愛の定義の基準って何だろう… | インフィニティ ラブ♡

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最近気づいた事なんだけど “愛の定義の基準”ってなんだろうな?と思うの。


みーんな人それぞれ育った環境が違うし、その中で育まれた“愛”に対する価値観も違う。


前日、手話レッスンの時、さちさんが話してた中でハッとした事があったの。


「人はみーんなそれぞれ違うから、その違いを認めて、

 その人の個性が生きればいいなぁ」


ホンマにそやなぁ~って思う。



一番わかりやすい例えで言うなら、
男と女って、身体の作りが違うのと同じように、考え方も違う。


女の人が、男の人のやることがわからない、と思うのと同じように
男の人が、女の人のやることがわからない、と感じている。


それと同じように、同じ同性(オトコとオトコ&オンナとオンナ)でも、
考え方や価値観が違うっていうのってあるんだよね。



“愛”の定義の基準って…なんだろうな。


その人が育ってきた“環境”
その人が今まで経験してきた“過去”
その人が今まで味わってきた“心の痛み”
その人が感じている“想い” などなど
その人が形成された今までのことも含めて


みーんな みーんなそれぞれ 『愛し方』って違うんだよね


そう思うと、相手が、自分が 『?』 と思う愛し方をしていても
“ああ、あなたは、そういう愛し方をするんだなぁ~”って 客観的に受け容れられるから。


その人の現在の状況も配慮しながら、自分が望む以上のコトを求めない。
また、愛したから身返りを求めることもない。


ただ、自分がその人を“愛している”だけだから。

それだけで人は 満ち足れる。



何も壁もつけてない こころオープンに 自分の“想い”を伝えあえるのは
お互いに愛しているから なんだよね


相手が 私の“想い”や“感じている事”などなどを 知ろうとする姿勢
私が 相手の“想い”や“感じている事”などなどを 知ろうとする姿勢


それは お互いにその人の“あるがまま”を受け容れて 大切にしようとしてくれているから



だから本当に、会話は『聴くこと』がすごく大切なんだなぁ…。



世間一般的な常識や価値観での定義をつけた“愛”で見てしまったら、


“愛”は『限界』を伴ってくる。



本当に“愛”は いろんなカタチがあって 

もっともっと無限に広がっていくものだと私は感じているの。



どんな人であっても 柔軟に受け容れられる人に 私はなりたいな
(まだまだ器が小さいし狭いなぁーーー(ーー;) 

 こういう私も、まだまだ修業が足りませぬー。

 歩みは遠いな…)


“音のない世界”に鳴り響く音色を奏でて…♪ 耳が聞こえないクリスタルボウル奏者のブログ-2012090517340000.jpg