第96回アカデミー賞®が、まもなく発表される。
というのに、あまり劇場で観ていない。あわてて、Netflixで「マエストロ;その音楽と愛と」を観たものの、小さな画面では、モノクロとカラーの違い等、こだわりのシーンも驚きが少ない。ただ、キャストの印象を決める手立てになっているメイクアップは、小さな画面でも圧倒される。
とはいえ、観られるものなら、劇場へと思って
この『落下の解剖学』を観て来ましたが以下の5つの賞でノミネートされています。
作品賞
監督賞(ジュスティーヌ・トリエ)
脚本賞(ジュスティーヌ・トリエ、アルチュール・アラリ)
主演女優賞(ザンドラ・ヒュラー)
編集賞
(あらすじ)
人里離れた雪山の山荘で、男が転落死した。
はじめは事故と思われたが、
次第にベストセラー作家である
妻サンドラに殺人容疑が向けられる。
現場に居合わせたのは、
視覚障がいのある11歳の息子だけ。
証人や検事により、夫婦の秘密や嘘が暴露され、
登場人物の数だけ<真実>が現れるが──。 公式HPより
映画は、作家の女性がインタビューを受けているシーンから始まるのだけれど、
なんか物語に入れないうちに、息子のダニエルが散歩に外に出た時にお父さんが倒れているのを見つける。彼は目が見えないので、慎重に呼吸をしているのか確かめた後で、お母さんを呼ぶ。ここまでは、気乗りがしなくてもちゃんと見ていなくてはいけなかったのではないかと後になって思った。
このあと、救急車が来て、警察の人たちが状況を調べ始める。
ダニエルは、この状態に気が動転して涙が止まらない。お母さんも呆然としている。
お父さんに何があったのだろうか、事故だろうか自殺だろうか、それとも侵入者か?
と思っていると、この場所が人里離れた一軒家だと言う事が解り、殺人と言う事はないだろうと言う事になるのだが、
現場検証の結果、変な所に傷があると言う事で嫌疑がお母さんに向けられる。
裁判になって、何度もお父さんが亡くなるちょっと前の事を聞かれるのだけれど、
普通の日常であれば、事細かに覚えている方が稀有だろう。
息子くんは、視覚障害があるので、亡くなる前に何かを聞いていなかったかと聞かれる。見えない事へのもどかしさ、自分の発言一つで、母親を窮地に追い込んでしまう。
わずか11歳で視覚障害もあるダニエルには、もう母親しかいない。彼は週に二度学校に通い、家では父親が勉強を見ていたという。
父親も母親も作家で家で仕事をしているのだから、より親への依存度が高いと思う。
それでも気がついていなかった母親と父親の細かな関係。
疑いの目で見られたら、どうやって申し開きをするのだろう。
裁判でも容赦なく追い詰めていく。こんな修羅場のような証言の中に
居合わせられるダニエル。
母親の目を通すと、とても耐えられないのじゃないかと思ったが、
裁判を通して、意外にも、心が鍛えられていたようで、すべての審問に立ち会うと言い出した頃には、この子の中で何が育って行っているのだろうと思わさせられた。
最初から検察官なんて、もう有罪しかないという態度なので、母子は、どんどん追い詰められていく。
弁護士は、弁護をしてくれるが正義から来るものなのか、恋愛感情なのか。
母としては、障害のために過敏になっているだろう息子に与える影響も
気になるはずで、孤独感が強くなってしまいそうだ。
妻で容疑者であるサンドラは、何を考えているのか、あまり表情に出さない。
証人としては、父親が通っていた精神科医の証言まで飛び出す。
精神科医は、患者の事を何もかも知っていると思っているのだろうか。
医者なんて、聞いた話だけでどこまで当人のことを理解できるのだろうかと思っていたので、ここまで自信たっぷりと証言するのには、びっくりした。
話が進むにつれて夫婦のあらたな面が浮き彫りにされるが、サンドラは、感情をあまりあらわにしないので、観ている私たちも陪審員のごとく気持ちが揺り動かされる。
夫と妻の関係も想像の上を行っていたように思う。
息子が視覚障害になった事故からの夫婦の考え方。
作家同士としての考え方。夫は何を考えていたのだろうか。夫と妻の立場が思っていたのと違っている。
映画を観ている間に色々な考えが頭をめぐる。それを知るとまた初めから考え直さなくてはいけないのだろうかなど。
この映画には、英語、フランス語が出てくるが、妻のサンドラを演じていたサンドラ・ヒュラーは、映画『アイム・ユア・マン 恋人はアンドロイド』は、ドイツの映画で、アンドロイドを連れてくる無表情の相談員をやっていたから、ドイツ語を話す人ではないのかと思うのだが、海外の俳優さんの語学力はすごいなあと感心させられたりもした。
息子のダニエルは、視覚障害らしく見せるためか光の当て方なのか、時に黒目が白っぽく見えて、なんかドキドキする。
彼が連れている犬のスヌープもすごい演技を見せる。
あと、なんかの伏線じゃないかと思わせられる場面があって、ドキドキするたびに映画にハマりこまされているのじゃないかと思うくらい映画にのめりこんで観てしまった。
ねたばれですが、
ドキドキしたあと、無罪判決が下り、サンドラは息子に電話をする。
ああ、やっぱり息子が一番大事だったんだわと安心するのも束の間
彼女は、すぐに家に帰らず、戦った人たちとお酒を飲んでから家に帰る。
彼女は、息子は大事だけれど、それより、自分の心が大事で、
気持ちを落ち着かせてから家に帰る。
ずっと、そういうスタンスだったのだろうな。
それとは、真逆の態度だった夫。
自殺だったかもしれないけれど、妻はそれに悩んでいることに気がついていたのか、いなかったのか。
なんで、あんなところから飛び降りたのだろうか。
録音の意味は?
妻の気持ちを揺さぶらずにはいられなかったのだろうか。
揺さぶられそうにないサンドラだが、観客は、大きく揺さぶられたと思う。