録画作品を整理していたら見つけたもので、108分と短い作品なので
見切れるかと。若き日のダニエル・エル=ルイス発見

解説
脳性小児麻痺の画家クリスティ・ブラウンの半生を実写映画化した伝記映画。
1932年、アイルランド。大家族の10番目の子どもとして生まれたクリスティ
は、生まれつき重度の脳性小児麻痺に冒されていた。それでも彼は優しい母
や兄弟たちに支えられ、貧しくも温かい家庭で成長していく。ある日、クリ
スティはかろうじて動く左足にチョークをはさみ、初めて文字を書く。こう
して外の世界と触れ合う手段を得た彼は、左足に全てを託し自身の才能を開
花させていく。1990年・第62回アカデミー賞でダニエル・デイ=ルイスが
主演男優賞、ブレンダ・フリッカーが助演女優賞を受賞した。「父の祈りを」
のジム・シェリダン監督の長編デビュー作。
1989年製作/103分/イギリス
原題:My Left Foot
配給:ワーナー・ブラザース
監督
ジム・シェリダン
製作
ノエル・ピアソン
原作
クリスティ・ブラウン
録画した映画を整理しなくちゃなと見始めたのだが、観ているうちにどんどん引き込まれた。クリスティがいつからこのような障害を持っていたのか定かではないが、幼い頃は、口も聞けず手足どこも動かせない感じであり、ただただ息をして、食事を取るだけの感じであったが、ある時に母親が階段を踏み外し、彼が助けを呼ぼうとしたことで
床を這いずって動けるのがわかるし、外へも連れて出てもらえるようになる。
観た後で解説を読み、彼に大勢の兄弟がいることがわかるが、特別扱いをされる訳でも
なく、兄弟の中でも生きる力をつけていかなければ、危なくてしょうがない。
大勢の兄弟のちょうど真ん中と言うのも彼の観察眼を養ったのだろう。
左足を使うことによって、文字を書き絵の才能を開花させていく。
最初は知的障害者と見られていたが、知恵もよく回り、兄弟たちからも
一目置かれたりする。ダニエル・デイ=ルイスが、この役を見事に
演じきり、内面にまでよく演じている。
お陰で、こう言う障害を持った人の気持ちを考えさせられる。
同情なのか愛情なのか、問い詰めて行く過程がすごい。
作品を生み出す事より、彼の中で重要だったのかもしれない。
彼が描く絵を見ていると、頭の中に構想が出ていて
彼の左足は、それを描いただけなのだろうか?
もし手が動いたらタッチは変わっていたのだろうか?
最近、自分はストレッチついでに足の指を広げてみる。
グーチョキパーは、出来ても個々には動かせない。
本当は脳の指令で動くものを、退化させてしまっているのだろうか。
22人もの兄弟がいる大家族。彼の上には9人もいるのに
中々貧乏から抜け出せず、稼ぎ頭は、彼だけだったのかな
ちょっと皮肉でした。
見切れるかと。若き日のダニエル・エル=ルイス発見

解説
脳性小児麻痺の画家クリスティ・ブラウンの半生を実写映画化した伝記映画。
1932年、アイルランド。大家族の10番目の子どもとして生まれたクリスティ
は、生まれつき重度の脳性小児麻痺に冒されていた。それでも彼は優しい母
や兄弟たちに支えられ、貧しくも温かい家庭で成長していく。ある日、クリ
スティはかろうじて動く左足にチョークをはさみ、初めて文字を書く。こう
して外の世界と触れ合う手段を得た彼は、左足に全てを託し自身の才能を開
花させていく。1990年・第62回アカデミー賞でダニエル・デイ=ルイスが
主演男優賞、ブレンダ・フリッカーが助演女優賞を受賞した。「父の祈りを」
のジム・シェリダン監督の長編デビュー作。
1989年製作/103分/イギリス
原題:My Left Foot
配給:ワーナー・ブラザース
監督
ジム・シェリダン
製作
ノエル・ピアソン
原作
クリスティ・ブラウン
録画した映画を整理しなくちゃなと見始めたのだが、観ているうちにどんどん引き込まれた。クリスティがいつからこのような障害を持っていたのか定かではないが、幼い頃は、口も聞けず手足どこも動かせない感じであり、ただただ息をして、食事を取るだけの感じであったが、ある時に母親が階段を踏み外し、彼が助けを呼ぼうとしたことで
床を這いずって動けるのがわかるし、外へも連れて出てもらえるようになる。
観た後で解説を読み、彼に大勢の兄弟がいることがわかるが、特別扱いをされる訳でも
なく、兄弟の中でも生きる力をつけていかなければ、危なくてしょうがない。
大勢の兄弟のちょうど真ん中と言うのも彼の観察眼を養ったのだろう。
左足を使うことによって、文字を書き絵の才能を開花させていく。
最初は知的障害者と見られていたが、知恵もよく回り、兄弟たちからも
一目置かれたりする。ダニエル・デイ=ルイスが、この役を見事に
演じきり、内面にまでよく演じている。
お陰で、こう言う障害を持った人の気持ちを考えさせられる。
同情なのか愛情なのか、問い詰めて行く過程がすごい。
作品を生み出す事より、彼の中で重要だったのかもしれない。
彼が描く絵を見ていると、頭の中に構想が出ていて
彼の左足は、それを描いただけなのだろうか?
もし手が動いたらタッチは変わっていたのだろうか?
最近、自分はストレッチついでに足の指を広げてみる。
グーチョキパーは、出来ても個々には動かせない。
本当は脳の指令で動くものを、退化させてしまっているのだろうか。
22人もの兄弟がいる大家族。彼の上には9人もいるのに
中々貧乏から抜け出せず、稼ぎ頭は、彼だけだったのかな
ちょっと皮肉でした。
