今から10年ほど前、平日午後の横浜駅コンコースを歩くと、今ではすっかり珍しくなった半ズボン制服の私立小学生の一団を見掛けました。

横浜駅西口から歩いて12分ほどの、私立精華小学校の一団であることは間もなく分かりました。

感激。

「ここの経営者は素晴らしい!時流に流されない!高度経済成長期の童心主義をよく理解している!」

私は、もし自分に小学生くらいの息子がいたとしても、精華小学校に通わせてやりたいと思いました。

半ズボン制服のある私立小学校にでも通わない限り、この現代、半ズボンに出会う機会はないからです。

今まで指摘してきた通り、皆が私服のハーフパンツを穿いている公立小学校に、一人だけ半ズボンを穿いて登校したら、「半ズボン自粛警察」の子供から、たちまち取り締まられてしまうことは請け合いなのです。

しかし、5年ほど前、平日午後に横浜駅コンコースを通過しても、半ズボン制服の小学生の一団には出会いませんでした。

精華小学校も、時流に流されて、ハーフパンツ制服を採用した可能性が高い、と感じました。

最近、精華小学校のホームページを見て、それを裏付ける記述を発見しました。

<学生専門SHOP MASAYA>の制服モデルチェンジの案内と同じ趣旨のことが書いてありました。

しかし、「ぱっと見た目に分からない」というのであれば、10年前も5年前も平日午後の横浜駅コンコースの景色は変わっていないはずです。

精華小学校が、半ズボン制服の廃止と、ハーフパンツ制服の採用を決断したのは間違いないのです。

今までは、半ズボン制服の伝統をも守っていた精華小学校が、ハーフパンツ制服の採用を決めた背景には、何かあったと思います。

半ズボン制服のお蔭で、志願者が減ったのかもしれません。

あるいは、半ズボン制服のお蔭で、痴漢や盗撮の被害があったのかもしれません。

社会心理学でも教える通り、「一旦同調圧力を受け入れ、自分が多数派に回ったならば、今度は自分が少数派に同調圧力の受け入れを迫る側に回る。」

精華小学校は今や、高度経済成長期の童心主義を破棄し、1995年型ハーフパンツの普及を迫る側に回ったのです。

「大した変更はしていない」と主張するのは、私は卑怯だと思います。

それを言うのなら、1970年大阪万博を舞台にしたいテレビドラマで、小学生の子役に、1995年型ハーフパンツを穿かせ、「半ズボンであれハーフパンツであれ、短いズボンであることに変わりはない」と言っているのと同じことなのです。

子供服の変遷をよく知らない消費者を欺いた感じ。

半ズボン文化を、こっそり真綿で絞め殺した感じ。

精華小学校が伝統やイメージを大切にしている学校であるならば、ハーフパンツ制服を即刻廃止し、半ズボン制服に戻すべきなのです。

付け加えて言うならば、親子は消費者であるわけですから、流行に沿っているハーフパンツ制服を歓迎するのは当たり前のことだと言えます。