俺さ
落ちこぼれで公立高校入れなくて
自宅から一番近い数ある落ちこぼれ私立高校の当時のキリスト教主義の北星学園高校しかはいれなかったわけ。
停学も何か武勇伝があるわけでもなく
トルエンの吸引部活動が忙しくて日常生活送れなくて寝てばかりの単位の足りなさの停学や社会科宗教科目以外はほとんど1での謹慎や学校謹慎なわけ。
卒業は単位は足りない分は野幌森林公園の一周四キロを0.1単位を何十周もクロスカントリースキーで単位はかせいでのやっとの卒業で
懲罰での平和運動しか経験すらなかったわけ。
高校一年の時に
イラクのクウェート侵攻がありすぐに湾岸戦争があり、
その後は当時の
新ガイドライン法が問題で
学校の教師集団はおおさわぎなわけ。
俺ら世代の祖父母世代は若き頃に太平洋戦争経験者。
父母は戦争を知らない世代の高度経済成長真っ最中の努力は努力した分何倍にも報われる時代のカルト信仰世代なわけ。
だから
戦争や差別や抑圧なんて
遠い過去の
ボケ老人のたわごとにしか
まるで
思えない経験しか
また
疑問すら感じなかったんだわ。
でも
こんな俺も土曜日に49になる
50手前の
ただの
老眼乱視くそじじい中高年な私生活こそ乱視な
ただの
薬物依存症者が
なれの果てになった今。

まさかこの俺らこそが

まさかその過去の戦時下の
真っ最中の
世代なんて
みじんも感じたことすら
なかったわけさ。

でも今の自分は
その戦争の新しい進化系の
戦時下の中高年だと
気がついたのは
44の
まるですでに
残念ながら
中高年のときなわけ。

そしたらだんだん
すべてが
繋がるわけ
新ガイドラインは
いろんなものを経由して
結局は戦争法や
憲法改悪。

そしてなんのうらみもない
外国人への
差別や偏見や
ヘイトスピーチ。

またまた実際の戦争での
虐殺の身近さも。

昨夜の
自分の息子や娘でもまるでおかしくないような世代の後輩達の
高校生や在日朝鮮人学校の生徒さんらとの
街頭宣伝はさ

なんだか
誇らしく
羨ましく
そして己の更なる劣等感さまで感じちゃうような
真剣な眼差しと取り組みと
想いの重たさや切実さを

俺みたいな
懲罰の平和運動なんかじゃなく
未来に希望を捨てていない
変えられるんだよみたいな
その
姿勢に
積極的な眼差しと
行動への感覚的な軽さは爽やかさみたいなのが
びっくりしてさ
 
うらやましくすら
感じたんだわ。

それは決して
冷ややかな
意識高い系への
小馬鹿にした姿ではなく

自然体な姿にさ
現実味と
説得力と
当事者性の
渦中の魅力みたいな知恵と叡智と生活の中の
極めてリアルな
現実感の営みを
感じたんだよな。

シールズの若者にも似たようなあの衝撃をさ
中高年でも
残念ながら
共に感じられたのがさ

決して同じ土俵に立ててはいなくても

なんだか

今更ながら
初めて
ウキウキしてしまったんだよな

俺はさ。

ぶっちゃけな。