さて前回が一年目のお話だったので、

今回は二年目三年目のお話をしようかなと思います!


さて一年目にカルソニックレディとして活動して

二年目はRAYBRIG TEAM KUNIMITSU に

お世話になることに。



それまでカルソニックレディは

1年間でレースクイーン自体をやめてしまうことが多かったそうで、皆様もとても驚かれたのではないかなと思います。


2、3年目(4年目もですけれど)は

SUPER GTというレースにどっぷり浸かった年でした


当時のことを思い出すにあたって、

自分のブログを読み返してみたのですが

当時のスケジュール見やすい〜(笑)



どうやったらわかりやすいか、

考えて考えて考えていた頃です

初心に帰る大切さがわかりますね(o_o)


さて2、3年目は”先輩”とのユニット活動。

そしてコントローラーのさやぴーこと蒼井彩加さん

水村リアさんとの出会い

チームマネージャーのあみさんも合わせて

「チークニ女子」なんて言葉で形容したり

チーム感をどんどん増せていったことがのめり込んで行く要因になったんじゃないかなと思います。

今でも大好きです。





一年目は

ジェンソン・バトン選手と山本尚貴選手のコンビ。

ジェンソン・バトン選手の担当になって世界の凄さも目の当たりにしました。2年目時点で母語が英語のドライバー担当100%!気さくで素敵なジェントルマンでした!!

グリッドウォーク人多すぎてタイヤラック倒れそうになったの覚えています。


二年目は

山本尚貴選手と牧野任祐選手のコンビ。

今でこそ安定のコンビですね!先輩として振る舞う山本選手のお茶目な姿とレースとのメリハリが印象的でした。


わたしはレースクイーンの子に何か聞かれたら

挨拶とチームのみんなの名前を覚えることを

はじめにやるといいよって伝えています。


名前を知るということは、構成要素ではなく、

どんな人でも生活があることを知り、

背負うものを垣間見ることができるからです。

なかなか一年の任期では難しいところだったりするのですけれど、企業で働いている方々にしてみれば当たり前なのでしょうね…… !


自チームのマシンの見分けもつかなかった相沢菜々子がどうのめり込んで行ったかというと、小島監督が岡山戦の時にマシンの解説をしながらレースに関してとてもわかりやすく教えてくださったんですよね!


レースクイーン用の無線機も用意してくださって

チーム無線を聴きながら観戦しておりました。

ピットインのタイミングでピットで給油やドライバー交代が見られたり!

皆様に死ぬほど羨ましがられるような

色々な経験をさせていただきました。


そうだ!円陣にもまぜていただいていたんです。

「俺たちは強い」

当時の合言葉。ファンの方々との

交流時にも沢山出てくる言葉でしたね



私のインスタグラムのリールから

昔のところさかのぼれます🙇‍♀️


高橋国光総監督(当時)はとてもお優しく、

時折香る厳かな雰囲気に説得力を感じておりました。

総監督はいつもニコニコしていらっしゃるイメージだったので現役時代のお話を伺うといつも驚きます。


当時はサイン会もありましたね、

沢ちゃんの人気がすごくてサイン会が整理券配布時

即完売だったことを思い出します

「あなたの車に RAYBRIG by STANLEY!」

振りは沢ちゃんにつけてもらいました

思えば学んだことは真似したくなっちゃうものなんだなぁって


息をするのも忘れるようなそんなレースを目の当たりにしつづけた2年間でした。

1号車も100号車のボードも持たせていただき、

劇的なチャンピオン奪還まで経験させていただいてこんなに贅沢でいいのか、分不相応ではないかと真剣に考えました。(これから皆様に納得いただけるように頑張ります)



西陽を受けて輝くマシンがとっても好きでした!

特に、SUGOのDUNLOPコーナーから迫り上がってくる青色のマシンが本当に誇らしくて今でも鮮明に思い出されます。





忘れてはいけないのがコロナ禍……!!

海外戦も無くなってしまったり、人数制限ができて、

レースクイーンも現地に行けないことが多くありました。


この悔しさ、煩わしさ、切なさは皆様も記憶に新しいと思います。だからこそ、モータースポーツの役に立ちたい、恩返しをしたいと強くおもいました!

今でも変わっていません!


次は4年目と空白のお話になります。

こういうの聞きたいな、などあったら教えてください!