今年の3月は寒い日が続き、桜が咲くのが遅かったです。

しかし今日は、長ズボンを穿いて車を運転していると、太ももが暑いです。

一昨日は、まだ街を行く男の子たちも、ハーフパンツ派の男の子よりも、長ズボン派の男の子の方が多数でした。

3人の長ズボン派の男の子とすれ違って、4人目が漸くハーフパンツ派の男の子でした。

今日街に出てみると、1人の長ズボンの男の子とすれ違うのに、3人のハーフパンツの男の子とすれ違っています。

 

2001年のこと、私はあるスーパーマーケットの担当者に、「半ズボン復活はいつになるか」と聞きました。

すると、「あと10年は半ズボン復活はない。成人男性の衣料に、短くなる兆しがない」との回答でした。

近い将来に半ズボン復活はない、という意味だったのでしょう。

2004年のこと、ある友人が、「今はハーフパンツだな。しかし、あと5年待ってみろ。半ズボンが復活しているかもしれない」と言いました。

ファッションの移ろいの激しい現代だから、いくら何でも、5年も経てばトレンドが変化しているだろう、という発想だったのでしょう。

2001年から10年後と言えば、2011年です。

東日本大震災があった年です。

2004年から5年後と言えば、2009年です。

民主党が政権を取った年です。

半ズボンが消えた頃の認識としては、半ズボン復活は民主党政権時代と考えられていたのです。

それにも拘らず、2020年代半ばに近い現在になっても、半ズボン復活の兆しはありません。

むしろ、現在細々と半ズボン制服を続けている私立小学校の数が、いつゼロになるかの方が現実的ではないかと思われます。

2018年夏、ハーフパンツの上にゆるゆるのTシャツを出して着ている男の子を見て、「いい加減、このファッションも飽きられていいのにな」と思っていましたが、その後6回春を繰り返しても、飽きられる兆候は全くありません。

ひょっとして、ハーフパンツは人間の進化にとって必要なのでしょうか。

ハーフパンツのうねりが押し寄せた1995年と言えば、体罰禁止が広まり、少数派である左利き用のナイフが現れ、オウム真理教事件を受けて厳罰化の動きが拡大した時期です。

と言うことは、人々が体罰に対して好意的になり、女性・障碍者・社会的弱者の社会進出に関心を抱かなくなり、犯罪被害者に心を動かされなくなるまで、半ズボン復活の余地はないのでしょうか。

ただ、少数の私立小学校が半ズボン制服を続けているように、半ズボン着用コミュニティーを作ることはできます。

半ズボン着用コミュニティーを作り増やすことが、現在では半ズボン復活を進める唯一の方法であるように思えます。

「時間がない」とは言っていられません。

半ズボン着用コミュニティーを作るために、時間を割くのです。