令和になって、2月23日は天皇誕生日になりました。
それは私の父の誕生日でもあります。すでに4人の子供がいて祖父が家にいないことが多く貧乏で、祖母と長女である叔母が働いて家計を支えていたので、祖母は父を産むことを悩んだそうです。でも父のおばあちゃんに「産みなさい」と言われたので父は産まれることになったと、父が病気になってから聞きました。

その父は5人兄弟の末っ子でありながら、一番早く57歳で天国に行きました。
多発性骨髄腫という病気で、白血病の中でも病状に個人差があり其々に明確な治療法が確立されていないため、治る人もいれば、治らないひともいるし、新薬を試して後遺症に苦しむひともいる。病気がわかって治療をはじめたときに、この病気の5年生存率は30~40%と聞いた記憶があります。父はあの東北の震災の時入院中でそれから約3年間通院で新薬治療や移植も試しました。

お父さんは「俺の誕生日がいつか国民の祝日になる」と言っていました。

そして「俺は死なない」と。
それが悔しいだろうなと思っていたからか
私は父の生き返ったシリーズの夢をいくつも見ました。 「もっと早くヨガに出会っていればよかった」(ヨガを教えてあげたかった)
私の後悔は消えることはありません。

でも、あのときは父も私も精一杯でした。
全て言い訳と言えばそう言えてしまう、今なら。それは今時間に余裕があり健康でヨガができているからです。

私の先生は言いました。
「このヨガに出会えたことはとてもラッキーでした」

そう。
ヨガは形を変えて広まっているけど
色々な人の作意が加わったり誤解が紛れ込んでいる。

でも、先人たちが純粋に生きるためにヨガを始めたわけです。
医学も科学も発展してない時代になんとか健康にしあわせに、と願って考えたのです。

だから、今私たちは色々な情報に混乱されるなかで、純粋でいること事態がとても困難です。
この時代に真実や本質を見極めるのは極めて難しいことだと思います。そのための教育や知恵が必要でそれが身に付くかはそのひとが環境に影響されることが多いといえるのです。

これ飲めば治るとか、これ塗ればきれいになるとか甘い誘惑も沢山あるわけで。

忙しくて寝る暇もないのに、「呼吸を観察する」なんて考えもしなかった。

でも、お父さんが生きていればよかったなと、旦那さんに会わせたかったな、一緒に海に行きたかったなと、心底おもうし、失う前にたいせつなことに気づけなかったことに悔しさが消えることはありません。

だから、わたしの毎日のプラクティスが続きます。 「経験しなければわからない」
「障害に巻き込まれる」ことを想定し慎重であるべきだと。
これが人間である自分の弱点だと。

壮大なかなしみと後悔と引き換えに
私はこの教えを受けとりました。

現代ヨガの父クリシュナマチャリア、その子供デシカチャー、その弟子マークウィットウェル。その先生たちから伝統なヨガを正しく受け継ぎわたしたちに教えてくれた芥川洋輔先生と舞子先生。

壮大な別れと豊かな出会い。
哀れな過ちと健やかな選択。
強い執着とおだやかな雪解け。

父が今でも元気だったら私は気づけていなかったかもしれない。
そう思うとなんて愚かかとおもう。
失わないとわからないなんて。
与えられたものに満足したいせつにすること。
呼吸をたいせつにすること。
毎日歯磨きするのとおなじ。

でも、できなかった。
それは、環境や状況に巻き込まれ正しい判断を阻害する「障害」が、社会生活の中にはたくさんあるから。

ひとりではないことはありがたくも、その「障害」と折り合いをつけなくては、自分の身に危険が及ぶことがある。

父の誕生日からここまで書いてしまいました。

#ハートオブヨガ
#ハタヨガ
#ヨガのある暮らし
#チワワとの暮らし