母が認知症になって、しばらくして

母の暴走を止められなくて

あんすこさんも見るに見かねて保健師さんを派遣してくれたことが

ありました。

 

お母さんと話をする間、いろいろ思いはあるでしょうが、

最後まで話させてくださいと言われ

聞いていると

 

こんなにりっぱに子育てしたんだから

もっと感謝されるべきだと言う話でした。

私だって

母の話は否定せずに聞いていたつもりですが、

世話している、自分の時間を割いてやっているというのが

どこかにあって、無償の愛には、ほど遠かったのでしょう。

 

こんなりっぱな大人になれるように育ててくれてありがとうなんて

思っていなかった。

むしろ反面教師のおかげで

今の自分があるくらいの気持ちだったのかもしれない。

 

でも、とことん、その保健師さんが母をねぎらいほめているのを

聞いて、母が心底冷たい心が溶け出すのを見ていたら

 

自分の中にも感謝が生まれて来た感じ

 

それでも、どうしても引っかかることは

その後もしばしばぶつかることもあったけれど

親子らしく本気でぶつかれたかもしれない。

今になると、わだかまりを全部、とことん話し合うことで

憑き物が落ちるように母に

感謝や愛を感じられるようになっていった。

 

 

ところが

 

うちの父

母が亡くなってから暴走が止まらない。

 

なんで母が亡くならなくちゃならなかったのかと

いまだに

私たちを責める。

私たちを責めないと、ほかの人のことを持ち出す。

 

寂しいからなのだろうと相手をしているが

なんとか活路を見出さないと

毎日が父の重荷で、つぶされそう

弟にもたくさん、いろいろやることを頼んでいるようなので

二人で二重にならないように連絡しながら

やっています。

 

 

それにしても還付の書類の多いこと

どれだけ、こんな年寄りから取り上げていたのでしょう。