様子が普通でないと言われ、最期かもしれないという連絡があって
集まった息子たちの家族
スタッフが改めて、バイタルをチェックしてみますと特に心配ない数値と言う事で
一旦、私たちは家で待機することになりました。
義妹と私が、施設の方たちとお話をしている間に男たちは外で
ずっと話をしていて、相談が決まったようで、それぞれの家に帰ることになりました。
夫に今後の事を聞きますと義弟が翌日、休みをとって心当たりの葬儀社に行き、パンフレットを貰い話を聞いてくるということらしい。
休みを取るのなら、施設にも行くかもしれないので、私たちは、水曜日に行こうと言う事で、備える事にして早めに就寝
6時前に電話があったようで、義母の心停止を未明に確認したとのこと。
医師の死亡確認が9時過ぎになってしまうとのことで
それを目指して、支度することになりました。
7時過ぎには出かけたと思いますが、また朝のラッシュです。
夫が事故らないように、ハラハラしながら向かいました。
私の父の時は、弟が病院に泊まってくれたので、やはり朝一番で行きました。
父はまだ大丈夫だったので、弟が家にいったん帰り、お風呂に入ってから仕事に行きました。私と父の家に泊まった娘も残りの仕事を片付けてくると仕事場に向かいました。この時点で弟の二番目の娘だけ、この病院に入ってから、まだ会っていなかったので、逆にあわてて会いに来てくれました。
母の時も、まだ温かいうちに会う事が出来て、医師の死亡確認を聞いたものですが、
今回は、時間が経っているせいか
もう触ってはいけないようなオーラを放っています。
9時半に医師がいらして、死亡確認をして、エンゼルケアをしますとスタッフさんに言われました。
義弟は前日に行った葬儀店に電話をしていました。
義母を見て良かったなと思えたのは、まだふっくらしていたことですし、
眉間に皺もなく口も食いしばっていなかった事です。
私たちは死に目に会えなかったけれど、苦しまず寝ている延長上で、息をしなくなったのかなと思える感じでした。
私たちの次女が揃えてくれた服がとってもよく似合っています。明るい色にしたので
元気そうに見えます。お化粧もしてくれて、もしもの時は男性たちがなんと言おうと
きれいにお化粧だけはしてもらおうと義弟と言っていたので、
それを葬儀社に頼まなくても綺麗でびっくりしました。
母の時は、何万か死化粧にかかったと思います。
看護師さんがお見送りをしたいので、何時に葬儀社に人が来ますかと
義弟に聞きますと
義弟はだいたいの時間を言います。みんなでお見送りをしてくれるというのが
解らなかったみたいですので、女性たちで説明をして、もっと正確な時間を聴き直してもらいました。
義弟は、ドラマなどで病院などで退院する時に花を持って見送ってくれるけれど、最近、よく入院しているので、実際はそんなことはなかたので、みんなでお見送りをしてくれるなんて解らなかった。なんて言っていました。
母の時は、私がぐずぐずしていたせいか、枕花やお供えも部屋の前に置いてくれて、スタッフさんや入居者さんが次々に会いに来てくれて、涙が止まらず抱き合ったスタッフさんもいたくらいですし、お見送りの時もみんなが温かく送ってくれました。
でも義弟は、父親を亡くしてから20年も経っておりますので、何事もびっくりだったのでしょうね。義妹は、ほとんど毎日のように通っておりましたので、顔見知りのスタッフさん一人一人にお礼を言っていました。
うちも出来るだけ面会の時は、夫にスタッフさんとのかかわりを取って貰っていたので、顔見知りのスタッフさんにお礼を言えて良かったと思います。
食事前の忙しい時間だったかと思いますが、エレベーターホールから玄関まで
ずらっと並んでくれて見送ってくれました。
という感動の瞬間のわずか30分後くらいには、葬儀社にいて
義母が安置されるのを待っていました。
もう男たちは、葬儀の日程を話し合っていました。
そんなこともあってか、斎場の空いている日も調べてあったようで、
取りあえず、予約を先に入れて貰ってから、細かいことの相談に入りました。
それよりも何よりも、東京と神奈川で色々と違う事があって驚きました。
ここ5年くらいで3つの葬儀社を使ったことになりますが、
決めなくちゃならないこともそれぞれに違っていて、
男同士でよく話し合った結果でしょうか。ほとんど葬儀社で色々やってくれるようで
夫としては、お寺との連絡くらいだったでしょうか。
葬儀の打ち合わせもなく大丈夫なのかと思っていたら、すべて取り仕切ってくれるような葬儀社でした。
相談が終わったあと、安置所にいるお義母さんに会いに行きましたが、義妹が
お義母さんの首の位置がおかしくて、このままだと皺になると言い出して直して貰いました。悲しいのに、しっかりしています。
お葬式の時も斎場に着いたら、口が開いてしまったと直して貰っていました。
ほんとうにしっかりしていて頼りになります。男たちに言っても耳に入っていないようで、訴えに来ます。
夫は僧侶の相手と喪主としての挨拶があると思って、独自に動いています。
あと、東京と違うのは、棺に入れるものに制限がありました。
母たちの時は、何でも入れていいようで、むしろ持たせてあげたいものや手紙も
良かったら用意してくださいと言われていました。
そこで、うちの両親の葬式を経験している夫も葬儀の日になって、以前の家の時に
いつも玄関に飾ってあった
お母さんから貰った木の動物の人形を持って行こうと言い出しました。
もしやと思って用意してあったので、2体だけ残して、10個近く持って行きました。葬儀社の人に伝えると、花入れの時にそっと下の方にいれるように言われました。
東京の時は、見えるところに入れさせてくれたので、ちゃんと聞いておかなくちゃいけないのだなと思わせられました。
そういえば、実弟の奥さんの父親の時も神奈川でしたが、東京の時と比べてあっという間のお別れでした。
会食の時には、久しぶりに義弟の次男くんと同じ席で話をしましたが、
義弟が男の子は、冷たくて、自分も男の子二人なので、自分の先行きを見ているようで寂しいと話していましたが、次男くん
「今日会えたから、正月は帰らないからね」って、思わず、うちの次女の腕をつかんでしまいました。
無理。無理。こんな時に正月に子供が帰ってこないなんて耐えられないと思った私でした。
街中では、奥さんやお母さんの介護をせっせとしている男性もよく見かけるのに、
そこまで行くのには、中々のハードルを越えなければならないのだろうか。