母が亡くなってからちょうど2か月目
未だに、夢に出て来ない母だが
お墓参りに行ってきた。
夫が
「知っている人が入っていると思うと
やはり違うな。お墓を綺麗にしようという気が起こるな」
と言っていましたが、
行く前は、
「この間納骨式やったばかりだから
お花とか(持って行かなくても)よくない?」
って言っていたよね。うーん。どっちが本音
それにしても
母
亡くなってからもご活躍のようで
葬式に呼ばなかった兄弟から
香典がたびたび送られて来ると弟
母の兄弟に言わせれば、夢枕に立つらしいのです。
みんな母にはたくさんお世話になったからとの
ことらしいです。
兄弟姉妹がみんな集まったのは、
2013年
母の弟の葬式以来
あの頃
母はまだ髪を染めていたのかな。
特に一番下の妹は、ヘアーウィッグの方が若く見えたのじゃないかとか
いろいろ言ったものだ。
でもその弟の納骨式には、来られない兄弟も
もうすでに何人か出ていたのに、
母は埼玉まで、納骨式に出かけて行けたのだ。
そのころからかは覚えていないけれど
自分の家の写真より両親の写真を
年賀状につけるようになっていた。
そして、コメントもつけていたので
どこへ行ったのか、母がもう髪を染めるのを
やめたこと
車いすになったことも解っていたと思う。
それでも会えたのは、一番下の妹が二年前までと
毎年のように会いに来てくれた母の10歳下の弟
その二人だけには、母が亡くなってから
まだ施設に安置されているうちに連絡した。
本当は二人には秋にも連絡をしていた。
弟の方はすぐに連絡が来て、年末までに
来るとも言っていたのだけれど
無理強いをしなかった。
そして今年の年賀状にも
母の誕生日、父と祝っている写真をつけて
兄弟姉妹6人に送っていた。
母は元来お茶目なので、カメラに向かって手を振っている。
この写真を見て、まだまだ元気そうとみんな思ったのかな。
写真でもわかるほど、痩せて
みんなの目にどう映るのだろうとは思ったが、
7年前の姿しか知らない人が
そのつもりで母に会いに来てショックを受けないようにと
元気そうではあるが、衰えは隠さずに
選んだ写真だった。
点滴が始まった頃にドクターが血液検査をして体のどこも悪いところは
ないので、このままで何か月も行く人もあれば、2週間くらいで
亡くなる人もいると言われた
生きていると今まで蓄えた筋肉を使って
身体を維持していくようで、
その衰えが日に日に感じられ、母は、生きたままミイラに
なってしまうのではないかとさえ思われた。
あごの線がシャープになって唇の筋肉さえ
なくなってきているのが分かった時に
父の退院まで、点滴で延命して申し訳ない感じがした。
それでも、お見舞いの私たちに
ちゃんと対応してくれた母に感謝です。
89歳、現在、この年での老衰
早いのか遅いのかわかりませんが
最期の最後まで、懸命に生きてくれた母に感謝、
そして亡くなってもなお、兄弟姉妹の枕元に立つ母の
律儀さに
母らしいと思いました。
いつもながら長文で失礼しました。
