査についてのポスター発表、地域医療の話だったり、JICAのシンポジウムやサステイナビリティに関するシンポジウムなどに参加してきました。

 

というわけで、私はこれからも足を伸ばせる限りこの学会に参加し続けます。

 

 

◾️自分の人生も、振り返ってみたら国際保健に繋がっていた

 

スタディツアーに関する別の記事でも触れましたが、私は幸いにも過去にいくつか、スタディツアーや海外でのボランティアなどに参加させていただいたことがあります。

 

・2013.7 タイ、マヒドン大学

・2014.8 アメリカ、スタンフォード大学

・2015.8 アメリカ、ハワイ大学

・2016.2 フィリピン

・2016.3 オーストラリア

・2018.5-8 ヨルダン

・2018.9 マーシャル諸島

・2019.1(予定) アメリカ、ハワイ大学

・2019.3(予定) ヨルダン

 

面白いのは、先進国も、途上国も含まれていて、その括りにとどまらず、オーストラリアは広大な地域にアボリジニと白人が共存しているという特殊な環境だったり、ヨルダンはイスラムという文化の中にシリアの紛争から逃れた難民で溢れている環境だったり、マーシャル諸島は海がものすごく綺麗だけど、30年後には海に沈むと言われていたり、まぁどこに行ってもその国なりの良さや社会・環境問題があるんだなぁということがわかりました。

これだけでも、本当に大きな収穫。そして、旅行で行くだけでは見えてこなかったことばかりでした。

 

現地ではそれぞれ色々なことを見聞きしてきたのですが、いずれも、「様々な職種の仲間と協力する。地域やその国の環境を知る。そして医療もちょっと知る」というのは共通していたかな、と思います。

 

 

・・・あれ?

 

振り返ってみると、、なんだか、全部国際保健につながっている?

という感じで、全く意識していなかったのですが、気付いたら私の人生は国際保健に向かって一目散に突き進んでいたのでした。気づかなかったー!

 

 

 

しかもしかも、これ全部自分でネットなどで探したものは一つもなくて、全て"人とのご縁"で参加することができたものなのです。

 

そして、今年のヨルダン、マーシャル諸島、ハワイに至っては、全部中部病院関係の方が運んでくださったご縁でした。(なんとハワイに至っては、奨学金すらも!)

本当に、不思議。中部病院に行かなかった人生は想像すらできないけど、中部病院じゃなかったら、人生全く違った方向に行っていたかと。

 

最近も、なぜか集まってくるのは国際保健や公衆衛生、中東の情報ばかり。自分のアンテナが自然にそっちに向かっているんでしょうね。

 

どういう関わり方になるかは分かりませんが、もうしばらく病院で臨床やったのちは、一旦大学院などでPublic Health、国際保健についてしっかり勉強して、ゆくゆくはこの分野に進んでいきたいなあと思っています。(というか、すでに足を踏み入れている?)

 

 

というわけで、少しでも国際保健というつかみどころのない分野について知っていただき、興味を持って頂けたら、幸いです(^^)

 

 

 

 

皆さん、意外と読んでいただいているみたいなので笑、気が向いたらフィードバックとかもらえたら嬉しいでーす!ではでは。


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これから、頑張って出来るだけ毎週ブログ更新します!

わー!宣言してしまったー!

 

これまでの8ヶ月間を振り返った時に、後悔していることが2つあって。

 

・勉強が思い通りに進んでいないこと

・ブログをキチンと更新できなかったこと

 

もう、これ以外は本当に思いっきり充実してます。休職しているはずなのに、なぜか予定が詰まりすぎてきついけど!笑 でも、ちょっとしんどいくらいが私には心地いいみたい。

と、いうわけで、上の二つについてもきちんと計画的に頑張ります!

今からでも遅くない、はず…!

 

 

 

最近は、Public Healthウィークだったので、今日はこのことについて書いてみようと思います。

 

皆さんは、Public Healthについてどのくらいご存知でしょうか。日本では、公衆衛生と翻訳されますが、この翻訳自体がかなり古いもので、海外の認識とあまり合致していないとか。

医師の方々も、大学生の時にちょっとだけ授業があって、国試でもやっつけで問題を解いたけれども、国試が終わると忘れてしまっていたり、その本質について触れる機会ってあんまりなかったのではないでしょうか。

自分が、Public Healthに興味がある、と人に話しても、あんまりピンとこない感じの人がほとんどなので、ちょっとご説明してみたいと思います。

 

 

先日、私が学生時代から憧れてやまない、林 英恵さんの講演会に足を運んで参りました。

林さんのインタビュー記事はこちら。

http://www.kumon.ne.jp/kumonnow/obog/048_1/

 

林さんの使命は、「1人でも多くの人が、与えられた命を全うできる社会を作ること」だそう。

 

そして、林さんのPublic Healthについての説明が、とても明確で分かりやすかったので、ちょっと引用させていただきます。

 

そもそも、日本ではあまり専門職として認知されておりませんが、アメリカやイギリスなんかでは大学院があり、卒業したら専門職として認められ、働くことができます。

 

Public Healthの働き方は様々で、ビジネス、厚労省などのパブリックセクター、研究者などのアカデミックな分野、NGO活動などコミュニティにおける分野などが挙げられます。

実際の社会におけるPublic Healthのあり方は、保健分野の政策や、プロジェクト、健康に関するプロモーションなど、多岐に渡ります。

 

以下は、パブリックヘルスにおける考え方の、医学との違いです。

  医学 Public Health
ターゲット 単数 大多数
目的 なってしまった病気を治す 予防
見ているもの 人間の体の中 人間の体の外
定義 白黒はっきりしている(例:HbA1c 6.5%以上が糖尿病)

(特に慢性疾患などにおいては)健康と病気の間には、緩やかなグラデーションがある

(例:ある日突然糖尿病になるわけではない。習慣が作り上げている)

 

 

例えば、こんな例を挙げられていました。

皆さんは、タバコに関する啓発運動を行う時に、どんな方法をとったらいいかご存知でしょうか?

 

それがよく分かっていないまま安易に啓発運動を行なってしまうと、むしろタバコに対する注意が集まり、タバコを吸う人が増えるという結果につながることもあるようです。(実際に、麻薬についての啓発運動を行い、麻薬常習者が増えてしまったという大規模なデータがあるそうです。タバコ会社が行う禁煙運動も、喫煙者が増える傾向にあります)

 

この例から分かることは、Evidence Based Medicineという考え方があるように、プロモーションにおいてもきちんとエビデンスに基づいた方法を取るべきです。

 

では、タバコに関する啓蒙運動に関しては、実際にどのような方法を取るべきなのか。

文字だけより、タバコで汚れた肺の写真など、写真付きの方が良いということが、エビデンスではっきり出ているようです。

 

二つ目の例。

医学的なデータによる日本人の死因、上位にはがん、心疾患、肺炎などがランクインしておりますが、この分け方自体の考え方が医学的であり、Public Healthでは、そもそもの原因として、喫煙、運動不足、食事によるものが、主な死亡原因を引き起こしていると考えます。

 

たった一つの政策の変更などが、時には100万人の命を預かることにもつながる、重要なお仕事なのです。だからこそ、医学と同じようにエビデンスに基づいた方法を取ることが、非常に重要。

日本での問題点としては、認知度が低いために、お給料も安く、専門職として成り立たないことや、この分野において非常に有能な方でも、生活を成り立たせるためにこの分野を離れざるを得ないことなどが挙げられるそうです。

 

Public Healthにおける考え方のイメージ、何となくつきますでしょうか。

 

 

一方、私は大学4年生の時に、Public Healthの中でも国際保健という分野に出会いました。


医学部に入れたは良いものの、思い描いていたものとなんか違う。

医学の分野における弱点や、悪いところもたくさん見えてきました。

 

皆さんは、「病院が多い地域は平均寿命が短い」という事実をご存知でしょうか。

病院が多いところでは、医療依存を引き起こし、結局健康に対する自立心を奪ってしまうとも言われます。


さらに、人の健康に与える影響を分類してみた時に、医療が与える影響はほんの数%でしかありません。多くは、環境や食生活、喫煙などで健康は左右されます。(いわゆる、生活習慣病ですね)


これらの事実をみてみたときに、果たして「医療=絶対善」なのか。

自分が進んできた道は正しいのか。そんな考えが頭をもたげてきました。

 

人生に悩み、やさぐれていたある日、大学で、ある方に「そういうことなら、国際保健の教室に行ってみたら」と言われ、実際にその門を叩きに行きました。

その日から、私は国際保健の虜に。将来絶対にこの分野に行こう!と決め、卒業したら臨床はやらずにすぐにでも国際保健の分野に進もうと考えていたこともありましたが、とある先生に「この分野で仕事がしたいなら、現場感覚を掴むために絶対に臨床経験は積まないといけないよ」と言われ、しばらくは臨床の道に進むことに決めました。

(国際保健の話も、いずれ別に書きたいと思います。)

 

そんなこんなで、私なりに細々と、Public Healthとの関わりを続けつつ、がっつり臨床病院の沖縄県立中部病院に入職しました。

今まで医学そのものに対して斜に構えていたところがあったのですが、命を削って患者さんのために働く優秀な医師たちの姿や、一分一秒の差で人の命が救われるドラマチックな場面もたくさん目にして、「臨床も悪くないな」と、角が取れたようにも思います。(臨床医の先生方、生意気にすみません)


そういう方々は、嘘偽りなく心から尊敬しておりますし、医学はずっと必要です。

しかし、そうはいっても、全体を見る目は必ず必要で。 


やはり医学は病気にフォーカスしがちですが、臨床をやるからこそ、Public Health的な考え方はとても重要なのだと思っています。

医療費の問題しかり、止めることのできない超高齢化社会問題しかり、今のままでは日本は終わります。

 

そして、今自分たちが行なっていることは本当に正しいのか。

医者=偉い人、という社会構造のあり方は本当か。

これら一つ一つに疑問を持ってみること。これってとても重要なのではないかと思います。

 

本当にもう、書きたいことまだまだありますが、今回はとりあえずこの辺で!

 


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先日、はるばるヨルダンから帰られたお姉さんを囲もうということで、ヨルダンで出来たゆる〜い繋がりの人たちを集めてご飯会を開催した。

 

結局自分含め6名が集ったのだが、蓋を開けてみたらなんだかすごい人たちばっかりだったのでちょっとご紹介したいと思う。

 

 

◾️石と水タバコをこよなく愛する情熱大陸のお姉さん

言わずと知れた、先日の情熱大陸に出演されたお姉様。

美術大学のご出身で、元青年海外協力隊員。その後は某NGOの現地スタッフとしてかれこれ7年間ヨルダンに滞在されている。私がヨルダンにいた時はしょっちゅう姉様のお城にお邪魔しておりました。

お城からの眺めがいいのなんの。

そして、水タバコが大の好物で、毎日スパスパしておりました。(私はしてないよ)

ご本人曰く、「大人は嫌い、子供と石は好き」とのことで、石部の部長を兼任されている。

 

日本には1ヶ月滞在される予定で、その間は講演活動などを行われている。

 

◾️スイーツ大好きピアニストお兄さん

音楽大学のご出身で、音楽隊員としてブータン、シリア、ヨルダンのザータリキャンプ内に派遣されたご経験がある。現在は某NGOスタッフとして、日本とイラクを行ったり来たりされている。

「X JAPAN」および「LUNA SEA」ギタリストのSUGIZOさん、フォトジャーナリストの佐藤慧さんとババガヌーシュという難民キャンプ限定のバンドを組まれており、ブータン国王の前でピアノを弾かれたご経験もあるとか。各地でアラブ料理の教室を開催するなど、事業以外の場面でもご活躍中。

ご本人曰く、料理は食べるのも作るのも大好きとのこと。全国各地の美味いもんを巡り良く旅をされている。

(顔に似合わず)スイーツが大好物。スイーツを眺める時の目の輝きはまるで少年のよう。

 

↑このお二人と、11月30日に順天堂大学にてイベントをさせていただきます。

 

 

 

まだまだ続きます。

 

 

 

◾️キャピキャピマッキンゼー

以前のブログでもご紹介した、板倉美聡ちゃん。一見可愛くてキャピキャピしてドジっ子だけど、実は超賢いマッキンゼー社員という、これでもか!というギャップの持ち主。スイッチが入ると止まらない、さすがマッキンゼー。ヨルダンでは本当にお世話になりました。

まだブログにはあげてないヨルダンでのエピソードの中に、「東アンマンの就労支援プロジェクト」を一緒に立ち上げようとしたストーリーが眠っているので、いつかアップしたい。。半年以内に。。

 

◾️映像クリエイターの元同居人

自分は大学時代に色んな方と共同生活をしていたのだが、大学5年の時は彼女と2人部屋で生活していた。元々京都の教育学部出身なのだが、卒業した瞬間に完全に方向転換をし、フリーの映像クリエイターとして上京。アパレル系のCMや、柴○コウ、A○B48、リ○ルグリーンモンスター、などなど著名なアーティストたちのPVなどを手掛ける傍、ライブ活動や個展などを行なっている。

私がヨルダンにいる時に、2年ぶりくらいに連絡を取り、「お誕生日おめでとうございます。今はヨルダンにいます」とメールしたところ、その2週間後くらいにはいつの間にかヨルダンに来てしまっていた、異常なフットワークの軽さ。一緒にヨルダン、イスラエルやパレスチナの観光をして、上述情熱大陸お姉さんのお城にも何度か一緒に遊びに行った。

 

◾️学生で1年間ヨルダンに住んでいたタフガール

彼女には、ヨルダンに行くというきっかけで日本で知り合ったのだが、私がヨルダンに行く9ヶ月くらい前まで、1年間ヨルダンに滞在していたという、タフな女の子。本人曰く、「価値観がこれでもかというほどひっくり返った1年だった」とのこと。学生でこんな経験が出来るなんて、羨ましい!

現在もアラビア語を勉強しながら、シリア支援の活動に継続的に携わられている。イベントなども良く開催している、活発な女の子。とても性格がいい。

 

 

以上、自分を含めて6人の、非常〜〜に濃いバラエティーに富んだ集まりだった。いやはや。くだらない話しかしてないけどw 初対面同士も何人かいたけど、全く関係ない楽しさであった!

 

自分は元々「医者」ということにあまりこだわりやアイデンティティはなく、むしろある程度臨床経験を積んだらまた色々な世界をのぞいてみたいと思っているような人間なので、こうして医療界とは関係のないところでミラクルな出会いに恵まれて、改めてとても嬉しく感じた。(特にオチはない)

 

というわけで、こういう感じの軽い文章を定期的に書けたらいいな。

(頑張ってオチを作ろうとすると、どんどん先送りになるので。。。)

 

 



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5月からヨルダンに3ヶ月滞在し、8月に日本へ帰ってきた。

本当はリアルタイムで見たこと聞いたことをシェアして行くつもりだったが、色々な経験に追われているうちに瞬く間に時間が過ぎてしまってうまく出来ずにいた。
しかし、中々することのできない貴重な体験だったので、自分の中に留めていないで、少しずつでもアウトプットしていきたいと思う。

ヨルダンに行けたことは、本当に濃くて貴重な経験だった。つるんと一皮向けたような感覚である。
何と言っても、周りの人だけには恵まれて、3ヶ月を駆け抜けることが出来たことには心から感謝している。

さて、ヨルダンとは、中東にあるシリアの南に隣接する国で、2011年に勃発したシリア紛争以降はシリアから大量の難民を受け入れてきた。
国連をはじめ、日本や各国の色んな組織が支援をしており、元々自国の産業は活発ではなく、語弊を恐れずに言えば、”援助漬け”の国でもある。
しかし、紀元前よりローマ時代に建設された多くの遺跡もあり、中でもペトラ遺跡や死海は観光地としても有名である。

3ヶ月、自分がヨルダンで行なってきたことは、例えば以下の通り。
* シリア支援団体サダーカ(日本人による非営利団体)のボランティアスタッフとして現地に滞在(サダーカはアラビア語で”友情"の意味)。
* 現地の人とコミュニケーションを直に取るために、ヨルダンの語学学校に通い、アラビア語の勉強を行った(ちなみに1ヶ月で3万円程度だった)。
* ヨルダン在留のシリア人難民家庭への訪問。生の声をヒヤリングし、日本語に翻訳したエピソードを日本に向けて発信した。
* かつて日本のNPO団体が期間限定で行っていた支援プロジェクト(主にシリア難民障害者を対象とした移送事業、子供と女性を対象にしたリハビリテーションと心理ケアプログラム)のフォローアップ、ファンドレイジングのサポート。
* ヨルダン国内におけるシリア難民キャンプや、パレスチナ難民キャンプ内におけるクリニックの訪問。
* 7月上旬のシリア国内ダラァ攻撃の際にクラウドファンドを立ち上げ緊急支援。
* 東アンマン地区におけるシリア人の経済的自立支援プロジェクトの計画。現マッキンゼー社員板倉さんの提案。
* フェイスシートプロジェクト;元JICA隊員の作業療法士甘利さん(ワクワクさん)の提案。金銭的な問題で満足に病院に行けないシリア人の身体障害者を対象に、現地でカルテ作りを行ったものを日本で共有を行い、生活上のアドバイスを行うプロジェクトの計画。
* 日本人訪問の際のコーディネーター(支援目的の日本人訪問者;医療従事者、芸術家、ボランティアスタッフなど)。
* 友人たちへの文化紹介(遺跡、砂漠、死海、隣国のイスラエル訪問)。

このような感じで、日々慌ただしくも充実した毎日を送っていた。

ヨルダンには、シリア難民の方々が大勢暮らしている。その数は、約60万人に登ると言われており、約2割は難民キャンプに暮らしている。その他は都市難民として、キャンプ外で生活しているが、いずれにしても公に仕事を得ることが難しく、生活は困窮している。

シリア難民は、トルコ、レバノン、エジプトなど中東におけるシリア周辺各国に流れ込んでいるが、国によって難民に対する政策は異なっている。
その中でも、ヨルダンにおけるシリア難民は特に、「生活が苦しい」と聞く。
中東における民主化運動「アラブの春」が火種となってシリアの紛争が勃発し、すでに七年目を迎えているが、長期化する避難生活の中でシリアの人々は徐々に疲弊している。
一時期に比べて徐々に戦火は収まっており、シリア国内に帰ろうとする動きもあるものの、地域によっては実際に空爆は続いておりまだまだ予断は許さない状況。かつ、元々シリア国内で反政府として活動を行っていたシリア人などは、もし戦争が治ったとしても帰ることは出来ない。皆、捕まって拷問されるか、殺されるということを恐れている。

シリア難民の方々との出会いを通じて気付いた健康面における特徴をあげるとすれば、「身体障害者」が非常に多いということである。戦争中に空爆や銃などで攻撃に遭い、下半身不随や手足を無くした人などが非常に多いのである。特に若い男性に顕著であった。私たちと同じくらいの年代の男性が、皆車椅子や松葉杖で生活しているのである。全員に確認したわけではないが、一般市民だった方もいれば、兵隊として前線で活動していたという方も含まれていた。


特に衝撃的な出会いがあった。
シリア国内のダマスカス大学で、「アラブの春」を初めに主導した学生たちの1人である。
彼らのチームは、民主化を叫んで国内で平和的デモを起こし、そのうねりはシリア全土に広がるも、それに対してシリア政府軍は武力で持って対抗した。
彼が住んでいた街は政府軍によって包囲され、彼自身も4年間、その包囲網の中で生活したという経験がある。その包囲網を超えるものは誰でも、問答無用で殺されてしまうため、物資の行き来は4年間全くなかった。元々あった食料が尽きてきた頃には、生えている植物を食べて何とか生き延びたと彼は語った。
そんな話を聞きながら、今の21世紀にこのような事態が実際に起こっているのかと、背筋が凍った。

一方、ヨルダンを訪問したことをきっかけにたくさんの日本人の方々ともお会いすることが出来た。ヨルダンに暮らし、「日本人会」に所属している方は約300人とのこと。中でもヨルダン在住の数名の日本人の方々と親しくお付き合いさせて頂き、その他にも「サダーカ」を通してヨルダンを訪れる日本人の方々と交流したり、私の友人たちもはるばるヨルダンを訪ねてきてくれた。

そして、現・元JICA(青年海外協力隊)隊員の方々とも特に親しくさせて頂いたが、彼らは独自のネットワークを持ち、そして一人一人胸に秘めたる熱い想いがあり、任期が終わった後も「お世話になった現地の人々のために」精力的に活動されている方々がいらっしゃるということを知った。
協力隊を目指す動機は人それぞれだとは思うが、2年ないし3年を異国の地で過ごすということは、現地との繋がり、同期の隊員とのつながり、土地への愛着、などなど、物差しでは測りきれない何かを一人一人にもたらすのだと協力隊の方々を見ながら思った。

自分も「何か現地のために」という気持ちで日々走り回っていたが、口で言うのはやすし、思った以上に現地の力になるということはとても難しい。自分1人では何もすることが出来ず、仮に仲間を得てひとたび何かしようと思っても、常に「お金の問題」がつきまとう。
結局、どこに行っても先立つものがなければ、本当の意味で人を救うことなんて出来ないということを知った。

そして、現在はヨルダンで繋いだご縁とこれまでの経験を形にすべく、学生対象のスタディツアー を企画したいと考えている。こちらについても、今後追って情報を発信していくつもりである。

ーーー

ヨルダンに3ヶ月滞在したという経験・・・長いようで短い、3ヶ月という期間。私の人生にとって、この経験は自分の人生の指針を少し変えることになった。

日本にいた時は、常に自分に自信が持てなかった。
仕事と職場は大好きだったけど、常に周りと比較して、ダメな自分に落ち込むことばかりだった。
海外に行くと、現場で走り回っている自分という存在が、日本にいるときの自分よりも少しだけ好きになれた。
どこにいても、根っこのところは変わらない。世界の中で困っている人たちのために何かしたい、という漠然とした思いはあったのだけれど、それに少し拍車がかかり、夢物語だった世界に現実味を帯びてきたような気がした。

そして今まで、「自分がこうなりたい」という夢や目標を抱いたことがあっても、「どのような社会を作り上げたいか?」ということはあまり考えたことがなかった。
今回、様々な社会問題が山積しているヨルダンという地を訪れたことで、自分の無力さを実感し、どのように社会が変われば人々が幸せになれるんだろう?という問題に否応無しに直面させられた。
こうしてリアルに湧き上がってきた自分の中の課題に対して、これからも真摯に向き合っていたいと考えている。

色々とスケールの大きなことを並べてしまったものの、まずは自分の周りの人たちと、自分の本業から。それらも最近自分の中の課題である。自分の家族を幸せに出来ない人に、自分の目の前の仕事をきちんと達成できない人に、世界を変えることなんて到底できない。それについても、自分なりに向き合っていかないといけないな、と考えている。

と、いうわけで、時間はかかるかもしれないが、これからも少しずつヨルダンで起こった出来事の、細部のエピソードにも触れていきたい。


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私が日頃お世話になっている上司がこのような記事を書いて反響を呼んでいる。

 

https://www.huffingtonpost.jp/yoshihiro-takayama/volunteer-20180723_a_23487325/

 

という訳で、私もたまには真面目に(?)ヨルダンの文化を堪能しているということをお伝えしたいと思う。

 

まずは、ヨルダンで有名なペトラ遺跡とワディラム。

 

ペトラ遺跡は、やはり圧巻。

 

そこら中にいるラクダが可愛いのなんの・・・。

 

ワディラムで出会ったベドウィンのおじさんが、最高にクールでカッコよかった。(写真は撮らせてくれなかった)

そしてラムキャンプで仲良くなったこのちっちゃい女の子が、帰り際までべったりくっついて離れず大変だった・・・。

 

ワディラムは夕暮れ時が最高に綺麗。星もめちゃくちゃよく見える。

 

その次は、ムジブ、死海。(ああ、なぜか写真が横になってしまう・・・)

 

死海は、ただ浮くというだけ・・・。体が痛すぎて皆すぐに出ました。

ジェラシュの遺跡も良かった。

 

 

ついでに、アンマンのおしゃれカフェも。

 

Jordan Food Weekもお祭りみたいで中々楽しかった。

 

明日からは、イスラエル〜パレスチナに突撃する予定だ。

 

 

 

学生向けスタディツアー

 

ここで、上司による上記の記事の話に戻ると、私も例に漏れず「ボランティアしたい系の学生」だった。そんな露骨に、ボランティアしたいんですけど。みたいな言い方はしなかったけど、心の奥にはそういう気持ちはあったはず。

 

私が当時考えていたことは、「自分は何もまだ分からない。だから世界を見るために色々な経験がしたい。」という感じだったと思う。

 

そこで私が学生時代にしていたことは、「学生向けのスタディツアー」に参加することだった。

 

一言物申させて頂くと、上記の上司の発言は、「旅慣れている人」の意見であると思う。

 

自分で、現地を知るための旅行を企画し、現地の人々の輪に入って行き、片言の現地語を話せるようになるということ。

 

それって、初めて海外に行く日本人の学生にとっては結構ハードルが高いと思う。

 

当時の私には、そんなスキルはなかった。

 

そんなちっぽけで無力な私にとって、いわゆる「学生向けのスタディツアー」はその国の色々な側面を見せてくれた。

 

 

大学4年生で行った初めてのタイでは、右も左も分からなかった。連れられるがままに行動し、タイの医療や農村文化を知ることが出来た。

 

大学5年生で行ったスタンフォード大学では、全てが新鮮だった。大学時代最高の思い出と言っていいほどの経験をすることが出来、最高の仲間と出会うことが出来た。

 

大学6年生で行ったハワイ大学では、アメリカの教育システムに圧倒され、初めてのサーフィンに魅力された。

 

卒業旅行で行ったフィリピンでは、初めて自分たちで企画から行い、ツアー内容を検討し、人を募集するという新しい経験ができた。農村では、板の上に寝たり、井戸の水を汲んだり、道端の動物たちと戯れた。

 

フィリピンから直接行ったオーストラリアも全部企画から行った。

現地では、地域を支える素敵な医者たちに出会えた。アボリジニの生活を垣間見ることができた。

 


 

こんな経験を重ねるうちに、自然と旅も慣れて来たし、自分で企画も出来るようになってきた。

 

土地によって異なる世界の様々な問題も少しずつ見えて来たし、逆に日本にはない他国の素晴らしさも発見することができた。確実に、初めてタイに行った時より視野が広がったと思う。

 

 

私が感じるスタディツアーのメリットを一般論的にまとめると、

  • すでにコネクションがあるので、1人で行っても決して出会えない現地の人たちとの繋がりを作ることが出来る。
  • その人たちを通して、その国の社会をより詳しく知ることが出来る。
  • 常に人と関わり、英語を否応なしに使うことになるので、自然と上達するし、自分の中に抱えている見えない英語の壁を取っ払うことが出来る。
  • ツアーで知り合った日本人と共に想い出を共有し、その後に続く素晴らしい関わりを持つことが出来る。(これがまたホントにでかい!)


もちろん、私が参加したツアーがたまたま良かったのかもしれないし、全てのツアーが良いものとは限らない。


どんな人が企画したり参加したりしているのかは、行ってみるまで分からないこともある。

 

しかし、私にとって、医学生の時にこのような経験が出来たことは私の短い人生の中でも貴重な財産となっているし、1人でポンと行っただけでは決して出来ないような経験や人との繋がりを持つことが出来た。

 

そして、これらすべての経験が、今のヨルダンでの生活に繋がっているとヒシヒシと感じることが出来る。

 

ポッドキャストでもお話させていただいたが、後から振り返って「点と点が繋がって、線になっている感覚」である。これがもう、本当に。

 

 

 

社会貢献をするということ

 

あと、もちろん上司の意見には賛成なのだが、それでもやはり「人のために何かしたい」という想いは大事にして欲しいと、個人的には思う。

 

動機や方向性が、少しずれているのであれば、それは色々なことにトライしながら少しずつ修正していければいい。

 

ボランティアがしたい!と思って来たのであれば、色々やってみて失敗すればいい。

 

でも、その人の「何かしたい」と思って実際に日本を飛び出した、という経験は何にも代え難いものになると思う。

 

実際に自分の手で何かをやって行く中で、見えてくることがある。

 

それは、いつか何かに繋がってくるはず。

 

一番良くないと思うのは、「何かしたい」と思いつつ、実際に動けないこと。なんじゃないかなぁ。

 

 

 

そして、やっぱり私が今までしてきた経験は、いわゆる観光とはちょっと違った。

 

観光で行った他の国もとってもいい思い出だけど、スタディツアーを通して確実に、それらとは全く違うものを得ることができた。

 

海外に出て何かしてみたい、でも何も分からない、旅もどうやってしたらいいのか分からない。

 

そんな人に、学生向けのスタディツアーという選択肢は悪くないと思う。

 

きっと、その先には未知の世界が広がっているはず。

 

 

 

 

そんなこと言っても、大好きな仲間と行く旅も大好きです。

 

 

 

次回へ続く。


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みんなのヒーロー、ワクワクさん。

 

彼がハサミを取り出すだけでワクワクする、あの感覚。

 

みんな彼のことを覚えているだろうか。

 

ヨルダンに来て、まさかワクワクさんに出会うことになるとは、予想だにしていなかった。

 

 

甘利琢磨さん。アラビア語を自由自在に操り、ワクワクさんとして活躍する傍、作業療法士という異名を持つ。

 

甘利さんは、2015年から2年間、ヨルダンにて青年海外協力隊の作業療法士隊員として働いていた。

 

その後は日本へ帰国して一般の病院で働いていたのだが、今回は2週間ヨルダンを訪れ、各地を一緒に視察して回った。

 

というわけで、まずはワクワクさんの作品を一部ご紹介しよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

全て利用者さんのために作成した、彼のお手製の品である。

 

 

そして、極め付けにこちら。

 

 

ワクワクさんはVRゴーグルも自前のハサミで作ってしまうらしい。

 

(なんと、、製作費用はたったの300円!)

 

 

そして、VRゴーグルにとどまらず、なんとVRお面まで。

 

 

 

まさに、ワクワクさん。これぞ、ワクワクさん。

 

 

そして、彼のVR映像作品の一つがこちら。

 

 

ぜひ、"THETA"というアプリでもご覧頂きたい。

 

平面映像ではあるが、それでも臨場感に溢れている。

 

ヨルダンのワクワクさん、中々侮れない。。

 

 

 

今、すでに日本へ帰国してしまい、今や日本のワクワクさんとなった彼と一緒に、「日本からも障害者をサポート出来ないか」というテーマで企画をしているところである。

 

 

というのも、ヨルダンには、戦争で傷ついた若い男性の障害者が非常に多い。

 

病院や、障害者のコミュニティに行くと、車椅子に乗った比較的若い世代の男性をたくさん見かけることができる。

 

ヨルダンとシリアの国境は2年以上前から閉鎖しているため、新しくシリアから傷ついた人たちが流れ込んでくることは基本的にないのだが、現在は怪我をしてしばらく時間が経過した人たちの「廃用症候群」や、褥瘡などの「合併症」が問題となっているとのこと。

 

また、仕事もお金もない難民たちは、移動手段がなく、社会との関わりが絶たれてしまうことも多い。

 

 

それはもう、問題だらけ!!

 

 

しかし、障害者の中に、少数ではあるが、立派なリーダーも存在する。

 

ある人は、自ら杖をついて各地を巡回し、積極的に資金集めやボランティアを募り、障害者や親を亡くした孤児たちをまとめている。

 

ある人は、高校生の時に銃で撃たれて下半身麻痺となるも、自らリーダーシップをとり、家庭訪問やスポーツ活動などを率先して行なったりしていた。現在は障害者のカウンセラーとして働きつつボランティアでの活動に勤しんでいる。

 

彼らと協力して、心も体も傷ついた障害者たちを日本からも応援出来ないか、模索中である。

 

 

ぜひ!!もしこの企画がうまく進めば、ゆくゆくは日本の皆様にもご協力頂きたい。

 

遠い日本においても、彼らの問題を身近なこととして捉え、問題解決のために一緒に考えること。

 

こういう機会って、きっとテレビの向こうのニュースを見ているだけでは難しい。

 

日本の人たちにも、ほんのちょっとシリアのことを知る機会がもてたら、また新しいアイディアが生まれるかもしれない。

 

 

日本からも、応援お願いします!!^^


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あっという間に、ヨルダンに来てから2ヶ月が過ぎようとしている。

 

ヨルダンでは、色んな人と会い、色んなものを見て、色んな問題があることを知った。

 

 

ヨルダンの問題は、根深い。

制度の問題、難民の問題、貧困の問題、仕事に就けない、、、などなど。

 

 

そこで、ふと気付いたことがあった。

 

 

 

 

あれ・・・・これ、どうしたら解決するんだろう。

 

 

 

ヨルダンに来る前は、ヨルダンでのことが想像がつかなかった。

 

でも、"とにかく何かしたい"と思ってここにやって来た。

 

でも、いざ問題を目の当たりにした時、自分に、それらを解決する能力が全くないことが分かった。

 

日本社会のレールの中で生きて来て、自分で解決しなきゃいけない社会問題に、生身でぶち当たったことがなかったのかもしれない。

 

自分の無力さに愕然とした。

 

 

 

そんな時に、颯爽とある女性がやって来た。

 

 

ジャーン!

 

 

(実際は、馬に乗ってやって来た訳ではない)

 

板倉美聡ちゃん、24歳の女の子。写真の期待を裏切らず、実際に本人も可愛い。

 

関西の大学を在籍中にアメリカに1年間留学。卒業後はイギリスの大学院で平和構築について勉強。昨年そちらも卒業し、1年間のギャップイヤーを経て、今年の9月からマッキンゼーに就職予定。

ギャップイヤー中、パレスチナの某NGOでインターンをしたのちに、たまたまヨルダンで合流。

1週間だけ滞在予定だったのだが、なんやかんやでヨルダンにどっぷりハマってしまい、帰るタイミングを失っているという状況。

 

ここ最近は毎日、私と行動を共にしてくれている。

見た目とは裏腹に、周りをリードしてくれるようなバイタリティの塊である。

 

 

そんな彼女は、一流コンサルタントの卵だけあって、私が思いつかなかったようなアイディアを次から次へと出してくれる。

 

その中の一つの例が、クラウドファンディング。

 

 

先日から、シリアのダラァで空爆が行われていることはご存知だろうか。

 

16万人以上のシリア人が主にヨルダン国境めがけて国内避難民となって集結している。

 

隣国ヨルダンでは、シリア人はもとよりヨルダン人も含めて、日々緊急支援物資の搬送に追われている。

 

日本で行ったら、東日本大震災の時のような、そんな慌ただしい状況。

 

私も、シリア人の友人から寄付を出来ないかと尋ねられた。

 

 

実は私も、これは流石に緊急事態だ、と思い、友人を助けるためにクラウドファウンディングの立ち上げが一瞬頭をかすめた。

 

しかし、もう時間があまりないから・・・

ここで、この一手を使ってしまっていいのだろうか・・・

 

などと色々考えてしまい、結局今までやったこともないクラウドファンディングに手を出すことが出来なかった。

 

しかし、翌日みさとちゃんにも相談したところ、

「polcaとかやったらいいんじゃないんですか?最近流行りのクラウドファンディングですよ」

とさらっと言うのである。

 

 

試しにやって見たら、あら不思議。とっても簡単。

 

なんの審査もなく、すぐに作れてしまった。

 

そして、あれよあれよと言う間に8万円以上が集まり、無事にヨルダン-シリア国境へ支援物資を購入するために資金を提供できている。

(ご支援いただいた皆様、本当にありがとうございました。また追ってご報告させていただきます)

 

 

この調子で、その他の地域でも若干24歳のスーパーウーマンみさとちゃんの快進撃は続いている。

 

現在は水面下で進行中の他のエピソードについても、また追ってご報告させて頂きたい。

 

 

 

 

結局、問題解決能力とはなんだろう。

 

時には、頭の中で眠っているアイディアに対して、ちょっと背中を押してもらえることなのかもしれない。

 

時には、ちょっとしたひらめきなのかもしれない。

 

時には、反対されても諦めないことかもしれない。

 

また別の時には、色んな人を巻き込む力なのかもしれない。

(そして、彼女を巻き込めた時点で私の勝ちだったのかもしれない)

 

 

 

何れにしても、彼女の登場により、私1人できなかったことが、どんどん前に進みつつある。

 

そんな、ヨルダン生活も後半期。

 

そろそろまとめの時期に入らなくては・・・。

 

 

次回へ続く。

 


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前回は、「ヨルダンてどこだ。」というタイトルで、私がヨルダンにくることになった経緯についてお話しさせていただいた。

 

今回は、必ず聞かれる質問その2、「ヨルダンでどんなことしてるの?」というご質問にお答えしようと思う。

 

その前に、私とヨルダンとの架け橋となってくださったシリア支援団体サダーカ代表の田村雅文さんについてご紹介させて頂きたい。

 

前回のブログにて、「じゃあ、ヨルダンに行ってみたら?」と発言された私の上司だが、そもそも上司は、今回ご紹介する田村さんとの古い友人であり、2016年当時、ヨルダンでシリア人支援をしていた田村さんを頼ってヨルダンを訪れたのだ。

 

ヨルダン訪問について上司が作成された記事はこちら

https://www.huffingtonpost.jp/yoshihiro-takayama/syrian_refugee_b_14493066.html

 

田村さんは、元々JICAのシリア隊員だったが、日本で働いている最中にシリアでの紛争が始まってからはヨルダンでシリア人支援の活動を行っていた。

 

私の作成した田村さんについての記事はこちら

https://ameblo.jp/sadaqasyria/entry-12387273981.html

 

 

ヨルダンに訪れることがふんわりと決まったはいいものの、約1年間はほとんど何の進展もなかった。というのも、ヨルダンでシリア人の支援活動をしながら学生をよく受け入れていた田村さんだったが、仕事の関係で2017年の8月をもってエジプトへ引越しをしてしまったため、現在ヨルダンでサダーカスタッフとして活動している方はいない。

 

そして、次年度の予定も結局ふんわりしたまま、2018年3月24日、大好きな沖縄を後にしたのであった。

 

その後、ヨルダン行きがトントン拍子に進んだのは、なんとその同日、サダーカのイベントに参加してからであった。そこで様々な方との出会いがあり、ふんわりとしていたヨルダン行きの案がようやく形を表し始め、2018年5月10日、何とかようやく念願のヨルダン渡航が幕を開けた。

 

ーーー

 

実際にヨルダンに来てからは、アラビア語を習いながら、サダーカのボランティアスタッフとして記事を発信したりしつつ、とにかくあらゆる団体や施設に見学に行った。例はこちら。

 

・アンマンでのシリア人家庭訪問/ホームステイ

・UNRWA パレスチナキャンプ内のクリニック訪問

・ザータリ、アズラックキャンプ内のクリニック訪問

・ラマダン(1ヶ月の断食期間)中のイフタール(食事会)参加

・UNHCRのイベント参加

・アンマン市内の理学療法センター訪問

・イルビッドの理学療法・心理療法センター訪問

・マフラックでのシリア人家庭訪問(主に障害者)

・在ヨルダン日本人の方々との交流

・11歳アメリカ人への日本語レッスン(アルバイト)

…etc

 

以上は一例に過ぎないが、とにかくいろんなツテを辿ってあらゆる人と出会い、あらゆる経験をさせていただいた。

 

主にシリア人難民のご家庭については、約15件程度行かせていただいたと思う。中には何度か訪れた家もある。

アラブ人たちは、とにかく人をもてなすことが好きだ。イスラムの教えでも、「旅人には優しくせよ」といわれているとか。写真は、あるパレスチナ人の新年のホームパーティに招待していただいた時の写真。

 

どこの家に行っても、「アハランワサハラン!(ようこそ)」と迎えてくれ、アラブのコーヒーが必ず出てくる。どんなに貧しいお家でも、この文化は共通している様子だった。

 

 

そして、アラブの家庭料理は驚くほど美味しい。そしてひたすら量が多い。

これに関しては、本当にアラブの素敵な文化だと思う。

 

そして、家庭訪問をすると、難民としてヨルダンにいるシリア人たちの事情がいかに大変かということが垣間見える。

なぜ大変なのかということは、この記事にわかりやすくまとまっているのでぜひ拝見して頂きたい。

http://www.co-media.jp/article/14875

もう、にっちもさっちもいかないのが現状…。

ちなみにこの記事を書いた彼女は現在イギリスの大学院を卒業してからパレスチナのJVCという期間でインターンをされており、9月からマッキンゼーに就職するそう。そして非常にかわいい。

 

現在はヨルダンを訪問中で写真の左下の女の子。話していると、斬新なアイディアにいつも驚かされる。

 

上の男性は元JICAの作業療法士甘利さん、下の方は現在休学中でジャーナリストを目指している有賀くん。
彼らとは、障害者支援を目的に2週間の間家庭訪問や各地を視察して回ったが、甘利さんはアラビア語堪能で、すぐにアラブ人とも打ち解け、障害者に対しての生活指導をしたりしているのを見ながら本当にすごいと思った。

そして同時に、一歩病院の外にでると、自分が何にも出来ないことに気付く。

 

シリア難民問題に限らずとも、とにかくヨルダンは問題だらけで、かつ”制度の問題”も多く、外国人として彼らのために何かできることは限られてしまうなぁと思うが、こちらにいる間は引き続き色々な経験をしながら、コツコツと目の前の問題に取り組んで行きたいと思っている所存です。

 

 

次回に続く。

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