優しさや思いやりは何からできているのでしょうか?
それは
場合によっては
偽善と呼ばれることも
ある
自分に問う
それは偽善?
憐れみ?
同情心?
優越感?
そんなこと考えるなんて、ひねくれてるかな?
出来る人は出来ない人の気持ちがわからない
毎朝きちんと起きれる人は起きれない人が理解出来ない
遅刻しない人は遅刻する人の気持ちはわからない
あと10分早く行動を開始しすれば間に合うのではないのか?
とか、考えたりする
待ったことの無い人は
遅刻をしてもあまり気にならない
待っている人が
不安や心配でいっぱいで待ってることもあるなんて
考えもしない
人間という生き物は
自分が傷ついて初めて
人の痛みがわかるようになったりする
失恋のつらさを知る人は
失恋でつらい想いをしたことがある人
そうでなければ、想像してみるしかない
人の痛みが本当の意味でわかっていないこと自体にも
気がつけない
少なくとも
自分に置き換えた時
過去の私は
そういう部分がたくさんあった
自ら弱者と呼ばれる立場に立った時
初めてわかったことがたくさんあった
例えば
足を骨折した
松葉杖や車椅子がどれだけ大変かを知った
駐車場の車椅子指定の重要さを
車椅子専用トイレの有り難さを
満員に近い人が乗っているエレベーターで
当然のような顔で乗っていく
一緒に待っていた健常者
開のボタンを押して降りるのを待っててくれる人と、
何も気にせずさっさと降りていってしまう人がいること
心無い他人の冷たさと残酷さを
同様に優しさと思いやりを知った
それが良いとか良くないとかいう批判ではありません
譲られるのも
親切を受けるのも
当たり前ではないということ
知っていたと思っていた
感謝の心を改めて知った
ならば
優しさや思いやりは
弱い自分を知ることから生まれ落ちる?
経験しなくても最初から
優しさと思いやりを持つ人もいる
さて
優しさや思いやりは何からできているのでしょうか?
他者への尊敬と深い理解
理解しようとする努力
弱い立場の全てに対する
大きな深い愛情
それは決して偽善なんかじゃない
ましてや憐れみでもない
私はそう思う
そして
大きな大きな優しさと思いやりを
私は持ちたい